文明とは 文明には常にその内部に迷いが潜んでいる。なぜなら人間自身が迷っているからである。
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大企業の経営者の話は聞かない方が良い16の理由   
巷では経営者による人生話の本が多く出版されている。しかしこれらの話を鵜呑みにするのは危険だ。眉に唾をつけて聞く必要がある。
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文明とは
文明の主役は人間である。人間は集団で暮らす為にさまざまな対策を考えた。
なれど文明はそれらの対策によって生まれるのではない。
情熱が必要なのである。その情熱に皆が心を合わせ、力を合わせることが・・。

 
● 文明とは

 我々人間の価値観も、時代、時代によって常に揺れ動いてきた。
 一つの時代の中でも様々な価値観が乱立した。
 
 人間が多く集まってくると様々な問題が起こる。
 さらにその数が増え、都市が形成されると、さまざまなルールを作らなければ
 やっていけなくなる。

 人間の知恵と工夫で、それらの問題を押さえ、人間本来の姿をできるだけ
 展開しようと国家は試みる。
 国家が多くの問題を解決していく過程で、文明の種は育まれている。

 人間に迷いがあるように、もちろん国家にも迷いがある。
 人間に恐れがあるように、もちろん国家にも恐れがある。
 なれど、それらの迷いと恐れを振り払う時に、国家は偉大な文明へと飛躍する。

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● 文明に影響を与え続けたもの

 人類の長い歴史を見るときに大切な視点は何であろうか?
 文明に影響を与え続けたものは何であろうか?

 共和制とか君主制とか帝政などの政治体制などでは決してない。
 民主主義や資本主義や共産主義などの社会体制や経済体制などでもない。

 それらの事は、文明史を語る上では枝葉末節のことである。
 もっとも重要な点は以下の関係にある。

 
生きんとする意志肯定否定、それと文明
 との関係である。
 もっと言えば、神と仏と文明の関係とも言える。

 文明論を語る上で、この視点は決してはずせない。
 あらゆる文明がこれらに影響を受け、その対応に腐心してきた。
 (神と文明)の項目にて、整理してまとめてある。 そちらを参照して欲しい。
 話を先に進めていこう。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の神と仏と人間と


 
● 文明が有する力

 ある国家が、文明とまで呼ばれるまでに多くのことを乗り越えなくはいけない。
 近道などはないのだ。
 偉大な文明には以下の4つの力を有する。
 以下の@〜Bまでであれば、偉大な国家と呼ばれる。
 さらにCまで加われば、その国家は文明とまで呼ばれる。

  @ 人間その者に対する深い理解
  A 
人間が社会を形成し、集団で暮らす為のノウハウ
  B
 人々の意識を統合し、1つにする力
  
C それらの目標に普遍性がある

 まず何よりも文明と呼ばれるまでの国家には、人間そのものに対する並々
 ならぬ理解がある。人間学がとても優れている。
 その洞察力が半端ではないのだ。
 
 また文明には、それらの人間が一箇所に集まって都市を築き、協力して
 生きる為に必要なノウハウが存在する。
 これがうまくない国家は、長続きせずに歴史上からすぐに姿を消す。
 反面、この力を有する国家は、大きな富を獲得することができる。

 さらに文明は、そこに集まって住む人々の価値観を統合し、国家として
 ある一定の方向へ進めていき、偉大な業績を人類史上に残すことになる。
 特にこの力こそ、これらの3つの中で特に重要なものである。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
       『 稲穂黄金の未来の国家


 
● 異様な熱気
 
 ある国家が文明と呼ばれるまでには、表現しがたい
異様な熱気がある。
 文明も人間の力によって作られる。人々の強い思いが1つにまとまって進む時
 に人々は一体感を感じ、そこには異様な熱気がある。

 人々の様々な価値観がある。なれどもある点に関しては、1つに統一されて
 可視化された形となって表現されるまでになるのが文明である。

 歴史上にはたくさんの文明が生まれた。
 哲学と芸術が花開いた
古代ギリシャ
 高度な知識を有し、神への愛と人類愛に支えられた
古代エジプト
 高度な建築術、そして学問と芸術の人間の可能性が花開いた
古代ローマ
 この世界と真剣に対峙して神なるものに真に迫った
古代インド
 神と悪魔との対比を見事に描き、壮大な物語を創り上げた
古代ペルシャ

 彼らは
国民全体で大きな1つの夢を見たのだ。
 
すさまじい熱気が国家全体を覆っていた。

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● 文明までに至らなかった国家

 人類の歴史には様々な国家が登場した。
 強大な勢力を誇った国家もあったが、文明までは中々至ることはなかった。

 強大な国家になったということは、国民全体に共通の意識が形成された事を
 意味するが、それが文明と呼ばれるまでに至らなかったのは、人間に対する
 理解が深くまで届かなかったか、または予想もしない出来事により他国に
 滅ぼされたことによる。

 武勇を何よりも誇りとしたスパルタ。神と強さを誇ったヒッタイト。
 商売だけに専念してローマ人に嫌われたカルタゴ。

 この大地には、様々な国家が生まれては消え、生まれては消えていった。
 これらの国家の中で、後世の人々が文明とまで呼ぶものは、ほんの一握りに
 過ぎない。
 これらにあげた国家は実に偉大な国家ではある。
 人々の意識も共有され、大きな夢もあった。
 だけれども道半ばで倒れ滅びたものも多ければ、それが人類の普遍的な
 価値をもたらす文明にまでなれなかったものもある。
 もちろん歴史上の大文明であっても、いつまでも繁栄し続ける事はできない。

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 * モンゴルは世界帝国を築き上げたが、モンゴル文明と呼ぶものはいまい。
   モンゴルは偉大な国家ではあったが、人類の人々が感嘆する程の普遍的
   な価値をつくり、そこまで昇華するまでには、至らなかった。



 
● 偉大な文明の特徴@

 歴史上の偉大な文明。
 文明ごとに人々の価値観は大きく異なり、文明の形は様々であるが、
 それでも偉大な文明は、以下の共通を必ず保有するものである。

  @ 
国民が大きな目的(=を共有している
  A 
国の神話を愛している(国民的なつながり、一体感をもつ)
  B 
国家に対する貢献においては、国民1人1人が平等である

 偉大な文明には、国民共通の目的、つまり夢を共有している。
 それらの夢は、現代の我々には、非合理的な夢に見えることだろう。
 経済的な合理性があるわけでも、利便性を求めた夢なのでもない。
 
 それらは大きな夢と言ってよい。
 例えば、荘厳な宮殿建設や、ピラミッド建設、はたまた芸術作品などによる
 都市を彩ることである。
 それらがあっても、なんら経済的利益に即、結びつくということではない。
 当時の人々は、そのような経済的利益の求めて作ったのではない。
 古代人の意識は、現代の我々とはまるで異なるのだ。

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 ● 偉大な文明の特徴A

 それらの夢は、
非合理的であり非現実的にさえ見える。
 なれど彼らはそれを試みた。

 それらは
大きな夢といって差し支えない。
 古代の人々は、大きな夢を見るだけの力があった。
 それらの夢は様々な形として現れる。

 エジプト人にとっては、人々が死後に神なる国に入れるように、その知識を国民
 全員で共有することを試みた。さらには、1000年後に生まれるあらゆる人類に
 向けて、その叡智は伝えられた。

 人々のその情熱の高まりが、古代エジプトの建築物の壁面に、多くの言葉を
 刻ませた。さらに千年後にそれらの文字自体が失われていても、理解できる
 ように、言葉に合わせた鮮やかな絵画を施した。

  

 その絵画の色が落ちても意味が伝わるように、絵画の人物に沿ってに凹凸が
 つけられて、意味がわかるようにした。

 建物全体に、美しい意彫刻が施された。
 さらには建物全体の形自身に意味をもたせた。
 その代表的な1つが
ピラミッドである。

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● 大きな夢@

 大きな夢を見たのは、古代エジプト人だけではない。
 
 古代ギリシャ人も大きな夢を見た。
 
人間の美しさの展開であり、つまりは芸術と学問の隆盛であった。
 古代ギリシャ人は、これでもかというぐらいに人間の美しさを表現した。
 人間のもつ知力により知れる範囲を進み、あらゆる学問を打ちたてた。
 彼らこそ人間の美しさを誰よりも表現した天才民族であった。
 古代ギリシャ人ほど、人間の美しさを表現した者達はいない。

