未来の歴史  歴史とは人間がこの世界とどのように対峙してきたかを伝えることにある。
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大企業の経営者は彼らの経済的成功がこの世界に適合していると考える。本当は資本主義に適合しているに過ぎない。
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未来の歴史
 長い歴史の中で人類は眠っているときと目覚めている時を繰り返す。
 目覚めの時、哲学者が雄たけびを上げる。眠りの時、宗教家が子守歌を歌う。

  
● 歴史は眠りと目覚めである

 歴史とは、破壊と創造の繰り返しではない。
 この言葉は本質を捉えていない。
 歴史とは
人類の眠りと目覚めであり、その繰り返しである。

 眠りと目覚めの繰り返しによって、眠りの時期には、建物が破壊されたり
 人が虐殺されたりもした。反対に目覚めの時に、学問が発展し芸術が咲き誇り
 この地上に偉大な文明をもたらした。

 歴史に決定的な影響を与えているのは人類の眠りと目覚めである。
 認識が広く深くなる時代がある。そのような時代に偉大な文明を生まれる。
 しかし目覚めの時は短い。すぐに眠気におそわれて、眠りにつきはじめる。

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 ● 長き眠りと束の間の覚醒

 人類の歴史の大部分は迷妄の淵にいる。つまりほとんどは寝ている。
 千年に一度、もしくは2千年に一度、まるで眠りから覚めたような時期が訪れる。
 その目覚めの時期がヨーロッパにおいては古代ローマであり、日本においては
 平安時代である。
  この覚醒した時期はある程度続くのであるが、いつでも眠りの世界への
 誘いがすぐ側まで来ている。この覚醒をほんの少しでも永らえれば、人類に
 とっては忘れることができない程の偉大な文明となる。

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● 目覚めと哲学者

 偉大な文明が目覚めるその少し前に、ある者達が目覚めの時の声を発する。
 その者達の名は
哲学者である。
 偉大な文明が明ける前には、必ず偉大な哲学者が生まれているものだ。

 
ローマにとっての哲学者とは誰であろうか?
 それは
ギリシャ文明である。ローマの哲学者はギリシャである。
 ギリシャの学問、芸術によってローマの人々は真に目覚めた。
 ローマにとっての精神的支柱はギリシャにあった。


 それでは
日本の平安時代にとっての哲学者とは誰であろうか?
 それは
仏教(仏僧)である。
 平安時代の幕開けの前に、優れた仏僧がキラ星のごとく現れた。
 その中で先頭を走る人物に、天台宗の開祖である最澄(伝教大師)、真言宗の
 開祖である空海(弘法大師)の2人がいた。

 この2人を先達に幾多の優れた仏僧が日本に現れた。
 その当時、最高の知識体系、理路整然とした体系をもつ仏教(&密教)を
 取り入れることで平安時代は大発展したのだ。


      文明             哲学者
  ---------------------------------
    
古代ローマ     ⇒   古代ギリシャ
     
平安時代     ⇒   仏教(天台宗、真言宗,  )


 これらの深遠な者達の存在が、平安時代に生きる人々を真に目覚めさせ
 300年以上の長きに渡り、繁栄栄華をもたらすことになった。


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 *その当時、もっとも仏教が盛んな中国から最新の学問である仏教を学び
   とってきた伝教大師(最澄)と弘法大師(空海)。
   中国から仏教の真髄が日本に伝わり、それを見届けたかのように
   その後、中国では仏教は本来の姿からは遠ざかり、急速に衰退していった



 ● 長い眠りと悪夢

 人も長く寝すぎると変な夢を見るように、人類も長い眠りにつきすぎると
 どこからともなく変な夢が紛れ込んでくるものである。
  それでも眠りから覚めないと、それが
悪夢となり、うなされる。

 そうしてあまりの恐ろしさに、悲鳴と共に目が覚める。
 ここに至りようやく目覚めの時がくる。

 この悪夢の状態が中世ヨーロッパである。
 ペストが広範囲に広がり、疫病、飢餓が一斉に襲いきた。
 人心も乱れに乱れ強盗や暴力、裏切りが横行した。
 この世の罪も金次第とばかりに免罪符も横行した。まさに悪夢であった。

 その悪夢にうなされて、ハッと声を上げて目覚めたのが
ルネサンスである。

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● 眠りと宗教家

  目覚めた者もいずれ眠りにつく時がくる。
  目が覚めている時期は思った程は短い。まぶたが重くなりウトウトし始める。

  寝に入る前の子供が眠たさのあまりぐずるように、眠りに近づくと多くの人々
  も不安に襲われ、右往左往し始める。
  寝に入る時に子供が母親の子守唄を聞くことで安心して眠りにつくのと同じよう
  に
文明も眠りにつく時に、子守唄を歌う人々を必要とする。

  子守唄を歌う者達の名は
宗教(家)である。
  文明が眠りにつく前には、必ず偉大な宗教家がうまれるものだ。

  ローマにとっての子守唄を歌う人々は誰であろうか?
  それは
キリスト教である。
  多くの人々が眠りに近づくについてローマは衰退し、そして多くの不安が当時
  の人々を襲った。ローマが衰退する中でこそ、キリスト教は強く求められた。

  平安時代にとっての子守唄を歌う人々は誰であろうか?
  それは
仏教である。
  ただしこの時代の仏教を代表する思想は
末法思想である。

  仏の救い、他力にすがる意味を強調した浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)
  などの救いの思想、末法思想である。

      文明             子守唄を歌う
   ----------------------------------
     
古代ローマ           キリスト教
     平安時代           仏教(浄土宗、浄土真宗)


  ローマ衰退後のヨーロッパは、この後1000年近く、かつて暗黒時代と
 呼ばれた中世に突入することになる。長い眠りについたのだ。
 人間が真に覚醒されることのない深い眠りに入った。
 14世紀に悪夢によってうなされ、目覚めるまで眠りに続けた。


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 * ルネサンスによってヨーロッパの人々は完全に目が覚めた訳ではない。
    半分の目しか開いていない。これは現代人も同様である。
    古代人は両目を開いており、それだけ古代人は偉大であった。
    今後、未来において、人類は真に両目を開くときが来るのであろうか!?



