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陰とは何か
人間は内面と外面に対するアプローチをもつ。
人間の内面に向かうことを陰とよび、人間の外側に向かうことを陽と呼ぶ。

 ● 陽と陰@

 人間にとって陽とは何か?陰とは何か?

 
とは、人間の外部にあるものに働きかける行為をいう。
 
とは、人間の内部にあるものに働きかける行為をいう。

 それゆえ、陽と陰でその舞台は異なる。
 陽の舞台は、この
大地であり人間社会である。
 陰の舞台は、人間の
感性であり、理性であり、精神であり、信仰である。

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● 陽と陰A

 
陽とは人間の外部にある働きかけであり接触である
 陽で求められることは、この大地への働きかけであり、つまりは製作、改良、
 工夫などであり、それらをより優れたものにする為には人々との協力は
 不可欠である。つまり陽とは社会の中で、人々の協力を得ながら発展して
 いくことを表す。

 
陰とは人間の内部に対しての働きかけである
 人間の内面にある感性、理性、精神などを磨きあげる方向へ向かう。
 正確にいうならば、磨きあがるというよりも、もともと備わっているものを
 引き出すということである。
 陰とは、人間の可能性を展開することにある。
 この章では、陰と陽のうち、
について述べていく

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● 陰とは何か

 
とは何か。再度述べる。
 陰とは
人間の内面にあるものを磨くこと。また引き出すこと。
 それは感性であり、理性であり、精神、また信仰などである。

 感性を磨くことは、芸術の道、音楽の道である。
 理性を磨くことは、学問の道である。
 信仰心を磨くことは、宗教の道である。
 
 これらのものの道は、つまりは
人間の可能性を展開する道である。
 この大地の上で、人間が有している能力、または秘められている可能性を
 展開することにある。

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● 陰と学問

 人間にとっての陰とは、人間の内面の向上であり、感性や理性、精神を磨いて
 いくことである。これが芸術や音楽や文学や学問を生み出す。

 特に学問は、人間の内面の理によって、構築される。
 しかし学問の土台になるのは、人間の直感から生み出されたものである。
 我々はそこに根拠をおいて、それを土台にして論理的展開を行う。
 そうして、構築された位置体系が学問の一つの分野となる。

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● 陰の欠点@

 陰を求めることは良い事ではあるが、ただし、
欠点が伴う。
 大きくわけて以下の
つの欠点を有する

     @ 現実を乗り越える創意工夫と力強さの欠如
     A 
我と慢心に陥る

 陰の最大の欠点は、いかんせん陽を軽視しやすいということである。
 陰ばかり求めると、陽の舞台である人間社会を軽視しやすくなり、独りよがり
 になることが往々にある。
 外部との接触がなくなれば、独りよがりにもなりやすい。
 
慢心があらわれてくる。

 陽を軽視することは、この
現実世界との接触を軽視することで、
 内面に閉じこもり空想が空想を呼び、現実的な問題を創意工夫、努力に
 よって乗り越えていくというプロセスを経ることがない。
 それにより、それらの乗り越えようという力強さと工夫が身につかない。

 また、ひたらす己が価値あるものだと信じて邁進することは、良い面もあれば
 悪い面もあるということである。

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● 陰の欠点A

 孤高の音楽家や学者などが人間的な協調性に欠けるのは、陰を極める道の
 上には、人間社会や他人との関係が、まったく存在しないからである。

 最上の音楽、最高の芸術作品、優れた学識 などなど、これらは人間の内部
 にこそあり、人間の外側にある人間社会や他人などとは関連がない。

 他人の存在はなく、あくまで対象は自分の内面だけとなるから、どうしても
 独善的になりやすい。自分は最高のものを生み出しているのだという自信は
 同時に我と慢心へと変化する。

 陽の世界の中でいう”
おかげさま”という他人との協力関係が
 欠けている分、自分の力だけだと過信し、慢心の心が芽生えやすい。

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● 陰の道と、人間社会の軽視

 大地の改善を試みない陰の道は、どのような妄想でも受け入れ、
 かつ頭の内部で完結できてしまう。
 現実な困難さに直面しないゆえに、現実的な困難の存在を軽視する。

 陽の道の意味を知らねば、人間は協力することに意味を見出さない。
 そうして、人間がとにもかくにも苦労して、この大地の上に作り上げた人間社会
 を軽視し、時に鼻で笑うようになる。
 陰の道ばかりに進むものは、他人の存在を軽視しやすくなりやすくなる。
 そこに、我と慢心が目を出している。