     
    
      
ギリシャ人ほど人間の美しさに気付いたものはいない。

 古代ローマの人々も大きな夢を見た。
 古代ローマは、古代ギリシャの人間の可能性の展開を受け継ぎつつ、さらには
 古代エジプトの愛を受け継いだ。

 古代ローマこそ、人間とは何かをあらゆる時代の人々よりも理解した。
 古代コーマは
寛容の精神をもった。
 この寛容とは、人間そのものに対する寛容であった。

 都市のあらゆる所に、人間の長所を伸ばす工夫と、また人間の短所に対する
 許しもあった。誰もがローマに魅了された。
 あらゆる制度が、人間の本質を見抜いた上で作られた。

 街と人がいったいとなってローマの美しさを醸しだした。
 彼らの都市は、多くの美しい彫刻が施され、建物は実に美しかった。
 なれどそれで完成ではない。
 
古代ローマ人がその街を歩き、その街に住んでこそローマは完成する。

 現代の我々がその時代のローマの街を歩いたら、ローマは完成しない。
 なぜなら現代の我々では、ローマの美しさを真に理解できないからである。
 古代ローマの都市に、
古代ローマ人がいてローマは完成する

  
  
 
    美しい都市だけではローマは完成しない。
     古代ローマ人がそこに
居て初めてローマは完成する。

 現代の我々など彼らにまるで近づけない。
 なぜなら現代の我々は、大きな夢を見る力も勇気もないからだ。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
       『 稲穂黄金の未来の歴史家へ


 ● 大きな夢A

 ローマの都市は実に美しい。まるで神々が微笑んでいるかのようだ。
 ローマ人は心から、ローマを愛した。
 ローマとの戦に破れ、ローマに属した国々もローマに魅了された。
 ローマ人には寛容の精神があった。
 美しい宮殿、彫刻に彩られた古代ローマ。
 ローマに足を踏み入れたものはローマに魅了されないわけにはいかなかった。

 
この都市を人間が作ったという事実が、あらゆる時代の人々に人間の可能性を知らせる。
  
   
    永遠の都ローマ                『古代文明ビジュアルファイル』より

 人類がこの地上を生きるという意味を真に理解していた。
 身分の差を越えて、人間そのものを許容した。
 身分差に関係なく、誰もが大浴場を利用し、図書館を利用し、娯楽に興じた。
 
 もちろんローマ市民になるには、それ相応の代価は必要である。
 戦が多かったローマ時代において、20年以上の兵役を勤め上げて、初めて
 ローマ市民の仲間入りができた。
 戦も多かったから、もちろん命を失うことも多々あった。
 それでも人々は、ローマ市民になりたかった。

 彼らはローマの何に魅了されたのか?
 それは古代ローマが大きな夢を見て、その夢にむかって、人々が力を
 合わせて進んでいることに共感し、その一員になりたいと欲したからである。

 古代ローマ以前の多くの文明には、そのような大きな夢があった。
 なれど古代ローマが隆盛を極めたときに、そのような大きな夢を見る国は
 もはやローマの周辺国にはなくなりつつあった。

 大きな夢を見れる力を有する国は、
ローマ1国になりつつあった。
 それゆえに、ローマには異様な盛り上がりを見せた。
 人類の最後の炎が、その消えるのを惜しむがごとく。


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● 人間を演じた古代人

 古代人と現代人の大きな違いは、古代人はまさに人間を演じたのだ。
 特に古代ローマ人はそうである。

 彼らの
人生そのものが舞台であり、彼らは誰よりも見事に演じた。
 舞台の演目は、ずばり『
人間』である。

 彼らは、その生涯を通して見事に人間を演じた。
 彼らこそ超一流の役者であり、人間であった。

 古代ローマの美しい街は、最上の舞台装置である。
 美しい装飾が施された舞台である。その上を古代ローマ人は演じた。
 彼らの人生そのものが劇場の舞台であり、演ずることが人生であると言えた。
 実に見事なで美しい物語であった。

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● 舞台にすら上がれない現代人

 これに比べて、近代・現代の我々は、その舞台の上にさえあがれない。
 あがろうとさえしていない。あがるのをあきらめてもいる。

 古代人は、簡単に舞台の上にひょいっとあがるのだが、我々には天高く
 感じて、いくら手を伸ばしても届かない。

 古代の人々は、まさに超一流の役者である。
 その一流の役者が、最高の舞台セットの上で演ずる。

 舞台セットそのものですらまるで比べることができない。
 現代の人々が作る舞台セットと、古代の人々が作る舞台セットを
 比べること天と地ほどの差がある。
 古代人が作る街並みは実に美しい。高貴であり、かつ、喜びに満ちている。
 それに比べ現代人が作る街並みは、雑多、アンバランスで、全体的に暗い。
 古代人が作る舞台の上にあがれる人は、現代にどれ程もいない。

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● 自然の側にいた古代人

 偉大な文明を築いた古代人は、自然から離れすぎることを警戒していた。
 古代ギリシャ人、古代ローマ人もなるべく自然から離れないように暮らした。

 彼らは偉大な文明を築いたが、あらゆる面において自然からは離れなかった。
 彼らの着る服は、人間の体の形がはっきりとわかるように、布をかぶせただけ
 のシンプルなものであった。
 何より彼らは人間の裸体の美しさを愛した。
 ローマ中にある人間の裸体の彫刻がそれを物語る。

 彫刻において、人間の美しさを際立たせた。
 また古代人が築きあげる建築もまったく無理がなく、自然と良く調和していた。

 この古代ローマ人の建築の美しさに比べて、中世のゴシック建築と比べると
 月とスッポンほどの違いがある。
 古代人から離れないことである。
 彼らの作り出す彫刻も建築も実に自然でありかつ無理がない。

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 ● 人間自身に対する洞察

 偉大な文明の特徴は、人間自身に対する洞察力がすさまじいことによる。
 大都市に人々が暮らせば、多くの問題が起きる。
 人間の内に様々な問題があり、それらの問題を軽視すると、とんでもない事態
 を引き起こすことになる。
 
 偉大な文明にはそれらに対する理解があり、対処があり、寛容がある。
 
古代人と現代人の著しい違いもここにある。

 古代の人々は、人間の欠点も受け入れた。
 だが近代、現代になると人間の欠点を嫌い憎んだ。

 古代人も確かに人間の欠点を遠ざけはしたが、それらを含めて人間だという
 理解があり、人間に対する愛があった。
 だからこそ古代人は、おおらかであり、勇敢であった。
 そして寛容であった。

 古代ローマでは何の神を掲げても問題なかった。
 他の神を、誹謗中傷しない限りにおいて、征服された民族も彼らの神を祭った。
 貴族、平民、奴隷と確かに身分の差はあったが、それでも身分差に関わらず
 皆が、浴場に通い、皆で議会の議決を見守った。また皆で演劇を楽しんだ。
 もちろん、座る席は身分によって決められてはいたが、誰もが一緒に楽しんだ。

 探究者が真理を素直に述べるだけで命を取られて中世ヨーロッパや、人種の
 違いにより蔑視され、殺された近世との大きな違いは、まさに人間自体に対する
 愛が違ったのだ。
 ローマは真に寛容であった。何に? 人間自身に対して寛容であった。

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● 貢献に対する態度@

 偉大な文明の特徴とはなんであろうか?
 