 
● 文明のサイクル

 偉大な文明が起こる時、哲学が目覚めの時の声をあげる。
 偉大な文明が終わる時、宗教が子守歌を歌う。

  
文明の眠り      人々の洞察力のなさ。 迷妄と愚鈍さが満ち満ちる。
    ↓
    ↓          人々の目覚め=
哲学が目覚めの時の声を発する
  文明の興り      学問、芸術への意識の高まり
    ↓
    ↓           あらゆる分野に人間の叡智が行き渡る。
  偉大な文明へ     学問、芸術、芸事を越えて建築、法律、政治、福祉など
    ↓           様々な分野に人間の深い洞察力によって支えられる
    ↓
    ↓          人間の洞察力の衰退、人間の持つ力の低下
  文明の揺らぎ     芸術、学問への無理解、そして無関心の増大
    ↓          人間の洞察力の衰退
    ↓
  
文明の衰退      まるで別世界のことに見える。不安、迷いが生じる。
    ↓           人々が眠りへ=
宗教が子守唄を歌う
    ↓
  
文明の消滅      社会の混乱、疫病や天変地異が重なる。

 大まかに見れば文明は上記のサイクルになる。
 偉大な文明、それほどでもない文明も多かれ少なかれこのサイクルを
 もっている。ローマのような真に偉大な文明は、他の文明よりも少しだけ人々
 の目覚めの期間が長かった証拠である。ほんの少し目覚めが長いことで
 あれほどの文明を生んだのだ。
 いかなる文明も人間のもつ力によって発展もし、消滅もするのだ。

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● 文明の衰退と、迷いと不安

 偉大な文明も数世紀もたてば、そこに生きる人々はその文明をもたらした人達
 の認識や洞察力を受け継いでいないことがままある。
  確かにそこに住まう人々は、その文明を築いた人々の子孫であるかも
 しれないが、認識力の欠如、美意識の欠如、情熱の欠如と、まるで別の人間
 のごとくになっている。

  先祖がもたらした建造物、彫刻の美しさに何の興味を示さず、それに関心を
 もたない人々が多数になる。芸術や学問になんらの興味を持たない人々に
 よって社会が構成され始める。

 
偉大な文明は、その理解者を失って滅びるのである。

 文明の衰退の時期を生きる人々にとって、目の前に聳え立つ建物や彫刻に
 なんとも言われぬ違和感を感じ始めるのだ。
 その対象物が別世界のものに見えて、まるで意味が理解できなくなり、
 心に迷いと不安が生まれるのだ。

 迷妄と愚鈍さが支配し始め、目の前の美しい彫刻には無関心となり、
 それどころか、何ゆえ、自分達の先祖は、このようなものを作ったのかとさえ
 思い始める。

 まるで人々の迷い、不安が引き金になったかのように、各地で干ばつや飢餓、
 疫病が蔓延し始める。
 人々は、何かにすがらなくては生きていけなくなる。
 救いを求める多くの人々が大地に溢れる。

 その時、これらの人々を救う思想が広がる。末法思想である。

 
文明の衰退期に末法思想は広がる。人々が強く求めるのだ。

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 ● 文明の衰退と末法思想

 偉大な文明が衰退し始めるとき、偉大な文明が消滅するまさにその時、人々は
 必ずといってよいほど
末法思想を求める。

 偉大なローマがその幕を閉じようとする頃、ヨーロッパにおいて急速に
 キリスト教が広がった。ローマ人がもたらした偉大な文明の意義がわからない
 人々の迷いと不安にまるで連動しているかのように、各地で目に見える形で
 つまり転変地変の天災や人為的な戦によって、社会に混乱がもたらされる。
 
 衆生にとっては目に見える形での天災、人災こそがもっとも分かりやすく、
 またインパクトがあり、さらに深刻なダメージが頭に記憶されるのだ。

 偉大な平安時代が衰退し各地で飢餓や天災、戦が起こり、社会は混乱した。
 平安時代の消滅の中で、人々は強く
救いを求めた

 平安末期から鎌倉時代への移行期、さらには鎌倉時代初期から中期頃まで
 末法思想が人々の心を強く捉えた。

   
法然(1133〜1212)の浄土宗
 
  栄西(1141〜1215)の臨済宗
 
  親鸞(1173〜1262)の浄土真宗
 
  道元(1200〜1253)の曹洞宗
 
  日蓮(1222〜1282)の日蓮宗
 
  一遍(1239〜1289)の時宗

 上記に述べた教えの中心には、人々の苦しみを仏が救ってくれる末法思想が
 あるが、もちろんすべての教えがそうあるわけではない。
 これらの中でもっとも末法思想を代表するものは、浄土宗の法然、浄土真宗の
 親鸞の教えである。

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  * 浄土宗、浄土真宗
 どのような生まれであっても、学問がない人々であっても、念仏を唱えること
 で極楽浄土へ仏様が導いてくれる。他の力によって救ってくださると説いた。
 浄土宗の教えは、民衆の心を捉え、急速に広がっていった。