 人間社会が、たとえ自分が最初に期待していたようなものと大きく離れたもの
 であっても、人々と協力し、この現実の大地を改善していくものは、他人との
 協力の大切さを肌で感じる。

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 ● 人間社会への積極的なアプローチの欠如

 陰ばかりを求めていると、人々が作り上げた人間社会への積極的な
 アプローチを行わなくなる。
 陰ばかりに価値を見出し、陽に価値を見出さないものは、結局、
 
人間社会および人間それ自身にも価値を見出さなくなる。
 そういう弊害が起きるのだ。

 人間社会に対する興味と理解を失えば、必ず他人への関心も失う。
 人間社会に生きて、その社会の中で何かを成そうとするならば、自分とは
 異なる他人に引き立てられて成功したという経験や、反対に他人の嫉妬に
 よってうまくいかないということ多かれ少なかれ経験をするからだ。

 人間社会の中で生きることは、どうしても
他人との繋がり
 意識せざるえない。それが良いとか悪いとかの問題ではなく、そういう事実が
 ある事ということを何度も体験するものだ。

 陽の舞台である人間社会を軽視することは、結局は他の人々を軽視すること
 になり、そうなれば人間社会の中で、何か形になるものは残せない。

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● 陰と苦しさ

 陰に向かう道は苦しい。
 陰の道は、己の内部へ内部へと進まねばならない。
 どこか顔も険しくなり、息苦しさや硬直がうまれやすくもなる。

 作家であれ、芸術家であれ、創作する人々には、己の内部からアイディアや
 思想、着想などをむりやり引き出すような経験があるものだ。
 時には、乾いた雑巾をしぼるような苦しさが伴う。

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● 陰と困窮

 真に陰の道を歩むものは、困窮を覚悟せねばならない。
 なぜなら、外部に対するアプローチの陽は、その人に現実的な豊かさと快適さを
 もたらすことがあるが、内部に対するアプローチの陰では、そのようなことなど
 ほとんどと言ってよい程、期待できない。

 それも陰の道が本物であればあるほど、まったく期待できない。
 真に優れた芸術家のほとんどは、生前、周りの人々から理解され評価されること
 はない。
 
 これは探究者でも同様である。
 真に偉大な探究者は、
生前に評価されることなどまれである。
 良くても晩年になってから、人々にその存在がしられ、死後になってその名声
 はうなぎのぼりに上がっていくのである。

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● 大切なのは陰ではなく陽

 なによりも始めに忘れてはいけないことがある。
 人間にとってないよりも先に大切なのは、陰ではなく陽である。

 これは子供を見ればわかる。
 幼子はどこまでも陽である。外側の人々にあらゆることを訴える。
 お腹がすけば、割れんばかりの声で空腹を訴える。
 おしめが濡れれば、不機嫌さを爆発させてまたまた訴える。

 反対に、充足と快適さは、幼子の顔に満面の笑みをもたらす。
 その顔を一目見るや、親はなんとも喜ばしく、救われた気持ちになる。
 
 人間は、まず陽を求める。
 この大地で人間が生きる為に欠いてはいけないものだ。
 まず何よりも大切にするのは、陰ではなく陽でなくてはならない。

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● 天の教え

 なによりも陽を大切にする必要があるのを、天は素直に教えてくれる 
 我々人間は夜は寝て昼に活動する。
 それゆえ我々人間の一日は朝から始まる。
 昼になれば太陽は天高く上り、夕方になれば日は傾き、太陽は山に隠れて
 夜が訪れる。  長い夜が過ぎれば、再び朝日が昇る。

 太陽が昇り、多くのものが活動する昼が陽である。
 太陽が沈み、多くのものが活動を休止する夜が陰である。
 陽と陰は、ひたすら繰り返す。
 どれほど陰の中に向かえども、その先には陽を待ち望む気持ちが重要である。
 天はそのことを教えてくれる。

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● 天才の生涯@

 人間にとって、大切なのは陰ではなく、まず陽である。
 何度もいうように、まずはこの大地を生きる事が求められる。

 だけれども、例外も存在する。
 人間の中で、その生涯のほとんど多くを陰の内に過ごすものがいる。
 それは
天才である。
 
天才の生涯とは、まさに陰である。いや陰でしかないといってよい。

 もちろん、天才が飛躍する為には外部の影響が必要である。
 どのような植物の種も、たっぷりとした水と日の光が必要な様にである。
 良い土壌が美しい花を咲かすように、その時代の教養の厚みが天才をさらに
 大きく飛躍させることになる。