国民同士が非常に仲が良いという事に尽きる。

 もちろん身分差もあれば、貧富の差もある。権限も異なる。
 職業も異なれば、その代価も当然異なる。

 なれど、どのような身分であれ、仕事であれ、国家に対する貢献については
 誰もが同じであるという意識を皆が共有していた。
 各自が、与えられた仕事をこなした。あの人の仕事が、この人の仕事よりも
 ローマに貢献しているなどという、ひがんだ意識などはまるでなかった。

 
国家に対する貢献において国民の間に差異は無い
 たとえ貴族であれ、知識階級であれ、平民であれ、奴隷であってもだ。
 古代ローマ人には、そういう意識をもち、かつ国民で共有した。
 そのような共通意識をもたらせたことにローマは注力した。

 多かれ少なかれ、国家と名のつく所で、この試みに力を入れるものだ。
 この試みをしない国家など、その内部から音も立てずに簡単に崩壊するだろう。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
       『 稲穂黄金の未来の国家


 ● 貢献に対する態度A

 偉大な文明を作り上げた人々は、何よりも国家を愛した。
 自分達の理念・目的が具現化した形で現れている国家を愛した。

 自分達が信仰する神々を愛したように国家を愛した。
 そこには、共通の目的によって結ばれた人々の結束があり、その強力な
 結びつきこそが国家であった。
 彼らは、その意味で国家を愛したのである。

 その当時、人々の間には、身分の差もあれば、貧富の差はあった。
 各自の役割も異なるし、労働の種類も異なれば、その対価も異なる。

 そういう違いはあっても、国家を愛し、国家に貢献する上においては
 国民の誰もが平等であるという強烈な意識がもたらされていた。

 その強烈な共通意識は、人々に異様な熱気をもたらした。
 
すさまじい熱気となって、国家そのものを押し上げた
 それにより文明に至ったのである。

 小さいなアリが一心同体になって巣を作り上げるように、蜂が一心同体に
 なって蜂の巣を作り上げるように、人々は団結した。
 人々は共通意識を持って大きな目的の為に力をあわせた。
 それがつまりは文明を生み出すまでに至ったのである。
 偉大な文明には、必ずこの人々の協力と団結、そして熱気が存在する。

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● 人々の熱気と人間のエネルギー

 偉大な文明には、表現しがたいほどの人々の熱気が存在する。

 現代において、ある国が経済的に盛り上げるとか、繁盛するとか、そんな程度
 の生ぬるいものではない。 いつの時代にも経済的に豊かな国はいくらでも
 あったし、人々の熱気が入り混じった時代なども、いくらでもある。
 戦争が頻繁する時代などは、人々にも異様な熱気がある。

 なれどそれらのものから偉大な文明はもたらされない。
 古代ローマに匹敵する国家はその後、生まれなかった。
 
 古代エジプトや古代ペルシャ、古代ローマの国にあって、現代の国家にないのは
 人間全般に対する洞察である。
 近代、現代は、人間に対する洞察がまるで至らないのである。

 何かを盲信すれば何かが生まれると期待してはいけない。
 圧倒的な洞察力によって支えられ、それが国中の隅々まで広がり、多くの国民
 にもその意識が伝播する。
 それらを経て初めて、人間に対する真の
同情愛情が生まれる。
 信仰を超えて人間同士がつながり、共通の意識を有して、共通の目的(=夢)
 に向かうのだ。
 そうして一心不乱に突き進むときに、天上の神々が人間の存在に気付き
 まるで力を与えたかのように、偉大な文明がもたらされる。


 
● 共通意識を育む神話@

 偉大な文明を築き上げた人々の共通意識を
醸造する物がある。
 それは
神話である。

 古代エジプトにも、古代ギリシャにも古代ローマにも壮大な神話が存在した。
 もちろん古代ペルシャ、古代インドにも素晴らしい神話が存在した。
 神話は、その国の人々がどこから来て、どこへ行くのかを暗に物語っている。

 神話に登場する大地は、その国の人々がどこから生まれたのかを伝える。
 神話に登場する英雄は、その国の人々がどこに向かうのかを伝える。

 近代、現代の人々の多くは、人間は死ねば終わりだと考えている。
 現代においても、多くの人々は色々な宗教団体に属してはいる。
 なれど、どれだけの者が真に神なるものを信じているだろうか?

 古代の人々はまさに神々と常に戯れていた。
 神話が身近にあり、神に対して仰々しいことなどなく、彼らの言葉に神が宿り、
 彼らの手に神が宿った。
 古代人の多くが、生と死を超えた価値があることを確信していた。

 だからこそ神話を大切にした。
 神話は、
目に見えない価値と人間とを結ぶ物語でもある。

 いつの時代も、偉大な業績を残す者は、目に見えない価値を知っている。
 目に見えない価値に、重きを置くことから、時代を越えて愛されてた。
 多くの者達は、ほんの一時期の為に生きた。
 世に知られた人々も、つまりはその時代に生きただけに過ぎない。
 時代が過ぎ去れば、それらの人々は消え去った。

 なれど、見えない価値に、価値を置いた者達は、それゆえ永遠に輝き続けた。
 古代人のロマンは、果てしなく後世まで続く。 
 人間が、人間として存在し続ける限り、偉大な文明の痕跡は残り続ける。

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 ● 共通意識を育む神話A

 多くの神話は、その人々のご先祖とかかわりのある事が語られる。
 ご先祖そのものの歩みと表現しても良い。

 その神話を子孫が大切にし、その心にあるならば、神話はまさに生きている。
 自分達の神話を愛し、先祖と重ねて見ている者達の間では、脈々とその精神
 は受け継がれ、神話は息づいている。

 神話で語られている登場人物は、神でもあり人間でもある。
 神と人間との距離が近いのが特徴である。

 神話は、国民の共通意識を育み、自分達が何者で、何を大切にする者達で
 あるかを暗に教える。

 ギリシャ神話の神アポロンは、青年の理想の姿を体現しているし
 アフロディーテは、美と愛の象徴であった。

 ギリシャ神話の影響をつとに受けた古代ローマ人の神話であるが、
 ローマ神話は、神々と英雄達の物語である。
 そうあらんとする古代ローマ人の愛好と勇気がそこにはある。

 日本神話は、神々と人間とが共に国を造りし物語である。
 この日本の地へ降り立った神々。その神々と我々日本人はつながる。

 この日の本の大地には、既に古来よりたくさん神々がいて、そこに天上の神々
 が足を踏み入れ、在来の神々とのいざこざがあった。
 時に対決し、時に協力しあいながらこの国を治めていった。

 さらにこの日本は8つの頭と8本の尾をもつ悪鬼のごとき大蛇が住んでいた。
 
ヤマタノオロチである。

 ヤマタノオロチと神スサノオの壮絶な戦いは、我々のご先祖が、この大地を
 開拓することが容易でなかったことを物語る。
 自然は時に人間に猛威となって襲い掛かり、人間の努力などは簡単に台無し
 させてしまう力がある。
 我々の先祖が、それらに負けずに進んできたことを暗に物語る。

 天上の神々と大地の神々が協力し、その上に人間が理想の国家を作り上げて
 いく様が、描かれている日本神話。
 それらは安易に行くわけではなく、様々な事にその難しさが表現されている。

       
      
日本にもこんな素晴らしい国造りの物語がある。
       日本人の学者で日本神話を理解していない者は決して知識人とはみなされない。
       自国の神話を知っていることは、
あらゆる時代の知識人の常識である。


 それらがありながらも、安らけく、平らけく、国を治めていく美しい物語である。
 簡単に事は進まない。多くの問題がそこにはある。なれど、人間と神々が協力
 しあいながら、一歩一歩と進んでいったのだ。

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● 日本の学問の貧弱さ

 近頃良く、学生の学力の低下が叫ばれているが、それ以上に大学で教える者
 の学力が著しく低下している。そのことを心配した方が遥かに良い。

 日本の学問のレベルは、非常な低みにある。
 特に文科系の学問などは、地に堕ちているとさえ言える。
 哲学、社会学、経済学、歴史学、心理学などあらゆる分野が低みにある。
 真に学問の道を進んでいる者も少ない。

 目に見えて特記すべき研究などはほとんど見られない。
 誰もが思いつきそうなお喋りを、話しているだけの学者は実に多い。
 大半の者が、同じ事を、少し言い方を変えて話しているに過ぎない。

 
同じ事を異なる口調で語るのが学者である。
 
異なる事を同じ言葉で語るのが真の探究者である。
 異なる事を同じ言葉で語られる者は、実に少ない。

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● 知識人と神話@
 
 現代の日本においては、大学教授になっている者でさえ、日本神話を理解して
 いない者が、結構いるように見える。

 なぜならば、真に神話についての意味を知っているならば、日本の国民の
 多くが日本神話を知らないことに警鐘を鳴らし続けるだろうからである。
 それがほとんどの学者でないのだ。