 ● 偉大だからこそ、消滅のダメージも大きい

 ローマが真に偉大であったからこそ、ローマの衰退、消滅における時代の
 人々の迷い、不安もそれだけ深刻となるのである。

 平安時代が真に偉大であったからこそ、平安時代の衰退、消滅における時代の
 人々の迷い、不安もそれだけ深いものとなる。
 
偉大であればるほど、その反動も大きい。

 人々の迷いが深ければ、その反動が大きければ大きいほど、末法の思想も
 多岐に、内容も深遠さを増し、広範囲の地域の人々に広がるのである。

 キリスト教があれほどヨーロッパに広がったのも、それだけローマが偉大で
 あった証拠である。偉大なローマを失うことの人々の焦燥感、失望感が
 それだけ大きかったのである。

 平安末期から鎌倉中期まであれほどの、仏教の宗派が生まれたのも
 それだけ平安時代が偉大であった証拠である。
 平安時代を失ったことによる人々の焦燥感、失望感がそれだけ大きかった。

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 ● 衰退する中での2人の足跡

 文明が衰退する時期、たとえどれだけ偉大な人が出てきても、時代の流れを
 逆流させることは難しい。
 天災や人災によって混乱する社会において、どれだけの教えや実践を見ても
 衆生にとっては目の前の混乱しか目に映らない。

  春夏秋冬があるように、大きな流れの中ではその流れに逆らうことは
 非常に大変であり、多くの人々を目覚めさせることは適わぬのかも知れぬ。
 また目覚めさせることではなく、今ある苦しみを救ってあげることが大切なのだ
 ということも一面の事実をついている。

 
親鸞道元の2人の生き方は対照的である。
 2人も鎌倉初期から中期に活躍した。

 親鸞率いる浄土真宗は、迷える人々を救う
仏の教えであった。
 道元率いる曹洞宗は、人々の可能性を超えて真に救う
神の教えであった。

 親鸞はまずは人々の不安を取り除くことが先決とそこに救いを見出した。
 道元は、どのように混乱した社会においても、真に自分を救うには自分の中に
 存在する神に触れなければ救いの一歩すら踏めないのだと説いた。

 誤解をしてはいけないのは、親鸞も道元も上なる(神なる)ものを目指して常に
 生きていたということでは一致しているということである。

 共に神なるものを目指し進んでいた。
 人々を救うのだという情熱と慈悲の心を兼ね備えていた。
 
 その思いは共に一致していたが、多くの衆生に教えを伝え、導く手法が
 大きく異なっていたということである。


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● 現代も眠りの中にいる

 現代の我々の認識の力では、到底、古代の人々には近づけない。
 近代、現代が生み出す芸術もちっぽけである。
 あらゆる学問が弱まっており、特に哲学は瀕死の状態である。

 (科学だけは、まあ頑張っている)

 それだけ現代は
人間の力が弱まっている
 現代の我々は、いまだ眠りの中にいる。

 現代の貧弱な時代を、偉大なるローマや賢明なるギリシャなどと比べること
 などまるでできない。
 多くの人々がこの世界を真に生きるという意味を真剣に語り、社会にまで
 その意味を広げる動きが、近代を含めて、世界の地域に1つでも
 存在するのであろうか?

 もちろん、どのような時代においても目が覚めている者達はいる。
 大多数の人々が眠りについている迷妄と愚鈍の時代であっても、目が覚めて
 いる者達がいある。それは
天才である。

  真に目覚めていた天才達 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
 
アルトゥル・ショーペンハウアー                       イマヌエル・カント

 カントゲーテショーペンハウアーなどである。
 
シェークスピアスウェデンボルグ出口王仁三郎である。
 天才のみが真に目覚めている。


 300年後の24世紀、多くの人々がいったん眠りから目覚める時が訪れる。
 それまでの間、人々はさらなる深い眠りにつくのだろうか?

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の天才へ
        『 稲穂黄金の未来の学者へ


 ● 釈尊と歴史

 この世界は諸行無常であり、千変万化である。
 天才・
釈尊が述べた通り、この世界は常に変化し続ける。

 この世界の変転し変化するものに真実の姿はなく、その奥に変化にも
 揺らぐことのない、永遠なるものがある
のだと釈尊は述べた。
 釈尊はあの慈悲をもって丁寧に、人々にこの真理を述べ伝えた。

 歴史の真髄もまさにこれと同様である。
 歴史を学ぶ人々に、人間社会は変化し、社会情勢が刻々と変化していく様を
 教える。そしてその変化する中にあっても、それに揺さぶられながらも
 人間として貫いて生きた者達がいることを伝える。

 確かに時代はめまぐるしく変化する。時代、時代に大切なことも変化する。
 時代により社会的な価値観は代わり、多くの人々がそれに振り回される。
 
 なれど、どのように人々の価値観が変化しようと、あらゆる時代を越えて
 人々の心に届く価値観が存在する。
 行動、勇気、英断、その他の人間の美点など、これらのものはあらゆる時代
 の人々に共通の価値として届く。
 またそれらに混じって、人間の欠点でさえも現代の我々に届く。

 人間として、本来あるべき姿で生きた人々の生き様は、あらゆる時代の人々に
 強い印象を残す。釈尊やイエスのような偉大な人と同じ時代に、同じ場所で、
 同じ空気を吸って同じ時を生きられたなら、これ以上の幸せはない。
 釈尊やイエスはまさに
人間の上なる(神なる)有り方を体現している。

 しかし、釈尊やイエスと時を同じく共に行動できる人の数は限られる。
 直接そのような機会に恵まれる人は極々、わずかである。

 だからこそ
歴史を紐解く意義がある。
 長い歴史の中に人間の可能性を発見する 歴史を学ぶことで、それらの人々の
 存在を知ることができる。 どのような時代に生まれたとしても歴史を知ることが
 人間の真の姿を忘れない為の一助となる。

