文明の欠点  文明に欠点があるというよりも人間に欠点がある。どんなに優れた文明も人間の力次第である。
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文明の欠点

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大企業の経営者の話は聞かない方が良い16の理由   
巷では経営者による人生話の本が多く出版されている。しかしこれらの話を鵜呑みにするのは危険だ。眉に唾をつけて聞く必要がある。
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文明の欠点
 文明の発展と衰退。歴史は確かにそれを繰り返す。
文明の仕組みは変わらなくも、そこに生きる人々の力が変化し、また価値観も
変化するからである。

 
● 文明の欠点@

 文明には特別に欠点という欠点はない。
 人類の造った国家が文明に至ったこと自体が奇跡に近いことである。
 
 文明の欠点というよりは、文明もまた人間によってこそ支えられる事に
 よって人間の力が減退すれば、文明もその力を失うのである。
 文明の欠点というよりも人間の力が持続できない事、人間の欠点こそが
 文明に反映されてしまう。
 文明の欠点を敢えてあげろと言われれば以下となる

    @ 
文明は人間の力なしでは持続できない
    A 
偉大な文明の衰退時の人々の不安の高まり
     B 留め金の意味を忘れ、人間の善の力に期待しすぎる

 人々は都市を築き、国家を作り、様々なルールを整備して、人々の暮らしと
 交流を円滑にして、人間社会を上手に運営してきた。
 それらがうまくいけばいくほど、多くの富も集まった。
 人間の様々な弱点や欠点を考慮して制度が作り上げられた。

 人間の優れて良い性質に光をあて、人間の悪い性質を奥に引っ込みさせる。
 偉大な文明は、人間の欠点も含めて、それが人間であるとして受け入れた。
 古代人は、人間の欠点も時に愛した。

 その中でもっとも人間に適した国家を展開した国が後世に文明と呼ばれた。
 もちろん、どれ程、優れた文明でも、文明それ自身では立っていられない
 どれ程の文明も万能ではない。
 その文明を理解する人を失えば、文明はたちどころに衰退し滅ぶ。

 文明だけでは立っていられない。
 文明を真に理解するだけの洞察力を備えた人間を失えば、どれほど
 偉大な文明とて倒れてしまう。

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 ● 文明の欠点A

 文明の成長時期と衰退時期に生きる人々の環境は大きく異なる。
 その落差が非常に大きい。

 特に偉大な文明が衰退する時の人々に押し寄せる不安は限りなく大きい。
 もともとそれがなければどうということがないが、その環境を手にして
 その生活になれたときに、それを失うことは心理的な負担は大きい。

 それが偉大な文明となるとなおさらである。
 文明はまさに人間そのものに対する洞察が優れていた。
 都市のあちこちで人間の不満と不安をやわらげる仕組みがあり、人々が交流
 できる場所がもたらされていた。
 偉大な芸術や学問が生まれた文明とは、つまり人間の可能性を引き出し、
 それらをサポートするだけの力を備えていたということだ。
 それを失ってしまうのである。人々の不安は、日にしに増大する。

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● 文明の衰退と人々の不安

 ローマ帝国に人々は、ローマ文明を失って、そのあまりの偉大さに改めて
 気付かされた。なれども、どうしようもない。
 ヨーロッパのあちこちは既に大きく荒れてしまった。

 帝国が失われると、あちこちで秩序が壊れた。
 人間の間に多くの不信が生まれた。自分は欺かれまいと先に他人を欺いた。
 人間同士の不和、争いが頻繁に起こり、それに引き寄せられたかのように
 天変地変が重なり、凶作となり、食料不足が襲い、かつ多くの場所で疫病が
 蔓延する事態となった。

 ローマ消滅以後、中世ヨーロッパでは多数の残虐な行為と争いが頻発した。
 文明の発展は、偉大なものをもたらすが、それが失われた時の反動も
 これまた大きい。
 
 人類の大部分は、迷妄と愚鈍のうちにある。
 それゆえに偉大な文明が生まれた時代とは、奇跡に近く、異常な状態で
 あるとも言える。

 偉大な古代ローマ。社会制度や政治体制などあらゆるものが人々の
 深い洞察力によって支えられていた。それがあまりにも立派であった為に
 ローマの衰退もゆっくりと推移した。
 それだけの蓄積が古代ローマにはあった。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の歴史家へ