 
自国の神話を知らないのは恥ずかしい事である。
 それが恥ずかしいという意識がないことが特に問題である。

 理系であろうが、文系であろうが、知識を扱う人間ならば、自国の神話を
 理解することは当たり前のことである。
 神話を理解し、親しみ、血と肉とまでに染み付いていなければならない。

 神話は、国家の気風を醸成し、人々の共通意識を育む。
 真の知識人は、その意味を理解しているから神話を大切にする。
 知識の有用性を肯定するからこそ、神話が人々に良い影響を及ぼす意味に
 同意し、かつ自分達も神話を理解する。
 それが世界共通の知識人の当然の認識である。

 古代ギリシャ人にとって、神話をモチーフにして語られたホメロスの作品
 『オデュッセイア』と『イーリアス』は、当然、知っているべきものであり、
 
知らなければ無教養な人だとみなされた。
 古代ギリシャにあって、自国の神話など知らないなどといえば、会話にさえ
 いれてもらえないだろう。なおさら知識人には、絶対に相手にされない。

 なぜならば、会話のあちこちで語られることの多くに、神話の話が題材として
 用いられているからであり、知っていて当然という前提のもとに語られるからだ。

         動画           テキスト

       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
       『 稲穂黄金の未来の国家


 ● 神話と知識人A

 さらに古代の人々が決定した背後には、神話があり神々がいて神託があった。
 それらの影響を強く受けて、現実の行動が決定されてもいる。
 神話の理解なくして、古代ギリシャや古代ローマの戦争、歴史を語れるなどと
 言う歴史学者が仮にいたならば、それは無知な者、アホだと見なされて、
 誰にも相手にされないに決まっている。

 どれ程優れた科学者であれ、数学者であれ、物理学者であれ、自国の神話を
 理解していない、または理解しようとさえしない者は、決して知識人ではない。

 どの分野でどれ程の業績があろうが、その者は知識人ではない。
 なぜならば、神話を大切にする事は、神話が国民の共通意識を醸造し、
 国家を隆盛させ、それが学問の発展、芸術の発展につながる事を当然、
 理解しておくべきことであるからだ。
 学問の発展を愛さない者が、知識人であるはずがない。

 神話を大切にすることによってもたらされる因果関係の詳細について、
 明確な意識をもつ者は多くはなかろう。特に現代の学者の多くは至らない者が
 非常に多いから、その意味がわからぬ者も多いだろう。
 
 これが現代人と古代人との大きな違いであり、大きな実力差を物語る。
 古代人は、まさに神話の意味を理解していた。
 だからこそ彼らが到達した文明は、圧倒的である。
 なれどいつの時代も、真に学問を愛する者は、神話の重要性を感じ取る者だ。

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● 西洋の知識人の常識

 西洋では、特に優れたる者たちの作品において、神話の題材がふんだんに
 使用され、様々な神々が登場することにより、西洋の知識人は自国を含め、
 ギリシャ神話などの他国の神話の理解が当然、求められた。

 神話に登場する神々の知識は当然の前提にたって多くが語られている。
 例えば、ゲーテの大作ファウストを読めば、そこでは、オリンポスの神々、
 アポロンの神アイオロス、メデューサ、時の神ホーレン、穀物の神ケレス、
 美の3女神、大地の神ガイア、冥界の女王ペルセフォネ、イカロス・・・・・。

 古今東西の知識人にとって、神話を理解する事は当然のことである。
 それらの知識を前提にして様々に語られるのだ。
   
    
ゲーテ作『ファウスト』  様々な神々の名が、話のあちこちで登場している。

 実に様々な神々が頻繁に話の中で語られることに誰でも気付く。
 これらの神話に登場する神々知識は、西欧の知識人の間では常識である。

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 ● 日本の学者と神話

 理系であろうが文系であろうが、日本の学者の中で日本神話を理解しない者
 が多いならば、日本の学者は偽者だらけという事になる。
 もちろん日本の学者の多くも日本神話に愛着を持ち、理解していると信じたい。

 神話を知る必要があるといっても、細かいところまで知っている必要は特別ない。
 もちろん、詳しく知っていればそれに越したことはないが・・・・。

 テストではないのだから、大凡の理解で構わない。
 大切なのは、なにゆえ知識人が神話を大切にしてきたかという理解である。
 神話に愛着を示し、親しむという態度は
知識人の大前提である。

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● 古代人の神なる意識

 古代ローマ人も各々、神々を祭った。
 その点に関しては、現在の日本の人々のようである。
 さらに言えば、戦前以前の日本人の神への態度とそっくりである。

 各個人個人が氏神を祭った。
 ローマに従属した国の人々も自分達の神を祭った。
 各自が自由にそれぞれ信じるところの神を祭った。
 他の人々の神を侮辱しないのであれば、何を信じても良かった。
 ローマは多神教であり、信仰の自由があった。
 そうして、神とはそれ以上はなかった。
 豊作の感謝などの季節ごとに登場したり、また戦や飢饉などの特別の出来事に
 対して登場するというものであった。
 
 聖典の宗教のように、ミサなどが頻繁にあるものなのではなく、
 まさに現代の日本人の宗教に対する態度であったと言って良い。

 ローマ人の中でさえ、各自で大切にする神の名は異なった。
 ローマでは各自、どの神を祭っても問題がなかった。
 それらの神々を越えてローマ市民は意識を共有した。

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● 大きな仕事と小さいな仕事

 この世界には、大きくわけて
2つの仕事しかない。
 
大きな仕事小さな仕事である。

 現代において、テレビをつければ、商売人がお客様を第一に思って成功した
 とか工夫を施して売り上げを伸ばしたとか、ヒット商品を生み出したのは、
 まごころであるなどと言った、そういう成功話ばかりが語られている。
 そんな番組が溢れ、そういう経済的成功の話が溢れている。

 なるほど、テレビも雑誌も、資本主義全盛である。
 資本主義が資本を増大する為に、有効な道具の1つとしてテレビや雑誌は
 利用されている。別にそれはそれで良い。
 特に否定する、なにがしかではない。

 人々が経済的に豊かなのは、人々にとっても良いことであろうし、貧乏よりは
 豊かな方が多くの問題を緩和することができるのも確かである。
 個々人が、自分達の利益の為に、努力することは否定されるべきものではない。

 なれどそれらの仕事は小さな仕事である。
 否、
チッポケな仕事とさえ言える。
 そういう話は、平凡であり、チッポケであり、そこら中にありふれている。

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● 小さい仕事@

 もちろん、これらの仕事は、確かにチッポケであるが重要ではない、などとは
 言わない。これらの仕事は、重要であり、軽視できるものでもない。
 確かに人々の生活を支えているし、人々の生活に強い影響を及ぼしもする。
 それらは、確かに無視できるものではない。
 我々は、空気でお腹が満たされるわけではないし、衣食住は、そういう仕事に
 よって成り立っている。
 1つ1つの小さい仕事をしっかりと行うことは軽んじられるべきではない。
 その成果を得る為に人々が真剣に行動してもいる。

 なれど、それでも敢えていうが、それはチッポケな仕事である。
 どのように理由付けしようが、それらの仕事は、所詮は、その人々の、また
 それらに関わる人々の利益に対して存在しているに過ぎない。
 今を生きる人々の生活の為の仕事である。

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 ● 小さい仕事A

 歴史上において、様々な人々の創意工夫、努力によって人々の生活は改善
 されてきた。人々を生活をより豊かに、より快適にする事は、あらゆる時代に
 挑戦されてきた。

 いつの時代にも多くの商人がいたし、その中の幾人かは、人々がうらやむ程
 の富を集めた者達もいた。
 ラクダを利用して砂漠を越え、船を利用して大陸を越えて、人々が欲する者を
 提供して、人々の生活を潤してもきた。
 なるほど、それらは軽視できるものではない。

 なれどそのような出来事は、時代が過ぎれば、目の前から消え去ってしまう。
 100年前の大商人の名など、誰も思い出させない。
 否、それどころか、世界中の富を独占した商人の人生について、知りたいなど
 と思う奇特な者など、その分野の学者以外いないといっても良い。