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● 21世紀の歴史

 数百年後の人々が21世紀とはどういう時代であったと聞かれたならば以下の
 ように答えるだろう。以下の3つである。

  @ 
資本主義の衰退
  A 
超人の誕生=人間の可能性への問いかけ
  B 
ユダヤ的世界観の揺らぎ

 上記の詳細についてはとてもここでは語れない分量となる。
 詳細は以下のサイトに譲るとして、ここではその大まかな意味だけを述べて
 おくことにする。

 
21世紀中盤以降、資本主義はある出来事を切っ掛けに衰退し始める。
 見た目には気付きにくいが、しかしゆっくりと確実に衰退を始める。
 もちろん、21世紀に生ある者達は、資本主義下で生きることになる。

 資本主義は22世紀まで続く。
 衰退は21世紀の中盤において始まるが、資本主義が消滅するのは22世紀の
 ことである。

         動画           テキスト

     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の社会学者へ
        稲穂黄金の未来の資本主義へ
        稲穂黄金の未来の経済学者へ
        稲穂黄金の未来の日本へ
        稲穂黄金の未来世界2
        稲穂黄金の未来世界3



 ● 資本主義と人間の原型@

 どこまでも完備されていく資本主義。
 資本主義が生まれて200年以上の時が経っている。
 資本主義の発展により社会は完備され、人間社会の仕組みも資本主義に
 沿うように作られてきた。人間の日々の営みにも資本主義は入りこみ、
 人々の価値観までも規定し始めた。
 
 資本主義の力によって人々の生活は豊かに、また社会は便利になっていった。
 豊かで便利なものを確かに人間も望んでいた。

 しかしだからこそ、人間がこの世界を生きる意味を曇らせ、その意味から
 ますます、遠ざけさせてもいる。

 
動物園で暮らす動物達は幸せであろうか?
 毎日の食事に困ることはない。天敵に襲われる心配もない。
 どこにも動物達が不幸な要因は見当たらない。

 
サーカスで芸を披露する猛獣は幸せだろうか?
 人間の言う事を聞かなければ、鋭いムチが飛んでくるが、人間のいうことさえ
 聞いていれば餌には困らないし雨風を凌げる檻暮らしである。
 どこにも動物達が不幸な要因は見当たらない。
 生まれた頃から、その中で暮らしていればそれが当然のごとくに思える。
 サーカス団で生まれた猛獣は、狩りを忘れ、天敵から身を守ることを忘れ
 日々、安逸の中で暮らすことになる。

 
この動物達と共通するものが現代の人間にないといえるのだろうか?
 完備された資本主義の社会の中で暮らすことに慣れた人間も、動物園の
 動物達と同じ一面を見せているのではないか?

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 ● 資本主義と人間の原型A

 生まれた頃からサーカス団で暮らす猛獣が、野生に戻り、狩りをして生きること
 は一筋縄ではない。
 サーカス団の場所が居心地が良いものであればるほど、安逸であれば
 あるほど
サーカス団の猛獣が野生に戻ることは難しくなる。

 
完備された社会に生きる人間もこれと同様ではなかろうか?
 便利で合理的精神に基づいて作られた社会。
 経済活動を第一とし、効率的な運営によって支えられ、それに沿う形で
 人間社会のルールも変化してきた。
  人々の道徳的観念も、ある程度それに沿う形に徐々に変容した。
 社会においてある一定の成果を出すことが良いことだという資本主義的な
 考え方が、人々の価値観として推奨され、現実に普及している。

 しかし、
サーカス団の猛獣が時に調教師に牙を向くことがあるように
 人間の本能が抑えられずに社会に牙を向く事がある。

 サーカス団の猛獣の中で、くすぶり続けた本能が時たま、表に顔を出す。
 これと同様に、どれほど完備された社会の中で生きようとも、人間が人間として
 真に生きることから遠ざかれば遠ざかるほど、人間の中にもくすぶり続ける本能
 が蓄積されていく。
  人間の奥底にある、人間として生きることと、実社会で結果的に生きている
 姿のズレが、着実に蓄積され、時に人間社会に牙を向くことさえある。
 その満たされない鬱積が
戦争という形で戻ってこないと誰が保証できよう。

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● 本来の姿と安逸の日々の間で

 調教師に牙を向いたサーカス団の猛獣も、次の日には、何事もなかったように
 日常のサーカス団暮らしに戻ってくる。
 野生の本能の片鱗を見せてもそれは僅かな時間に限られる。

 同じようにどれほど社会に不満をもった人間も、時が経てば何事もなかった
 ように完備された人間社会へと戻ってくる。

 人類が資本主義に浸り続けてはや200年は過ぎた。
 資本主義体制下で生きる我々は、いつのまにか、この社会のありようが
 我々にとってのルールであり、世界であるかのように思っている。
   人間がこの世界で何をする為に生きてきたのかさえ、まるで思い出せずに
 安逸の日々を過ごすことになる。
 過ごせるままに過ごしていて良いのかと思い始め、また不安が兆してくる。

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● 資本主義と超人の誕生

 生まれた頃からサーカス団にいる猛獣が、
野生本来の姿
 取り戻すことなど果てして可能であろうか?

 一度野生から離れた動物が野生に戻ることは並大抵のことではない。
 人間がどれほど手を尽くそうが野生に戻すことは難しい。

 飼いならされた猛獣は、その安逸な日々から離れがたい。
 なれど、その猛獣の眠りについた野生の本能が呼び覚まされることがある。

 
野生で生きる猛獣の姿を眼前で見たときだ。
 サーカス団で飼いならされた猛獣は、野生の猛獣の姿を一目見たときに、
 眠っていた本能が揺さぶられ、目を覚ます。
 猛獣としてあるべき真の姿をそこに見たのだ。

 これと同様なことが人間にもあるのだろうか?
 人間として真の姿を体現する人間がこの人間社会に現れるだろうか?
 人間本来の姿を体現し、実践する間など、現れるのだろうか?
 真の人間とはこのようであり、このような生き方なのだと、多くの人々に
 そう思わせる人間など現れるのだろうか?