 なれども、そもそも種がなければ、いくら水や日の光を注いでも芽が出ない。
 種がその内部になければならない。
 天才とはまさにその種である。他の人々が持ち得ない種である。

 その人以外には、なしえない仕事をする者が天才である。
 天がその人のみに、ある分野の才能を与えた。
 天才は、己の外部に何かを求めるのではなく、己の内部に才があるのだ。

 その人だけのみに、与えられた能力である。
 仮に、それが他の人々の誰それが、真似できるような何物かであったならば
 誰がそれを天の与えた才能、つまり天才となどと呼ぶ事が起ころうか。

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● 天才の生涯A

 天才は、生まれながらに備わったその天からの才能を素直にそのまま
 表現するだけで良いのである。
 鳥が自由に大空を飛ぶように、天才も自由に大空を飛べば良いだけである。
 だから天才のアプローチとは、外面へ向かうのではなく内面へ向かうのである。
 
自分の内面に、答えがあるのが天才である。

 この地上における天才の苦悩とは、その内面の才能に触れる時間が制限
 されることを言うのだ。
 
 環境が時に、天才にその才を使うことを妨害する。
 飢餓や貧困、病気、食べて行くための必要な事務的労働によって
 
失われる貴重な時間
 それらが天才にとっての
天敵なのである。

 天才にとって必要なのは、ゆったりとした時間であり、自由な思索を許す時間
 である。それのみであってそれ以外では決してない。

 天才は、大空を飛び回る鳥のごとくである。
 天才を邪魔するのは、鉄の金網だけである。
 金網がはずされれば、天才はそのもてる力強い羽によって大空高く舞い上がる。

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● 天才と凡才

 天才は、天井の鉄の金網が外されれば誰とも構わずに大空高く舞い上げる。
 それに対して、凡才とは飛ぶ事自体がままならぬのである。

 天才は
自由にしておけば、必ず大空高く舞い上がる。
 天才には、生まれながらに強靭な羽が備わっているからだ。

 天才の中にこそ、その才能があり、内面へ内面へ向かう。
 天才の生涯は、その意味で陰なのである。

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● 天才の作品

 以下のことを理解しておく必要がある。
 
天才の生涯天才の作品の陰陽は異なる。

 天才の生涯とは、先ほども述べたように、
である。
 その人が天才である限りにおいて、どこまでも陰である。

 なれども、そんな天才がもたらす作品は、あくまでも
である。
 彼ら天才は、
陰を越えて陽の作品をもたらす
 天才の作品は、陰を越えた陽である。

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● 天才と凡才の作品の違い

 多くの人々が天才に近づきたいと思って、陰へ進んでもいずれ重さによって
 押しつぶされる。
 天才でないものが陰へいけばいくほど、作品もどんどん重くなり、本人も息苦しく
 なり、その内、その重さで動けなくなる。そうしてそれ以上進めなくなる。
 それに対して、天才も陰へ陰へ向かうのは確かでであるが、あるときに
 その陰の壁をパッと越えて、陽に至る。

  
凡才   陰 ⇒ 陰 ⇒ 身動きが取れない ⇒ 引き返す以外ない
  
天才   陰 ⇒ 陰 ⇒ 乗り越え       ⇒ 陽

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● 天才のタイプ

 天才の作品とは、まさに陰をつきぬけて陽に至る。
 しかし、それでも陰を直ぐにぬけて陽に至れる人もいれば、そうでない人もいる。
 大きく分けて、天才にも以下の
つタイプがある。

 陰をするりと抜けて陽に至る者。
 陰に進み、さらに陰へと進み、その奥深くまで降りきて、最終的にその陰の壁
 をぶち抜け陽に至る者。

               ⇒         
     
   ⇒     ⇒    ⇒ !!! 
 