 もちろん、経済的に豊かな人々が所有した屋敷は残るし、所有していた宝石や
 美術品も残りはするが、いかんせん、それらを当時、所有していた人物に対する
 記憶が抜け落ちているのだ。

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● 大きな仕事@
 
 大きな仕事とは何であろうか?
 それは、自分の利益や、自分に関わる者達の利益に奮闘努力したのではなく
 人類全般に対して向けられた仕事である。

 モーツワルトの作品は、親や親戚、はたまた友人の為にもたらされたもの
 なのでは決してなく、人類全般に対してもたらされた。

 ゴッホの作品は、人類全般に対してもたらされた。
 ゴッホはその生涯を、極貧と孤独の中で過ごした。
 彼が生存中に売れた絵は、わずか一枚に過ぎない。

 ゴッホは、その生涯において、誰かの生活を潤すことも、人々の生活の利便性を
 もたらすことも、誰にか対してサービスをしたのもでもない。
 確かに彼は
小さいな仕事は、一切何もしなかった
 なれど
大きな仕事をしたのだ。そして偉大な作品をもたらした。

 彼の作品は、特定の誰かに対してもたらあれた作品ではない。
 その作品を書いたのも、自分の生活を豊かにするとか、親族を豊かにするとか
 いう事とは無縁であった。
 彼の作品は、人類に対して投げかけられており、人類の宝である。

 いつの時代の人々も、ゴッホの生涯を知りたいと思う。
 ゴッホがどのようにその生涯を送り、これらの作品を残したのかを知りたいもの
 である。何ゆえ、これ程までの作品を作れたのかを知りたいのだ。

 ゴッホの作品には、異様なまでの魂の輝きが見て取れるのである。
 彼の仕事はまさに人間のもつ魂の輝きを知らせることにあるとさえ言える。
 彼の絵は、一枚一枚、
ビカビカと光輝いて見える。

  
魂の輝き。人間がこれほどの力を持つことを思い出させてくれる。
  ゴッホは現世的な仕事など一切しなかった。誰かに
サービスすることもなかった
  彼は人類全般に対して、この作品を残してくれたのだ。

  

    
 自分の利益の為に生きるのが大抵の人間の生涯である。
 
他人の利益の為に生きるのも大抵の人間の生涯である。
 それらの
あらゆる現世的な利益を捨てて生きれる人間など、ほとんどいないものだ。
 それを成し遂げたゴッホの作品は、それゆえにこそ
彼にしか書けない作品をもたらした。

 彼は確かに、自分を経済的に豊かにすることも、彼の周りにいる人々を
 経済的に豊かにすることもなかった。なれど、人類全般に対して貢献したのだ。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
        『 稲穂黄金の未来の求道者へ
         『 稲穂黄金の無名の強さ


 ● 大きな仕事A
 
 人々の小さな仕事は軽視できるなにがしかではない。
 それは確かに多くの人々の利益につながっているし、その対価として給料を
 得ることになる。

 日常の様々な小さい仕事に社会は支えられているし、またそれによって
 膨大な富も生み出されている。35年に及ぶサラリーマン人生が無駄だった
 などと誰がいえよう。

 なれど、35年に及ぶサラリーマン人生で得たサラリーの合計金額を持って
 してもゴッホの絵は、一枚もまったく買えないのである。
 ゴッホの絵は、数十億、百億を越える値段がついてしまう。
 これこそ、ゴッホの大きな仕事は、小さい仕事がいくら集まっても買える代物
 でないことを物語る。小さいな仕事によって得られた膨大な富があったとしても
 ゴッホの仕事には、とって変わられないことを暗に物語る。
 
 
現世的ないかなる仕事もゴッホの作品と釣り合わない
 だからこそ、ゴッホの作品はいくらでも値段がつりあがるのだ。

 もちろん、だからといって個々人の生涯の仕事人生が無駄であるなどという事は
 決して言わない。それはそれでその人には意味もあるだろう。

 なれど人々は感じるのだ。この世界には真に偉大な仕事があることを。
 もちろん、誰もがそのような大きな仕事をできるわけではない。
 人類の宝になるような仕事を生み出せる者達は限られる。

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● ありきたりな仕事=小さい仕事

 自分の利益の為に生きるのが、大抵の人間の人生である。
 他人の利益の為に生きるのが、大抵の人間の人生である。
 ともに現世的利益である事には変わりない。
 それらを軽視していいなどとは言わない。
 それらの利益の為に、命懸けで取り組む人はいつの時代もいる。

 莫大な財宝を求めて冒険のたびに出た海賊も命懸けだろうし、
 新大陸を目指して海に出た冒険家も命懸けだろう。
 アジアとの貿易によって大きな富を得ようと海を越えた商人も命懸けであろう。
 そういう人々が真剣でないなどとは言わない。
 
 だがそういう人々はいつの時代も存在するありきたりな人々である。
 いつの時代も現世的な利益の為に命を懸ける人はいる。

 なれど現世的な利益を越えて、それに生涯を費やす人間などいないのだ。
 だからこそ現世的な利益を求めた商人の生涯などは、多くの人がまったく
 興味を持たないが、現世的な利益を越えて生涯を歩いた宗教家や芸術家、
 探究者の生涯に、人々は強い関心を示すのだ。

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 * そういういつの時代にもある小さい仕事が大事ではないなどとは
    決して言わない。それらは確かに軽視して良いものではない。


 
● さらなる大きな仕事

 一個人の大きな仕事はある。それは大抵、天才達の仕事である。
 それでは天才以外の者達は、大きな仕事ができないかといえばそうではない。

 歴史の上においては、さらなる大きな大きな仕事がある。
 それこそが
文明の創設である。

 天才1人では文明はもたらされることはない。
 人々が協力する必要がある大事業である。

 各自、生活も重要であれば、家族のこともある。
 各自が利益を確保することは確かに必要不可欠ではある。

 なれど、それらの個々の利益を越えて、1つの全体となり、各自の利益を
 忘れて協力して行うこと。
 その共通意識と意志が古代エジプトにピラミッドをもたらし、古代ローマを
 歴史上もっとも偉大で美しい都市へと発展させた。

 神殿や宮殿が建設であり、建物には様々な彫刻が施された。
 もちろんそれらは建物だけではない、あらゆる学問が勃興し、芸術が盛んに
 なり、政治制度や、社会制度が、人間の洞察力によって築き上げられた。

 それらことが、もっとも偉大で大きな仕事なのである。
 古代ローマは、
何世代ものローマ人達による作品なのである。

 そこに生きる人々は、その文明を支えうる1人であることに誇りを感じたのだ。
 この意識がなければ、決して文明と呼べるものは生まれない。
 人々の共通した意識と、それを支えうる意志が伴って偉大な文明が生まれた。
 その文明に住む人々は、各自、自由な意志をもちながら、それでいて
 国家単位の共通事業には、積極的に意志をもって参加するのである。

 古代エジプトの宮殿、ピラミッドは、まさに当時の名も無いエジプト人たちの
 愛情と汗によって作られた。

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● 民主主義などは枝葉末節

 偉大な文明とはまさにそういう人々の共通意識と協力のもとに維持される。
 その意識の統一と人々の大きな夢へ向かう協力こそが肝心なのである。

 それに比べれば、民主主義などというのは枝葉末節とさえ言える。
 民主主義があるから立派になったのでは決してない。

 民主主義とは単なる手段の1つに過ぎない。
 人々の意識が共有され、大きな夢を見ようとする場においてこそ民主主義が
 生きてくる。

 神話によって醸成された共通意識、何に価値を見出すかの共通認識。
 それらの目的を、成し遂げる上での平等の貢献意識。
 農民も商人も貴族などの身分差に関係なく、誰もがその国家を支える上では
 平等の貢献という意識。
 それが揃ってこそ、偉大な事業が達成され、偉大な国家へとつながる。
 その達成されたものが、人類にとって普遍性を伴えば国家は文明へと至る。

 学問が栄え、芸術は隆起し、人々は自由闊達に国家について語る。
 これこそが真に民主的な国家をもたらす。

 ここでは民主主義を軽んじろとか、民主主義を生み出すまでの先人の多くの
 苦労を無視しろなどと言っているのではない。
 そこには確かに先人の努力と勇気があった。
 なれど民主主義の為に民主主義があるのではない。
 民主主義は目的などでは手段であり、それは多くの手段の1つに過ぎない。

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 ● 小さいな夢と民主主義のなれの果て@

 もし仮にその国家において、大きな夢がまるでなく、人々の共通意識が
 醸造されていなかったらとしたら、民主主義は何をもたらすかのだろうか?