 資本主義社会にどっぷりと浸かって暮らす人々。
 給料の上がり下がりに一喜一憂し、お金が入れば商品を買って、そうやって
 衣食住中心の生活の中で一生を終える大多数の人々。それらの人々の目を
 完全に覚ませることができる人間など果たしているのだろうか?

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● ニーチェと超人@

 これこそがニーチェの問いであり、ニーチェが語った
超人像である。
 ニーチェが生まれた時代はまさに資本主義がうねりとなって人々の価値観を
 根こそぎ奪い去った。
  ニーチェはだからこそこう述べた。
神は死んだ!と。
 人間がこの大地を生きる問いを忘れ始めたときから神もまた死に向かった。

 そして
ニーチェはこう予感した。
 人間がどれほど安逸で完備な社会で暮らして、人間が人間として
 生きる意味を忘れようとも、その本能の抑圧が積もり積もって、
 いずれ人々は超人を強く求め始めると。
 そしてそれらの社会の中で埋没した多くの人々の内面に強く働きかけ
 人々の目を真に覚ますことができる人物が目の前に現れる。
 
それが
超人であると。

      
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
        
      資本主義下の中で、経済的利益一辺倒になる人々もいずれ、超人登場
      よって、再び
人間とは何かを問う時代がくるとニーチェは予感した。

 鋭敏なニーチェは、資本主義の末期に訪れるだろう現象を明確でないとしても
 ぼんやりとではあるが、そのイメージをキャッチしていた。

         動画           テキスト

      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の社会主義者へ


 ● ニーチェと超人A

 人間の真の姿を示す人間が生まれるのではないか?
 この存在こそが
超人である。

 資本主義がますます世界中に広がり、整備されるようになる。
 21世紀はまさにその最大にして最後の世紀である。
 インターネットの存在が、資本主義の普及を加速度的にする。

 資本主義の普及に比例して、確かに人々の生活は便利になり貧富の差が
 生まれたとしても、誰もが実質的に豊かさを利用できる。
 便利で豊かな社会になればなるほど、それに伴う価値観やルールが構築され
 人間が真に生きる意味を曇らせていく。

 現代、どれだけそのズレが蓄積されたのかも人間の目には捉えられない。
 なれどそのズレが許容範囲を超えた時、その力は大きなうねりとなって
 完備された人間社会に牙を向けるかもしれない。

 だからこそ超人が必要なのである。
 人間社会がもたらした価値観に縛られず、それを越えて真に生きる人間。
 人間の本来あるべき姿を体現する者の存在こそが必要である。

 それによって
人々によって蓄積されたズレが少しずつ解消されていく
 社会は急激な破壊を伴わずに変化していける。

 鋭敏なニーチェは、この資本主義がどこまでも人を飲み込み、定められたルール
 がいずれは人間を強烈に縛り上げるだろうことを予感した。
 人間にとっては分が悪いことに、資本主義の縛りは人間の目には見えない。
 だから、人間はいつの間にか羽交い絞めにされたことすら気付かない。

 その時に、この世界を生きる理想的な人間像、人間の真の姿を体現する人物が
 我々の前に現れ、人々の目を覚まさせる。
 これこそがニーチェが心に抱いた超人である。

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● 超人の登場、その可能性の是非

 人々を覚醒させ、人々の目を完全に覚ますことができる人間とは誰のことで
 あろうか?そのような人物とはいかなる人々か?

 それこそ、釈尊であり、イエスである。
 また老子であり、孔子であり、空海である。
 スウェデンボルグであり、出口王仁三郎である。

 しかし本当に今後の未来において、人々を覚醒させ、人々の目を完全に
 覚ますことができる人間など生まれるのだろうか?
 それほど資本主義の力も強力であり、それにそって国家も有り様も人々の
 価値観も整えられてきた。

 安逸の日々の中から、超人など生まれるのだろうか?
 釈尊も、イエスも、空海も、その時代の有り方が人々に彼らを希求させた。
 しかし資本主義下において、ますます完備され安逸に暮らすことが可能な社会
 において、人々が真に目覚めたいと望むだろうか?

 その是非の詳細はここでは述べないが、されど21世紀中盤以降、人々は
 超人を希求するようになる。
 なぜなら、
資本主義そのものが衰退し始めるからだ。
 その衰退は人々の目に見えない。
 人々は最初、資本主義が衰退し始めたことには気付かない。
 なれどその衰退が徐々に進むにつれて、人々の中から、今まで押し隠してきた
 
空虚感、失望感が急速に湧き上がってくる。

 その言い知れぬ不安が、人々に超人を求めさせる。
 21世紀の中盤以降、多くの人は、声には出さない超人を待ち望む。
 超人の存在を意識していなくても、そんな超人を待ち望むのだ。

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 ● 超人は今、存在している

 ここでは
敢えて以下のことだけを語ることにする。
 人々が21世紀の中盤以降、希求する超人。
 22世紀の人々が心から待ち望む超人。
 釈尊やイエスや老子などと同列なレベルの超人を未来の人々は待ち望む。

 未来の人々が心から待ち望む超人。
 しかし
超人は既にこの世界に生まれている。
 人間の本来の有り様を体現し、人間のもっとも上なる面を前面に押し出して
 生きる人物が既に存在している。
 しかし現世に生きる人の大多数は彼の存在に気付かない。