 
● 文明の衰退と聖典の宗教

 古代ローマ帝国(=西ローマ帝国)が崩壊した当時の人々の状況を敢えて
 例えるならば、裕福で何にも困らない子女が、その父親を失ってまるごと財産
 を失って土地や家を失い、世間の荒波に放り出された感覚に似ている。
 世間の風は冷たい。

 元お金持ちの子女は、どこにいっても相手にされずに、あしらわれる。
 昔ひいきにしていたショップに言っても、いまや門前払いである。

 ある教会でパンを恵んでくれたのを切っ掛けに、生涯を
信仰と共に
 生きることを決意して、修道女になるやも知れない。

 事実、古代ローマが滅びた時のヨーロッパの人々の多くはそうなった。
 ローマが消滅した時に、人々を支えたのはキリスト教である。
 偉大な文明が滅びる時に人々を支えるのは、決まって聖典をもつ宗教である。

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● 古代ローマと平安時代

 古代ローマが衰退し、滅びる時に人々の内面を支えたのが聖典をもつ宗教で
 あるキリスト教である。
 同様に、平安時代末期の日本において、人々を支えたのは聖典をもつ仏教
 であった。平安末期から鎌倉初期に多くの仏僧が登場して人々と共に生きた。

 古代ローマが衰退し始めた時にキリスト教が広がっていったように、
 平安時代が衰退し始めた時に、人々が救いを求めた。
 それに答える人々も多くでた。それが後に鎌倉仏教と呼ばれる仏教である。

 最澄と空海が開いた平安仏教から、人間の救済の面をさらに強めた鎌倉仏教
 へ移行した。文明国において、芸術が力を失い、さらに学問が力を失えば、
 都市に住む人々の間から迷いが生まれるのは必定とさえ言える。

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● 文明の転換点に現われる者達

 いつの時代も文明の転換点、それも生きんとする意志の肯定と否定との
 転換点の時に、優れた宗教家、神霊家が生まれるものである。

 ローマ滅亡後にはキリスト教の教えが西欧諸国の人々の支えになったように
 日本では平安時代の始まりには、最澄と空海という偉大な者達が生まれ
 またその平安時代の末期から鎌倉初期には、法然、親鸞、道元、という
 これまた優れた者たちが登場した。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の宗教家へ


 
● 留め金の役割

 文明について以下のことを語っていなかったので以下に述べておく。
 文明には、
留め金の役目があり、その留め金が実に強力である。
 人間の欲望や欠点が暴走しない為の留め金である。

 これはもちろんあらゆる国家が持っている。
 ルールが生まれ、それが法律や政治制度、社会体制となる。
 これらこそが人間が暴走しない為の留め金である。

 偉大な国家は人間に対する深い洞察を持っている。
 人間の長所を引き立たせ、短所を抑える手法を確立している。

 国家が、文明へと飛躍する為には、さらなる人間に対する理解が求められる。
 人々が一箇所に集まって暮らすというのは、それだけ難しい。
 我々人間の中に、多くの問題を抱えているからだ。
 我々人間自体が救いがたい面をもつからだ。
 
 だからこそ古今東西、文明どころか国家を成立できずに消滅する事もある。
 国家や文明は人間の悪なる欲求が噴出するのを防ぐ役割を必ず有している
 文明ならば、それらが気付かないように、さまざまな点で工夫されている。
 人間の悪を防ぐ扉の留め金を国家を作り上げる。
 その留め金の最高の品質を有するのが文明である。

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● 留め金が外れるリスク

 人間の悪なる部分の暴走を防ぐ役割をもつ留め金。
 だからこそ、この
留め金が外されると、とんでもない事になる。

 むろん、その留め金がいきなり外れることはない。
 大抵は、国家や文明が衰退するに比例して、その留め金が緩んでいく。

 最初は、戸がカタカタと音を立て始める。
 それが激しくなり、その戸の隙間から悪が飛び出して問題を起こし始める。
 なれど、ここで留め金をしっかりと固定できれば問題ない。