 前者のするりと抜けれるタイプが、シェークスピアであり、ゲーテであり
 モーツワルトである。
 後者の陰の深くまで進んで陽に至るタイプがベートーベンであり、ゴッホである。

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● 陰と狂気@

 ここでこのことも述べておこう。
 陰の道には危険も伴う。陰の道は、薄氷を上を踏む道でもある。
 陰の直ぐ近くまで
狂気が迫っている。

 それゆえ、確かに天才と狂気は紙一重である。
 陰深く、陰深く進む天才達は、往々に狂気を帯びやすい。

 陰 ⇒ 陰 ⇒ 陰 ⇒ 
 or 狂気

 それでも天才達が狂気に堕ちないのは、天から与えられたその才能が本人
 を守っている為である。
 だが天才中の天才であるゲーテでさえ、晩年に書かれたファウストを見れば
 もはや、この世のものとは思えないオーラを醸しだしている。
 狂気へ近づいた為である。
 しかし、狂気に飲まれなかったのもゲーテの才能ゆえである。

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● 陰と狂気A

 
ニーチェは、ツァラトゥストラはかく語りき以降の作品から狂気を帯び始める。
 最終的に、ニーチェは狂気に半分飲み込まれた。
                              
フリードリヒ・ニーチェ
      
    ツァラトゥストラの作品の途中以降、ニーチェは狂気を帯び始めた。
    晩年のニーチェはこの世界と狂気との間で生きた。


 
同様に、ゴッホも晩年には狂気を帯びていた。
 晩年の作品をみれば、狂気の世界に足を一歩踏み入れていることがわかる。
     
      晩年のゴッホの作品。天才ゴッホも晩年、狂気の世界に足を踏み入れていた。

 こういう事ができるのは、
生まれながらに才能を与えられた者達である。
 そうでない者にとっては、それ以前の段階で重くなり苦しくなり、前に進めない。
 よって、狂気に至ることもないので心配はない。

 生まれながらに才能を与えられた者達であって初めて、狂気とのスレスレの
 攻防が可能なのであり、それらの才能を与えられない者は、近づこうにも
 身動きがとれなくなって近づけず、結果的に引き戻す以外の道はない。
 それゆえそれらの者達は、狂気に至ることもない。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
         『 稲穂黄金の未来の天才へ


 
● 再度、天才について

 天才は、まさにその内部に溢れんばかりの才能を宿す。
 天からの才能が宿っているのだ。
 天才は、その備わった才能を、そのまま素直にこの世界で表現する。
 鳥が大空を羽ばたくように、天才も羽ばたく。

 ここで述べているのは天才とは、巷で良くウワサされるような、そういう程度の
 者達を差しているのではない。
 ここでいう天才とは、そんなありきたりの人々を指しているのではない。

 数年もすれば、また天才の出現などと騒がれる、そんな程度の話ではない。
 世間でいう天才とは、まさしくその意味で天才などではない。

 数年もすれば、他の誰かが述べるような内容が天才のはずはない。
 それは陳腐なことである。
 天才たる天才とは、誰もが述べれるようなことを敢えて述べようとはしない。
 そのような者は、他の多くの者達に任せれば良いと思うものである。

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● 天才と畏怖

 その人以外、そのことを人類に知らせることができない者を天才という。
 例えばカントである。
 カントが世に送り出した純粋理性批判は、カント以外の誰それも力をもって
 しても世にもたらす事は不可能である。

 千年たとうが、万年たとうがカント以外には無理なのである。
 それは天がカントにその才を与えたからである。

 プラトン、カント、ゲーテ、ショーペンハウアーの天才達の残した作品は、
 これらの者達以外に、世にもたらすことは不可能なのである。
 
 真の天才を知れば知るほど、そこに恐ろしさを感じるものである。
 なぜなら天才の内面だけに存在するものに気づくからである。
 世界中のどこを探しても見つからない物の存在が、天才のみに存在している事
 に気づかざるえないからだ。
 それゆえ、
真剣に学べば学ぶほど天才達に畏怖を感じるようになる。

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● 人間の可能性と天才

 多くの人々にとっては、天才の述べたこと、もたらしたことがまるで異次元の
 世界からもたらされたごとくに感じることが多々ある。
 
 なれども天才にとって、それは
自明のことである。
 それゆえ、天才は無邪気にそれを表現する。
 また天才は、それらの事が、他の人々も自明であろうと思っている。
 だから天才が世に登場すると、天才はそれらの事が他の人々もそれが当然
 だと理解してくれることを信じている。そう信じて疑わないものだ。