 その超人の名は
深見東州
 彼こそが真の超人であり、ニーチェが予言した超人である。

 深見東州さんは、まさに別格である。彼は21世紀の世紀を代表する人である。
 
世紀を代表して、他の世紀の偉人・賢人切磋琢磨しているのだ。
   
 世の多く人々は、東州さんに気付かない。人類の大部分は迷妄と愚鈍の内にあるからだ。
 大多数の人々は、
学問がまるで至らない為に、東州さんの存在の意味に気付かないのだ。

 現世に生きる多くの人々は深見東州さんの存在の意味を知らない。
 現代に生きる大多数の人々は迷妄と愚鈍の内にある。

 なれど22世紀になれば、世界中の人々は深見東州さんの名を知ることになる。
 さらに23世紀になれば、ヨーロッパの人々がイエスのその名を知るように
 アジアの人々が釈尊のその名を知るように、世界中の人々が深見東州さんの
 その名を知るのだ。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の深見東州



 
● 22世紀の歴史

 数百年後の人々が22世紀とはどういう時代であったと聞かれたならば以下の
 ように答えるだろう。以下の3つである。

   @ 
神の誕生
   A 
資本主義の消滅
   B 
ユダヤ人のユダヤ的世界観からの別離

 人類にとって資本主義は多大な影響を与えてきた。
 実際に資本主義が西洋に急激に広がった19世紀、その時代に生を過ごした
 者達、特に若者にとって、資本主義が中世的な雰囲気をことごとく破壊し、
 変化させる様を、その目でまじまじと見のだ。
 それらの青年の1人が後に『神は死んだ!』と発言した。
 これらの時代に生を受けた若者にとって資本主義の影響は切っても切れない。
 時代が彼らを生んだ。

 その資本主義が22世紀には消滅するのだ。
 人々の人心を大きく揺さぶったその資本主義が消滅するのだ。
 伝統的価値観に変わって人々の心を独占してきた資本主義的な考え
 その考えを土台にして生きてきた多くの現代社会と現代人。
 その資本主義が、人々の前から徐々に姿を消すに従って、人々の心には大きな
 穴が生まれ、そこに空虚さと不安が入り込んでくる。

 資本主義の熱狂は確かに人々の心から神を失わせた。
 19世紀に資本主義によって一端は滅ぼされた神が、22世紀には資本主義の
 消滅に伴い、今度は人々が強く神を求め始める。
 22世紀に
神は復活する!のだ。

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● 資本主義の消滅と人々

 神の座を退けて押し入ってきた資本主義も22世紀には消滅する。
 しかし資本主義が座っていたその場所に座るものは誰もいないのだ。
 空位となる。

 大多数の人々は外的な変化が、自分の内面にもたらす影響の大きさについて
 気付かないし理解しない。外的な環境を強く受ける人ほど、まるで気付かない。
 資本主義が入り込んできた時に、人々の間から無数の主義・思想が生まれて
 は消えた。それだけ不安であったのだ。

 今まで人間の内面の一部を占めていた資本主義が生み出した価値観が
 資本主義の衰退と共に、人間内部から離れていく。
 それにより人間の内面の所々に
穴が開き始める

 人によって無数の穴があく。
 仕事を生き甲斐に働いていた人間。
 社会に貢献することが自分の生きる意味と考えて生きてきた人間。
 それらのルールや価値観を作り出してきた資本主義が消滅することで、
 人々の内面にも多数の穴が生まれるのだ。

 仕事一筋で生きてきた人間が、定年を迎えて何もすることがなく抜け殻のように
 なって日々を過ごすことに似ている。

 今度はその穴を埋めるべく人々は、その穴を埋めてくる人を希求する。
 人々は生き方の指針を示す人間、つまり超人を希求する。
 人間の生き方とは?と、そこで初めて人間の一歩を真剣に歩み始める。

 資本主義は21世紀の中盤から衰退をはじめ、22世紀には完全に消滅する。
 21世紀には超人が求められ、22世紀には神が求められる。
 22世紀に神は復活するのだ。

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● 社会の荒波と社会学者、そして貧弱な哲学学者

 人間の内面を洞察し、それが現在の社会とどのように関わり、どのような影響
 を与えて変化するのかを、ある程度読み解くことが社会学者の仕事である。
 広く深い視点をもって、社会全般を洞察することが社会学者には必要である。
 しかし、現代の社会学者の力は著しく低下している。

 なぜこうなるかといえば、人間が何ゆえにこの地上を生きているかという
 
真剣な問いが人々の間から少なくなったからである。
 
 たとえ人々の間からそのような声が聞かれなくても人間の奥底に強い欲求が
 眠っているものなのだ。そこを読み取ることが社会学者には必要である。
 
 社会学者の力が弱まっていることを社会学者だけのせいするのは酷である。
 問題は
哲学学者のあまりの力不足による為である。
 人間がこの世界をどのように生きるかという問いこそが哲学の問いである。

 現代において学問の力がこれだけ弱まっているのも、この最初の問いを発する
 べき
哲学が瀕死の状態にある為である。

 学問全般が低下の一途を辿っている。哲学が死に絶えようとしている為だ。
 特に日本の大学哲学は酷い状態にある。残念ながら日本の大学哲学には
 何の希望も見出せない程のレベルに堕ちている。

 21世紀、22世紀には大きな波が人間社会に訪れる。
 優れた社会学者の存在は重要である。
 でなければ社会に大きな混乱がおきかねない。
 22世紀にはマックスヴェーバー級の社会学者が最低3人はいて欲しいものだ。
 5人いれば、だいぶ心強いものであろう。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の社会学者へ



 
● ユダヤ人のユダヤ的世界観からの別離@

 資本主義の急速な発展が19世紀、20世紀を生きる人々に多大な影響を
 与えたように、21世紀中盤以降の資本主義の衰退、22世紀の資本主義の
 消滅も人間社会に大きな影響を与える。