 だが文明の衰退が激しく、その文明が万一倒れることがあればもはや
 それらの悪を止める手立てはない。
 あらゆる場所から問題が発生する。
 人間のもとから発生した悪の暴走を止める手立てはない。
 同時多発的にあちこちで起こる為にもはや対処が不可能となる。
 文明を手放すということは、それだけのリスクがある。

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● 文明の留め金が外された中世ヨーロッパ

 中世のヨーロッパでは、人々の関心は信仰にうつった。
 いくつもの国家が乱立た。
 古代ローマ時代には留め金が人間の欲望を抑えていたが、中世ヨーロッパ
 で国家よりも神を信じることの方が重要となった。
 何よりも神を信じることが第一となった。

 ヨーロッパでは、多くの人が信仰に熱心であったからこそ、それらの留め金
 を作り、各地域に普及するだけの熱心さがなかった。
 文明の留め金がない地域では、多くの不正や騙し、盗み、詐欺が発生した。

 神を信じれば、異民族、異教徒さえ殺してよい時代でもあった。
 こうなると人間全般に対する徳、人間の内部から自然と湧き上がる良心など
 は見抜きもされなかった。
 特にヨーロッパにおける十字軍の残虐さは良く知られる。
 異教徒は殺しても良いと本当に信じていたキリスト教徒は、情け容赦なく
 イスラム教徒の人々を殺した。イスラム側も残虐なキリスト教徒に対抗する為
 に残虐にならざるえなかった。

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● 古代文明と中世ヨーロッパ

 古代人と中世ヨーロッパの一番の違いは、古代人は神などといっても
 生きんとする意志に感謝するのであって、現代の日本の神道のごとく、
 家に神棚があって祈るという程度に過ぎいなかったが
 非常にモラルがあり、人間が大切にされた時代である。

 中世ヨーロッパの人々が信仰する神とは、生きんとする意志の否定にこそあり
 人々は節制を保ち暮らした。その姿は現代のキリスト教の神父さんやシスター
 のようであり、日々に神に祈っていた。
 なれどもそんな中世ヨーロッパがもたらしたモラルは最低であった。
 中世においてはどれぐらい悲惨なことが起きたかは良く知られている。
 なぜならば、人間の大部分はもともと真面目に信仰になど生きれる者達では
 ないからだ。それを社会が強要すれば、それはどこかで無茶がでる。

 古代人は、宗教宗教などまるでしていなかった。
 なれども彼らは神々と共に生きていた。

 それとは反対に中世の人々は信仰の中に生きたが、彼らの足元には
 神々はこなかった。
 古代人と中世ヨーロッパの芸術作品の差異を見れば一目瞭然である。

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● 古代人と近代人の差

 古代人は、あれほどの文明を築きながら、聖典の宗教を必要としなかった。
 この意味はとてつもなく重要である。
 古代人が、いかに偉大であるかを物語っている。
 これは何度言っても言い過ぎる事ではない。

 何ゆえに古代人が、文明を発展させながら聖典をもつ宗教が不要であったか?
 それは文明の様々な箇所に人々の苦悩を吸収する仕掛けがあったからだ。
 さらに、芸術の技が優れていたからである。
 
芸術は人々の苦悩を昇華する力をもつ
 聖典をもつ宗教と芸術はまったく異なるが、人々の苦悩を救済するという
 その点においては共通している。

 それゆえに、大本(教)の
出口王仁三郎はこう述べたのだ。
 『 
芸術は宗教の母である 』と。

       
絵を描き、書を書き、陶芸、など多くの芸術作品を残した
        

 古代人にはその圧倒的な芸術の技があった。
 天才民族の古代ギリシャ人などは、聖典をもつ宗教とは無縁であった。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の古代人と現代人
        『 稲穂黄金の出口王仁三郎


 
● インドの教えとプラトンとイエス@

 古代ギリシャ人は、芸術の技があらゆる民族の中で優れ、人間の内面に
 おこる多くの苦悩を芸術の技によって救済していた。
 古代ギリシャ人は、聖典をもつ宗教とは無縁であった。