 なれども現実は、大きく異なる。
 その事実は天才のみには自明のことと理解できても、それ以外の者達が
 受け入れるには、時間が必要となる。

 天才の作品が、その天才が生存中に、多くの人々に理解されることなど
 本当に稀なのはこれが理由である。
 天才は、良くても晩年に理解されるだけである。
 大半は、その天才の死後にその名が世に知れ渡る。
 中には、その人の死後1世紀、2世紀以上たってから世に名が知られる事も
 往々にある

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● 天才の孤独

 天才が外部から何かを得て、それが天才の作品に付加されることがあっても
 その部分は、天才を特徴づけるような何がしかでは決してない。

 天才を特徴づけるのは、天才の
内面にあるのであって、天才の
 外部に存在するわけではない。

 それゆえ天才の生涯は、陰への追及であり、それゆえ天才は孤独である。
 
天才はどこまでも孤独である
 孤独にならざるおえない。

 その問いに対して、真に深いレベルで答えられる者は、この世界の中で
 自分1人だけであることを天才は、強く確信する。

 人類の長い歴史を通しても、そうであるという確信を天才はもつ。
 自分にのみ託されているという孤独さを感じ、またその重大さを理解して
 天才はその生涯に命を懸けて進む。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
         『 稲穂黄金の未来の天才へ


 
● 天才の孤独

 天才がそれでもその孤独に負けずに進んでいけるのも、それは自分の天の才
 を信じるだけではなく、自分によってもたらされた作品がいずれは、いつの時期
 には、多くの人々も受け入れてくれるという事を信じているからだ。

 天才は生存中に、その存在が知られることは滅多にない。
 ほとんどは、天才の死後、時を経るごとにその名声は高まる。
 天才とは、世代に属するのではなく、また世紀に属するのでもない。
 天才は
あらゆる時代に属し、つまりは人類全般に属している。

 その時代が天才を理解せず、無視して、冷遇しようが天才は歩み続ける。
 いつの時代には、数百年先には人類は作品の意味に気付くという確信が
 彼ら天才の中にはある。

 いつの時代でも天才がひたすら努めて、この地上に作品を残すのは
 彼らが人間の可能性を信じているからだ。

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● 陰の必要性@

 真理を真剣に努める者の存在。
 真に美を求める者の存在。
 最上の音楽を求める者の存在。

 そのような人々は、いかなる時代も、いかなる国においても稀である。
 その多くは、食べる為に学問を行い、食べる為に絵画を描き、また食べる為に
 音楽を奏でる。

 仮に真剣に求めても、真に優れた残せるものは限られる。
 このほんの少数の者達の一生は、絶え間ない陰への接近であり、それゆえ
 格闘であろう。もがき苦しみ、のた打ち回るような中で、生まれるものであろう。
 
 されど、このほんの少数の本者達。
 多くの人々は、これらの者達の歩みを賞賛しても、同じようにその道を歩みたい
 などという、そんな物好きは滅多に存在しない。

 結局、だれもその天才の道を歩むこともないのである。
 もちろん、個々人でみれば陰の道ではなく、陽の道が良い。
 個々人としては、陽の方向へ、陽の方向へ進めばよい。

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● 陰の必要性A

 なれども忘れてはいけないのは、
人類全体で見たときに、
 これらの真理を真剣に求め、美を求め、最上の音楽を求める人々の存在は
 重要な意味を持つということだ。

 人類が陽の世界で実を結び、花を開かせる為には、陰の存在が必要である。
 大輪の花を開かせる為には、それに
匹敵する陰が必要となる。

 もし仮に、陰の道を歩み続ける者達の存在がなければ、人類は決して
 あのような偉大な文明など築き上げれなかったに違いない。
 さらに人間社会のあちこちから問題が発生して、社会も維持できなく
 なるであろう。

 なぜならば、人間の存在は陽だけではないからだ。
 動物ならば、その一生を陽であることが許されている。
 なれども、
人間には許されない

 人類が、ひたすら陽ばかりを求めたときに、その中で真剣に陰の道に進む者が
 いない場合、必ずといって良い程、
揺れ戻しが発生する。
 人間は陰の存在でもあることを知らせるかのように・・・・・。

 今まで人間が陽の道ばかりを歩んで、コツコツと作り上げ、積み上げてきた
 農作物や製品や商品、はたまた家やビルなどの建物や道路などが、その
 
揺り戻しにより一気に破壊されて、元の木阿弥となる事がある。

 陰の存在は決して軽視できる何がしかではない。

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