 なれど、
ユダヤ人の間からユダヤ的世界観が離れていく影響
 比べたらまったくとるに足らないである。
 それだけユダヤ人からのユダヤ的世界観の別離の影響はすさまじい。

 
ユダヤ的世界観との別離 > 資本主義の消滅

 ユダヤ人は霊的に優れた民族である。
 だからユダヤ人からユダヤ的世界観が離れていくときに、現世的な影響に
 以上に、目に見えない世界、神霊的な世界の意味も大きいと推測される。

 22世紀にの神霊家はこう表現するかもしれない。
 『 人間社会における混乱や不安以上に、神霊世界、霊界、地獄界
   における霊達のざわつき、不安や期待が大きい。
   その混乱が形を変えてこの大地にもたらされるかもしれない。 』

 ユダヤ人からユダヤ的世界観が離れるとき、多数の善神に劣らず多数の悪神
 もそこから解き放たれる。それが世界中に飛び火して世界中に飢餓や戦争
 などが起きると考えることは飛躍のしすぎかも知れない。
 なれど、まんざら否定できない。

 22世紀にも出口王仁三郎や深見東州さんに匹敵する本物の神霊家が
 生まれているかも知れない。仮にそうだとしても、その神霊家は敢えて口に
 出して霊的な意味を説明はしないだろう。それはそれで良いのだ。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来のユダヤへ



 
● 22世紀の学問と神霊家

 ここで敢えて神霊家の名を口にしたのも、社会における災いや混乱に対して
 まず始めに
学問の力、芸術の力で乗り越えて欲しい
 願っているからだ。
 もちろん、この世界には人智を超えたものが存在する。
 我々人類に備わっている知性などは頼りない存在である。

 なれど、その力こそ、我々が表立って使用することを許された力でもある。
 学問を貫きとおすことで、それだけの力が生まれる。
 学問の力によって克服しようとする姿勢が大切である。

 正等の学問や芸術の力を通じて、そこであらん限りの力を尽してこそ、我々の
 背後に神が駆けつけてくれる。その時、神々のご加護があるのだ。

 学問と芸術の道を進んでこそ、真の宗教家や真の神霊家の存在が生きてくる。
 この世には我々人間の知性の形式では理解できぬものを含む。
 自然もまたその1つである。
 世界中に形は違えどあらゆる宗教が存在する。
 人々が人間では理解できないものを予感している為だ。

 ユダヤ人からユダヤ的世界観が離れていくことは、この世界に多大な影響を
 及ぼすことになる。その時、本物の神霊家、宗教家の出番である。
 なれど多くの人々にとっては、学問と芸術に裏打ちされた力こそが一番力を
 発揮する。
 22世紀には神霊家、宗教家の力が必要であるが、哲学者、社会学者、科学者
 の力もそれ以上に必要となるのだ。

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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の神霊家へ
        『 稲穂黄金の未来の学者へ


 
● 出口王仁三郎と未来@

 あえてここで述べておくが、出口王仁三郎はユダヤ人の間からユダヤ的
 世界観が離れることなど当に承知していたと思える。
 王仁三郎は、それをあえて口にださなかったが彼はそんなことは百も承知で
 見通していたのではないかと思っている。

 出口王仁三郎の未来を見通すことは多くの証によって語られている。
 日本が戦争で負けること、どのように負けるかも、占領される期間までピタリと
 符号している。
 大本(教)に起こることは日本に起こることだと述べた大本の雛形論は無視
 できるものではない。

 そんな未来まで見通す王仁三郎がこの世に残した
霊界物語。
 そこには未来の先の先までも書かれている。

     出口王仁三郎は未来をことごとく予見した。
     王仁三郎こそ日本人のあるべき姿、人間のあるべき姿を表し、それを体現していた。
            
            
出口王仁三郎。近代の日本が誇る世界第一等神霊家

 それは秘め置かれた形で書かれており、見た目にはなんのことかわからない。
 ある出来事が起こってから、その出来事を表すような意味の物語がそこに
 あることに気づくという具合である。
 
 霊界物語はあらゆることが物語風に表現されている。
 ある出来事が起こった後に、霊界物語を冷静に読み直すと、まるでそのことを
 意味することが見つかるのだ。
 霊界物語とは、そういう書物である。

 霊界物語の中に、ユダヤ人からユダヤ的世界観が離れるなどと具体的に
 書かれた記述などはもちろん見当たらない。
 もしかしたら、その意味もどこかに秘められているのかもしれないが、
 秘められていないのかも知れない。私にはわからない。
 仮にそれが分かっていても敢えて人々に語ることもない。

 この霊界物語は、読む人が読めば違う形で語りかけてくる。
 見る人が見れば、違った形で語りかけてくる書物である。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の出口王仁三郎
        『 稲穂黄金の未来のユダヤへ


 ● 出口王仁三郎と未来A

 これほどの本をこの世界に書き残した出口王仁三郎はあの世で神様に
 怒られたことだろう。なぜなら、神々は人間は学問と芸術の力によって
 述べていくことを第一に期待するだろうからである。
 未来をこれほど具体的に捉え、そして書き残した王仁三郎が、その未来に
 敢えて霊界物語の書を残したことには、よほど意味があるのだろう。

 だが我々にとっては正等なる学問、芸術こそ拠り所とするものである。
 本物の学問、芸術によってこそ我々の人類の力は上昇する。
 神霊世界を扱う神霊家や宗教家の多くが、真剣に学問や芸術に取り組む
 のもその中に、神に通じるものを見ているからだ。

 出口王仁三郎も学問に、芸術に慣れ親しんだ。
 哲学を真剣に学び、それらを超えて進もうとしていた王仁三郎であればこそ
 霊界物語を書き残し、この現世に残すことが何を意味するかなどは
 誰よりも分かっていた。王仁三郎はそれらを含めて未来を物語る霊界物語
 を書き残した。王仁三郎の覚悟の程が伺える。

 王仁三郎の後に残された我々は、学問と芸術の力によって多くの困難を
 乗り越えることを第一にすれば良い。
 もちろん、本物の神霊家や宗教家も世に出て、人智を越えた力を発揮すること
 もあるが、それでも多くの人々にとって、学問と芸術が基本であり、そこにこそ
 人智を超える力が宿るのだ。

ユダヤ人のユダヤ的世界観からの別れが人間社会に大波をもたらす!
  学問の道を志す若者よ!学問の真底を極め、時代に備えるのだ!