 プラトンがギリシャの哲学者の中で、プラトンだけが別格の観があるのは、
 プラトンが聖典をもつ宗教(=インドの教え)の知識を有していたからである。

    
  
神のごときプラトン。プラトンは間違いなくインドの教え(=ヒンデュー)を吸収している。

 インドの教え、それは特にヒンデュー教に代表される知識である。
 プラトンは、それゆえギリシャの優れた哲学者の中でも異質な面をもつ。
 そもそもプラトンがイデア論を展開したが、これはまさにヒンデュー教に
 通じる教えである。

 西洋において、聖典をもつ教え(=インドの教え)は2人の人物、つまり
 プラトンとイエスによって継承されたと言える。
 プラトンとイエスの共通点がある。
 共に
エジプトに行った事があるということだ。
 プラトンはエジプトでピラミッドを見ている。

 プラトンが古代ギリシャで異質とさえ言える面を有していたのは、まさに
 インドの教え、それもヒンデューの教えを吸収したからである。
 プラトンはエジプトの僧侶からインドの教えを吸収したに違いないのだ。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金のプラトン
        『 稲穂黄金のイエス・キリスト


 
● インドの教えとプラトンとイエスA

 またイエスが幼い時にヨセフに連れられてエジプトに逃避行する事は
 マタイ伝の最初に述べられる重要な出来事である。
 ヘロデ王が幼子の命を狙っているから、ヘロデ王が死んだ後にイエスの一行
 はイスラエルに戻ることになった。

 イスラエルに戻ってからイエスは成長し布教活動を活発化させるのであるが
 マタイがマタイ伝に書き残した意味は、イエスはエジプトでインドの教え
 (=仏教)を吸収したこと、それによってイエスはイスラエルに戻り、布教活動
 ができたという意味を含んでいると思われる。
 この点については、200年以上前に、ショーペンハウアーが述べている。

 キリストはエジプトにおいて現地の僧侶からインドの教え(=仏教)を吸収した。
 イエスはそれゆえにこと人間からメシアへと変化した。
 イエスは釈尊に少しでも近づきたいと願った。
 イエスは、釈尊のごとく生きようと決心した。
 イエスの生涯は、まさに釈尊のごとくに愛と慈悲の生涯であった。
 イエスは、釈尊の弟子であるのだ。

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(*) 詳細は以下のサイトを参照
        『 稲穂黄金のイエス・キリスト


  
● 芸術の衰退と聖典の宗教

 どれほど優れた文明であっても、いずれ衰退する。
 人間の力が弱まるからだ。高いレベルを持続することは難しい。

 芸術の力によって多くの苦悩を救済出来る時代は問題なかった。
 なれど、いつまでも優れた芸術の技を有することはできない。

 芸術の技が弱まれば、代わりが必要とならざる得ない。
 そこに登場するのが聖典をもつ宗教である。
 
 人々は聖典の宗教に頼らざるおえなくなる。
 だからこそ、古代エジプトであっても古代ペルシャであっても聖典をもつ宗教が
 どっと流入した時代があった。
 それゆえに時の為政者は、聖典をもつ宗教が流入して、太古の神々にとって
 変わられることを恐れた。それがアメンホテプ四世やザラスシュトラが生まれた
 要因なのである。

 偉大な文明でも芸術の技が弱まれば、聖典をもつ宗教の流入を招いた。
 もちろんそれでも古代人のその力は非常に優れていたからこそ、太古の神々を
 失うことはなかったが・・・・・。

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● 聖典の宗教が不要な天才民族

 聖典をもつ宗教がまったく不要であったと言えるのが古代ギリシャ人である。
 世界で唯一とさえ言える。天才民族である。
 古代ギリシャ人の美的感覚はあらゆる民族を超えていた。
 古代ギリシャ人を見ればみるほど、彼らは神々と常に共にいた。