 答えは簡単である。
 皆が
小さな夢を叶えようと必死に邁進する。
 皆が各自の小さな夢を叶えようとバラバラになっていく。

 その地域における自分達の利益を確保する為に、その地域の人々が望んで
 いないものを政治家と業者が建設事業をつくり、儲けようとするだろうし
 自分の保身の為に国家さえ裏切り、他国に追従する政治かもでるだろう。
 国民の多くも、自分の取り分が増えるかどうかで、時の政権を判断するだろう。
 大抵、景気がよくなれば、その政権を支持は高くなるだろう。

 これこそどこかで聞いた話である。

 国民に共有する大きな夢がなければ、各自の小さな夢がそれに変わるのだ。
 小さな夢とは大抵が、
各自の経済的利益の確保となるのがおちである。

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● 小さいな夢と民主主義のなれの果てA

 大きな夢を失った人々は、個々人の利益に得るために徒党を組んで
 それを民主主義だといって、可決すれば、確かに個々人は利益を得る。
 こうなってくると国は簡単に滅ぶ。

 大きな夢を失った国家が、各自の利益を求めて滅んだ例などいくらでもある。
 難しいペーパー試験である科挙を通った中国の官僚達は、敵国の力が優位と
 見るやいなや、一目散に敵国に寝返った。

 個人的利益の為に、国家を次々に裏切ったのである。
 宦官よりも劣る官僚は、たくさん存在したのである。
 こうなると、もはや国は簡単に崩れるのである。

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 * もちろん一命を国家に捧げた官僚もたくさんいた。
  状元の宰相と知られる文天祥は、敵に捕まったが、決して祖国を裏切らずに
  獄中の中で”生気の歌”を詠んだ。実に素晴らしく、江戸幕末の志士達が、
  こぞって彼の歌を詠んだ。



 
● 民主的と民主主義@

 民主主義があっても民主的でない国家も多く存在するし、民主主義がなくても
 民主的な国家は歴史上に数多く存在した。
 偉大な王様においては、優れた家臣の話を重用したし、そうだからこそ
 家臣もその胸のうちを正直に語れたし、議論も活発に行われた。
 
 反対に民主主義があるように見えても、民主的でない事も多々存在する。
 民主主義は、いつでも独裁者を生む危険があるし、民主主義によって独裁者
 は選ばれてもきた。

 カエサル(シーザー)もローマ市民に熱狂的に迎えられて、共和体制を続けて
 きた古代ローマは、帝政ローマ帝国へと変貌することになった。
 ヒトラーだって、ドイツ人が民主主義で選んだのである。
 民主主義は手段であって目的などでは決してない。

 特にその国民が共通の意識を失い、大きな夢を見ることができなくなった国家
 においては人々は、各自の小さな夢の実現を達成する為に民主主義を利用
 することになる。こんなときに、英明な王が誕生する下地が揃うのである。
 古代ローマが滅んだ後には、ヨーロッパ各地には多くの王が生まれたのも
 それゆえである。

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● 民主的と民主主義A

 真に民主主義が生きる時は、国民が共通意識を醸造し、共通の大きな夢に
 向かって進む時にこそ、民主主義は力を発揮する。

 こういう状態は、君主制だって存在する。
 それが出来るときに、君主制においても、臣下は王に様々な意見を進言し
 多くの議論が自由になされるのである。
 民主主義であっても民主的でない時代にもなれば、民主主義などなくても
 民主的な時代などいくらでもあるのだ。

 であるからこそ、世界中の多くで樹立された体制の多くは君主制であった。
 また。君主制は、ある意味、自然な形に沿っていて人類には馴染みやすい。
 それは共和制の国家を見れば一目瞭然である。
 共和制には、政治的な、社会的な色々な仕掛けが存在する。
 そういう仕掛けが多い事、事態が、共和制を維持するのは容易ではないこと
 暗に物語っている。

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● 小さい夢と失望と崩壊

 人々の共通意識と人々の協力、大きな夢の実現、それらの土台があってこそ
 民主主義は、真に生きるのである。

 この土台がなければ、即座に個々人の利益の為だけに民主主義は利用
 されるようになる。それらの状態が続けば、各自の利益は増えても、皆、
 民主主義に失望することになる。
 確かにそうやって経済的利益を多くの人が得る。
 だが、その
利益の分だけ失望も受け取っている事に人々は気づかない。

 大きな夢を抱けなければ、人々は、小さな夢でなんとか誤魔化すことになるが
 いかんせん、大抵それらは個々人の経済的利益である。

 確かにその利益を得たが、それゆえにこそ内面から失望が生まれる。
 こういう国は多かれ少なかれ、外からのちょっとした刺激ではじけ飛ぶ。
 自分達の利益の為には、国家を売り飛ばす輩もでてくる。
 いずれ風船のごとくに、外から小さい刺激で、内からはじけ飛ぶのだ。

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● 民主主義だから偉大になるのではない

 学者の中には民主主義があれば、国家が偉大になると考えている者達が
 いるが、それは考え違いである。
 資本主義と民主主義があれば、国は立派になると考える学者もいる。
 これらの学者は、一体、国家というものが、何によって形成され、さらに文明が
 何によって保持されているかをまるで理解していない。

 その民意が、人々の共通意識とつながり、それを実際に具現化することに
 賛同するならば、偉大な国家にもなりえよう。
 だが、個々人が、個々人の利益を第一に求めてばかりに動くのならば、
 民主主義の導入は、国家の崩壊を早めることすらある。
 その国家の人々が、国を売っても利益を得たいと思えばそうなるのだ。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の国家


 
● 簡単に変化する

 仮に民主主義であっても、そこで選ばれた人々が、国民の要望を満たせずに
 へまばかりやれば、人々は民主政治に関心をなくして、仮にある者が現れて
 それらの外的なものをうまく進めてくれるならば、その人は英雄となり
 人々に支持されることになる。

 歴史はそれを示す。
 シーザー(カエサル)は民衆の支持によってこそ生まれた。
 シーザーは、ローマ市民に熱狂的に迎えられた。
 シーザーの登場によって共和制のローマは、皇帝を要する帝政国家へと変貌
 することになったのだ。

 民主主義によって独裁者を選ぶこともあるし、実際に英雄と独裁者の境目は
 なかなか、はっきりとわからない。

 その者が独裁的であったとしても、人々の思いを実現してくれるならば
 国民は、その者を応援することなど、いくらでもある。
 国民の大きな利益になるならば、民衆はその為に独裁的な人間を国家の
 リーダに選ぶことだってある。簡単に政治制度など変化する。

 どれ程の民主主が成り立とうが、人々が国家の危機に面すれば簡単に
 民主主義を捨てて、目的を達成する1個人に国家を任せるようにさえなる。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の社会学者へ
        『 稲穂黄金の未来の歴史家へ


 
● 古代の国家と現代の国家@

 偉大な古代の国家、その人々が現代にきて、現代の国家を見た場合に
 古代の人々が、興味を抱く国などそもそも1つでもあるのだろうか??

 そこでは、人々は各自の小さな小さな諸目的を追うだけで、国民全体で
 追う大きな目的を有していない事を瞬時に理解し落胆するだろう。

 個々人が勝手に儲けて、そうやって経済的に豊かで安逸の日々に
 暮らしたからって一体、それがなんなんだ! 小さき民人よ!と言われるに
 決まっている。

 現代に生きる人々にとって、古代の人々が残した遺跡はまさに宝であり
 現代の人々がそれに匹敵するものを作り上げていないことを物語る。

 歴史上にも経済的に豊かになった国など数多くある。
 商売人が多く活躍し、多くの豊かさをがそこにはあったが、それだけの国は
 決して他国から尊敬されることはなかった。

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● 古代の国家と現代の国家A

 経済的に大きく繁栄したカルタゴ。
 経済的繁栄に特化したカルタゴは確かに豊かにはなった。
 その経済力の強さが、近隣のローマに畏怖を与えていたが、それ以上に
 経済的価値に重きを置くカルタゴは、ローマ人から忌み嫌われた。

 もちろん、そんなカルタゴにだって偉大な戦士がいる。
 名将ハンニバルである。ローマ中に彼の名前は、鳴り響いた。

 当時のローマ人から見れば、カルタゴは商売にだけ精を出す、気に食わない
 国家に見えた。当時のローマ人から見れば経済的利益ばかり欲する国と
 して、カルタゴは見下されていた。

 現代の人々が当時のカルタゴを見れば、多くの勇敢な者達がいた事に気付く
 だろうが、そんなカルタゴは、ローマ人から見れば下衆な者達に見えたのだ。
 現代の我々では、すぐに軽蔑されるのではなかろうか??