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● 23世紀の歴史

 超人を待ち望んだ21世紀。神が復活した22世紀。
 21世紀の資本主義の衰退。22世紀の資本主義の消滅。
 22世紀のユダヤ人の間からユダヤ的世界観の別れる。

 21〜22世紀にも不安と動乱の兆しがある。
 多くの波風が起こり、人間社会が混乱する可能性が高い。
 なれど人間が、人間の有する可能性を展開するならば恐れることはない。
 人間にはそれを乗り越え、さらなる高みへと到達する力を秘めている。

 それを古代の人々は示した。
 古代ギリシャ、古代ローマ、古代中国、古代日本、さらには日本の平安時代。
 これらの時代は、人間の可能性を示した。

 資本主義が急速に広まった19世紀、20世紀、人類は大きな皆風に襲われた。
 人々は多くの思想を求め、百花繚乱のごとくに思想が生まれては消えた。
 優れた者達はその中にあっても己の道を貫いて生きた。
 資本主義の急速な発展の中、揺さぶられた青年達は、後世にその名を残した。
 ニーチェ、マックスヴェーバー、マルクス、ドストエフスキー、トルストイなど。
 知的能力は異なり、行動力も様々であった彼らだが、彼らは彼らなりに
 資本主義の中で己を表現し、道を貫いた。

 しかしこの
23世紀において世界中の人々が知る名は彼らの内にはない。
 もちろん彼らの名前も、なんとかこの世紀にも届いている。

 23世紀において世界中の人々が知る名は
深見東州

 神なるものを核にして、あらゆる分野で縦横無尽に活躍する深見東州さん。
 能、京劇、オペラ、書家、俳人、画家などあらゆる分野で活躍する。
     いずれの作品も素晴らしく、またその有り様(≒生きる姿)が実に素晴らしい!
 このような人が、この現在に、この地上に、さらにこの日本にいるのだ!う〜ん!

 何度でも述べよう。
 西洋の人々がイエスのその名を知るように、東洋の人々が釈尊のその名を
 知るように、世界中の人々が深見東州のその名を知るだろう。
 それだけの人間が、今、この時に、この世界に、この日本に存在するのだ。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の深見東州



 ● 23世紀、中心に彼がいる

 深見東州さんの意味を語ると、とてもこのサイトでは語りつくせない。
 またこのサイトの本意ではないので、ここでは一言だけ述べておく。

 21世紀、22世紀に起こる様々なこと、それらは一見無関係に見えて関連がない
 ことに見えても、その中心には深見東州さんがきっといる。
 中世以降のヨーロッパに生きる人々の頭の中には多かれ少なかれ、常にイエス
 の存在があったように、23世紀の人々の頭の中には深見東州さんが存在する。

 現代日本において(日本に限らないが)、学問の道に進む者、芸術の道に
 に進む者達の目的の先に、深見東州さんの姿が見えないようなら、あなたが
 歩んで道は不充分である。まだまだ不充分で貫けてないということだ。

 あなたがどれ程、学問や芸術の道を真剣に進んだとしても、その先で
 深見東州さんに出会えないなら、その道は至っていないのだ。

 至らないから深見東州さんの意味がわからない。
 至っていないからそれが見えないのだ。
 深見東州さんとはそれだけの人である。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の深見東州
        『 稲穂黄金の未来の求道者へ


 
● 未来の歴史家へ@

 歴史家の仕事はその時代を人々の姿を活き活きと伝えることにある。
 歴史家は、人間の姿を描かなければならない。
 この地上がどれほど苦で覆われようと、その中で、勇敢に生きた人間を描く
 必要がある。様々な逆境の中で、その中で選択し、生きた方を貫いた人々が
 いることを描くことにある。
 歴史上に名を残した人々の多くがそう生きた々である。

 世の中の流れは確かに我々人類には予想しがたい。
 人間の力が働く人間社会とて予想もつかない方向へ動き出すことがある。
 人間の力がまるで及ばない転変地変によって影響を受ける人間社会の動向
 などは皆目、検討もつかないものだ。
 しかし、仮にどのような方向に進もうとも、その中で人間の姿を捉えるのが
 歴史家の仕事である。

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 ● 未来の歴史家へA

 人間の真の姿を描くのは確かに文学の仕事である。
 なれど
文学には結末があり、終わりがある。
 終わりのない人間のドラマ、今日の出来事が明日の出来事に確実に影響を
 与え、次代の人々の変化する模様を描くのは歴史家を置いて他にはない。
 
歴史とは、互いに幾多もの影響を及ぼしあった人間ドラマである。

 歴史家は、この世界に生きた人々の生き様を伝える。
 歴史家が語る物語は、現在を生きる我々を強く励ます。
 人間の真の姿を見つめ、この世界の実情を把握し、この世界で生きる人間の
 苦難や悲しみ、それを乗り越えようとする勇気、それらの人間の可能性を描く。

 未来の歴史家よ!
 誰よりも人間の可能性を信じる
人間の理解者であれ!

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