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● 人間の覚醒と文明

 偉大な文明が興る前とは決まって、多くの人々の覚醒がある。
 人々が、まるで眠りから覚めたかのような状態になるのである。

 人々の認識が、あらゆる分野に波及して、学問、芸術が勃興する。
 人々の優れた洞察が、優れた政治制度、社会制度、経済体制をもたらす。

 人間自体に対する理解、認識が半端ではない。
 まさに人間学、人間工学のごとく人間とは何かを理解しているのだ。

 その圧倒的な理解に基づいて多くの制度、街並みなどが決定されている。
 エフェソス遺跡には、図書館と歓楽街が地下の通路でつながっていると
 いう想像もできない作りにもなっている。
 古代人の素晴らしさは、人間の様々な欲求も悪として一方的に非難する事は
 なかったことによる。おおらかであっけらかんとしていて、人間の悪徳も含めて
 人間なのだという確かな認識があった。

 圧倒的な洞察力があるからこそ、それが許せるのである。
 人間の中に潜む悪を追い出すのではなく、それを抑えて良きものを生かそうと
 する姿勢があった。人間の悪すらも人間の一部と考えていた。
 もちろん、悪を実行すれば、それ相応に罰せられはしたが実に大らかであった。

 さらに古代人の大きな美点の1つは、優れているもの、良いものは素直に良い
 と認めるだけの実力と度量を兼ね備えていたことによる。
 人間の良い面と悪い面を理解するからこそ、良い面を伸ばすことに力を入れる
 ことができる。

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● 人間の迷妄と残酷さ

 これらの古代人の寛容さ自由さとは反対に、人間の内に存在する悪を一方的
 に憎み、その悪を完全に抹殺しようとした時代がある。
 
迷妄と愚鈍さは、偏狭につながる

 人々の行為を、神の名において罰する時代があった。
 中世から近世にかけてヨーロッパにおいてである。
 神の名を語るキリスト教指導者層は、判決のごとくに大上段から言い渡し、
 人々の行動や思想に制限をかけ、時に無理強いさせた。

 人々の上に、その悪が少しでも現れたならば、その悪に対して容赦はなかった。
 刑罰に処して、時に命を奪うのである。
 神の名によって、どれだけの無実の人々が殺されたことか。

 人間の中にある悪はまた人間の一部なのである。
 それを遠ざけることは賢明である。
 しかしそれを完全になくそうとすれば人間の命など、いくらあっても足りない。

 しかし迷妄と愚鈍の時代には、その悪が許せずに、少しでも表に出れば
 まるで悪魔を見るかごとくに、無罪の人々の命を奪ったのである。

 さらには真理を求める探究者や科学者が、キリスト教の教義について少し
 でも反するやいなや異端尋問、宗教裁判にかけられ、時に処刑された。
 中世のキリスト教指導者が、優れた探究者や科学者に対して、どれほど残酷な
 行為をしてきたかは、良く知られるところである。

 迷妄と愚鈍の者達に権力を引き渡せば、どうなるかの一番の参考例。
 古代の人々が自由に行動でき、自由に発言できたのとはまるで大違いである。
 中世ヨーロッパは、確かに人々の信仰も強く存在はしたが、同時にまた迷妄と
 愚鈍が支配した時代でもあった。

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 ● 国家の存立の条件

 どのような主義があろうが、国民の共通の意識がない国、共通の目的がない国
 は必ずバラバラの方向へと動き始める。

 民主主義は、それらの国において人心をバラバラな方へと推進してしまう。
 各個人は、経済的利益に邁進し、利益をもたらす人々を国会に送りこむ。

 国会に送り込まれた人々は、経済的利益を獲得する為に、人前に出てきて
 それが、いかにも多くの人々に利益を与えるかを主張する。
 それでいて、皆が個々人の利益の代弁者となりはてる。
 そうなると多くの人は、民主主義にも幻滅し、協力なリーダーシップを発揮する
 者の登場を待ち望む。
 それが例え独裁者だとしても、国民はその独裁者を選ぶ。

 内部崩壊するよりは、まだ国家が1つである方を望む為である。
 どちらにしろ、こうなると国家の衰退は免れない。
 芸術は衰退し、学問も弱わまる。

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● 現代学者のレベルの低さ@

 現代の学者が、各自の仮説を色々と語ることは別に非難はしないが
 それでもあまりにも酷いものがある。

 例えば、現代の学者の中には、古代エジプトの大事業を雇用対策、景気対策の
 為などという学者がいるのである。
 呆れてものが言えないとは、このことである。

 間接的に、そのような経済効果がないとは言わないが、ピラミッドを作ったのは
 そんな経済的利益の為のはずがないではないか!
 ピラミッドの建設は、古代人の大きな夢であり、信仰であり、願いである。

 ではなにか!
 現代の日本においてなされる、20年ごとに行われる
伊勢神宮の式年遷宮
 景気対策の為だというのか?
 確かにその費用には、数百億円が掛かっている。
 間接的な経済効果がないとはいわない。

 なれど、式年遷宮を日本人は景気対策の為に行っているなどと、外国人に
 言われたならば、多くの日本人は
怒るだろう
 式年遷宮は、日本人が神なるものを大切にしている証拠だと述べるだろう。

 同様に、古代エジプト人だって、そう主張するに決まっている。
 ピラミッドが建設は、人々の現世的利益の為に行われたなどとそんな話を
 古代エジプト人が聞けば、皆、すごく腹を立てるだろう。

 子孫の為に、この大地の真理を付加した建物を建設しているのに
 子孫の者達はその意味をまるでわかっていない!と。
 現世的な利益を得る為なんかではない!と怒りを通りこして嘆くのではないか!

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● 現代学者のレベルの低さA

 そもそも本当に雇用や景気対策の為に大型事業をやるというならば、
 もっと直接に人々の生活に役に立つ事業を選択するだろう。
 
 例えば船の建造や、農地の開拓、都市の建設や、要塞の建設、はたまた
 都市の下水施設の整備、または湾岸整備など、あらゆる大事業が考えられる
 であろう。それらの事業を行う方がどれほど、当時の人々に役立つだろう。
 
 重い石を天高く、乱れることなく、積み上げる作業は、クレーン車がないあの
 時代においてどれ程、重労働であったことか。
 景気対策ならば、こんな労力と時間のかかることよりも、もっと他にやるべき事
 がいくらでもあるではないか。
 景気対策なら、もっと現実の生活に益するものを選択したに違いない。
 それでなくも力仕事のほとんどを人力に頼っているのだから、ピラミッドの
 ような事業は、とてつもなく大変な事業である。
 
 経済的な利益の為に、わざわざ行うべきなにがしかではない。
 そう判断する方が、遥かに経済的であり合理的であろう。

 景気対策や雇用対策の為に、なぜ、わざわざ、あのような大きな岩や石を
 重力に逆らってまで天高く積み上げる必要があろうか?
 さらに言えば、四角錐の形を正確に築くために綿密に作業を進める意味
 がいったいどこにあるのだろうか?まるで説明できないだろう。

 古代エジプト人の大きな夢である。ピラミッド。
 これは現世的な利益の為に行われたのではない。人類に対して投げかけたのだ。
  
    『古代文明ビジュアルファイル』は写真と絵が多いので見ていて面白い。
    稲穂黄金は
全セットを揃えた。これはお買い得である。

 ピラミッドの建設を、権力を誇示するために王が、奴隷をコキ使って云々と
 主張をした社会主義者や共産主義者は実に愚かであるが、またピラミッドが
 雇用対策や景気対策などというのも下衆な発想である。
 それは、いかにも
商人の発想ではないか!

 
21世紀の学者がこんなアホな事を考えていたと、22世紀の人々の
 
笑い話の種にされる事だろう。
 景気対策や雇用対策の為などという学者は、古代エジプト文明の偉大さを
 まるで理解していない。

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● 国家的大事業のリスク@

 そもそも国家的大事業はどういう理由があれ
大きなリスクが伴う。
 多くの人々の共通の利益や
目的だけでは簡単に実行できるものではない。
 余程の理由がなければ実行できないものなのである。

 中国の皇帝が数千キロに及ぶ万里の長城を築いたのは、その当時の人々が
 中国の上の匈奴の侵入に、ほとほど手を焼いたから建設が行われた。
 その当時の人々も、切実な思いによってようやく実現されたのである。

 そうでなくて、単なる利益拡大の為に、国家的大事業として国民の多くを
 かりだすことは、
国家の消滅の遠因にさえなる。
 ましてや王様の勝手の思い込みで、国家事業などを行えば、大抵は
 次期王位継承者や家臣に誅殺される事となる。

 国民的な意識の合意によって、進められた大事業であっても、それが国民に
 多大な負担を強いれば、人心は離れ、国家の衰退を招きかねない。

 だから、時の為政者も大事業の着工には慎重な上にも慎重にになる。
 どれほどの利益があろうが、簡単には行えないのである。

 だからこそ、
秦の始皇帝がなくなると、すぐに秦はゆらぎ、わずか数十年の
 内に秦は滅びたのである。

 中国の人々は、大運河の必要性を感じていたが、
隋の煬帝によって、いざ
 大運河建設が推進されると、多くの労苦があり、煬帝はいまでも中国を代表
 する悪名高い暴君として知られる有様である。
 
 しかし隋の煬帝がもたらした大運河によって、中国の北と南はつながり、
 経済交流と文化交流は盛んになり、それが生み出す利益は、計り知れない。
 実際に、隋の後に中国を支配した唐は、この煬帝の大運河からもたらされる
 利益により大帝国となり、中国史上、最高の文化を作り上げたとも言える。

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● 国家的大事業のリスクA

 国家的大事業は、国民の多くに利益がもたらされても、為政者はそれを行う事
 は
慎重な上にも慎重にならざるえないのである。

 
国家的事業とは、いつの時代も為政者にとっては命懸けである。
 莫大な富をもたらした運河であっても、その計画を実行した煬帝は民衆に
 とても嫌われた。中国国民に多くの富を潤した運河であっても、煬帝が船の
 楽しみの為とか、趣味の為に建設したと、国民からは非難されたのだ。
 それゆえ隋の煬帝は、家臣に虐殺された。
 これより隋は滅んだが、その後の唐は大帝国となり大発展した。
 煬帝が残した運河の遺産によってとさえ言える。

 いつの時代も国家的大事業は、多くの国民の同意が必要である。
 その同意があっても、大事業の着工は慎重であらねばならない。
 時の為政者はその意味を心得ている。

 もしエジプトの王ファラオが、雇用対策や景気対策の為に、あんな馬鹿でかい
 ピラミッドの山を作り上げたのだとしたら、ファラオは何人も殺されていたに
 違いない。全てのファラオは、暴君として現代まで伝わったに違いない。

 再度述べるが、ピラミッドは古代エジプトの人々の大きな夢であり信仰であった。
 古代エジプトの人々の
夢と信仰に支えられて作られたのだ。

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● ピラミッドとスフィンクス

 ここでは、敢えてピラミッドの意味について語ることにする。
 ピラミッドの意味するところは、この世界を表していると言える。

 この世界は大地>植物>草食動物>肉食動物人間という食物連鎖に
 よって繋がれている。この食物連鎖の上位に行けば行くほどその個体数は
 少なくなり、食物連鎖の上位のものは下の土台がなければ崩れ去ってしまう。

              |
人間| 
           |
肉食動物(獅子)| 
         | 
草食動物(牛、馬、羊)| 
       |    
 植物(花、木々、草)  | 
     |      
 大地(土、石、岩)      |

 この世界には、これらの成り立たせ結びつける力が働いていること。
 ピラミッドの中心部分に、ファラオ(王)の墓を置いたのも、その力を維持させ
 安定を図る為である。またはその力と一体となる意味があったのであろう。

 ギザのピラミッドのすぐ近くには、スフィンクスの像がある。
 体が獅子で頭が人間のこの像は、人間が動物の肉体を借りて、知性を宿した
 ことを表している。もちろん英明なる古代人にとっては、それ以上の意味を
 含んでいた可能性は高い。
      
スフィンクス    エジプトのスフィンクスに影響を受けた像は各地に存在する
   
      古代文明ビジュアルファイル』より

 とにかく、古代エジプト人が、この世界をどのように捉えていたかは、彼らの
 遺跡をつぶさに見ていると様々な建物や絵画、彫刻が当時多くの人々の意識
 信仰に深く根ざしていることが読み取れる。
 古代エジプトの人々の世界観によってこそエジプトは生まれ、支えられていた。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
       『 稲穂黄金の未来の歴史家へ
         『 稲穂黄金の未来の国家へ


 
● ちっぽけな世紀

 現代の我々のこの世紀は、実にちっぽけである。
 1000年後の人々は、この20世紀、21世紀という時代に特別な関心を
 示しはしないだろう。
 芸術においても、文学においても見るべきところは特に何もない。

 1000年後の人々が学校で習う教科書には、20〜21世紀について
 以下の2、3行の説明されるだけだろう。

 『 大きな戦争が数回起こり、工業の発達により地球環境が著しく悪化した。
   デジタルの情報技術が開発され、多く普及した。』

 記載されるのはこれぐらいであろう。
 学問についても芸術についても記載されるものはほとんどないと言ってよい。

 20世紀から現代の21世紀において文学は地に落ちた。
 芸術もその力を失って久しい。
 人間の姿をかくも美しく書き上げる者は誰もいない。
 人間そのものの力が弱まっている。

 ホメロスやシェークスピアの登場などは、まるで期待できない世紀である。
 4、5世紀のヨーロッパに起こった出来事が、ゲルマン民族の大移動という簡易
 な言葉で表現されるように、20〜21世紀も数行で語られることになろう。

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● 文明の痕跡と現代の我々@

 偉大な国家とは、人々が共通意識を携え、その大きな目的に向かって進む時
 にもたらされる。
 だがそれだけでは偉大な国家と呼ばれても文明とまでは呼ばれない。
 それらの目的が、人類の普遍的な価値を提供できるかに掛かってくる。
 
 しかし、仮に文明とまでは至らなくも、偉大な国家になれれば、その国に生きる
 人々は、大きな幸せを感じるだろう。
 人々が共通の意識を育み、大きな目的に向かって、人々が力を合わせて、
 その目的を達成することは、人々に連帯感の満足を与え、かつ躍動感を
 もたらすことにつながる。

 偉大な国家の中で、ほんのわずかな国家だけがさらなる高みと言える文明を
 築き上げた。 古代エジプトも古代インドも古代ペルシャも古代ギリシャも
 古代ローマも文明と呼ぶにふさわしい高みを有した。

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 ● 文明の痕跡と現代の我々A

 もちろん、それらの高みがいつまでも続くはずはない。
 それらの高みは、人類にとっては例外中の例外とさえ言える。
 人類の大部分は、迷妄と愚鈍の内にある。
 人々の意識は弱く、誰もが睡眠を好む。現代の我々もまた深い眠りの中にいる。

 されど文明が残した痕跡は、我々にその可能性を知らせる。
 人々の意識が真に目覚め、皆が一致団結すれば、これほどのものを
 生み出せるということを我々に教える。
 現代に生きる我々が、文明のその痕跡を見る時、我々は人間の可能性を
 見つめているのだ。
 そうしてふと思う。我々にもひょっとしたら同じ力を有しているのではないか?

 もちろん、それでも我々は簡単には目覚めない。ごまかしなどきかない。
 偉大な文明を作った優れた古代人も、一歩一歩ひたすら進んだ。

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