 神々に共に入れたのだ。
 神々も古代ギリシャ人を愛した。
 古代ギリシャ人は、朗らかで、太陽のごとくに眩しいとさえ言える。
 人類は、彼らギリシャ人から遠ざかること注意を払う必要がある。
 学問であれ、芸術であれ、彼らに近づくことこそが大切なのである。

 古典を学ぶ重要さといった場合に、その古典に真っ先にあげる民族こそが
 古代ギリシャ民族である。

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● 文明は留め金の存在を忘れさせる

 長い間の平穏が続くと、人々は文明の留め金の存在自体を忘れる。
 留め金が掛かっている事を忘れるならば、まだましなのだが、留め金自体
 の存在を忘れてしまう時がある。
 それが存在するのは、当然だと思うと人間は忘れるものだ。

 なれどいざ国家が倒れ、文明が衰退すると、人間の内から多くの問題が
 発生してきて、その時に人間の愚かさに気付く。
 この時に留め金の存在に気付くのだ。

 その時に、人間の内から多くの欲望が溢れ出し、あちこちで火花があがり
 地上には悪が充満する。あらゆる場所で盗みや騙し、暴力が発生する。
 長い間、強大な国家によって守られていた地域に住む人々ほど、人間の
 愚かさを味合わされることはない。

 人々は迷い、苦悩し、不安が大きくなると、手探りで何にでも、しがみつく。
 時に誤って、大事な留め金をはずしてしまう。

 文明の留め金がはずれた時に、この地上に非道、暴力、残虐な行為がそこら
 中から溢れ、時に国民を巻き込んだ大惨事になることもある。

 文明の留め金をはずす時は、慎重の上にも慎重にである。
 それほど、急激な改革は、予想だにしない結果を引き寄せる。
 人間の性質を安易に考え、それらを楽観視して信じると、とんでもないことが
 起きるのだ。

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● 人々の覚醒と文明の勃興

 文明は、多くの人々の目覚めによってもたらされてきた。
 人々の意識が覚醒する時があるのだ。

 目覚めの時が、少しでも長いだけで偉大な文明をもたらすことになる。
 もちろん起きている人間もいつかは眠りにつくように偉大な文明もいずれ幕を
 降ろすことになる。

 現代においては、古代エジプトも古代ペルシャも古代ギリシャも古代ローマも
 古代インドもこの地上には残っていない。
 その面影すらもとどめていない。
 残るのは、彼らが生きていたというわずかばかりの痕跡である。
 なれどその僅かな痕跡でさえ、現代に生きる我々の胸を熱くさせる。

 文明の主役は人間である。
 我々は、その遺跡の上でかつて人々が生きていた事を感じるからこそ
 胸を熱くするのである。
 かつてこの美しい舞台で、美しい人間が演じた姿を想像するのだ。

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● 文明の衰退と消滅

 いつまでも目覚めているわけではない。
 多くの人々も眠気に襲われえてきた。
 華やかなパーティーもいよいよ終局である。
 眠りにつく時が近づいている。

 人々の意識は、ぼんやりしてきてえ、先ほどまでは先祖の作った偉大な作品
 を食い入るようにみて、絶賛していたが、もはやそれを評価することさえ
 忘れている。意識が遠のいていく。
 どのような偉大な文明であっても終わりがきた。

 文明の主役は人間である。
 その人間が眠りの中に埋没すれば、もはや文明に話しかけるものはいない。
 文明を理解する人間を失って、文明もまた消滅する。

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● 大きな夢を見るとき

 あらゆる人間が団結し、その大きな夢に向かって協力する。
 それらの事業は、現世に生きる者達だけのものでは決してない。
 あらゆる時代の人類に対して投げかけられている。
 新たに生まれた人々への励ましである。

 顧客満足度やサービス満点などという現世的な小さな夢について
 語りたいのではない。
 そういう話は、あらゆる場所で、あらゆる時代に繰り返しなされてきた話だ。
 それらの現世を遥かに越えて、あらゆる時代に届く夢を語るのだ。

 
古代エジプトの人々は夢を描き、行動し、叶えた。
 それが宮殿をもたらし、ピラミッドを作り、オベリスクを残した。
 古代エジプトの民は、何かの見返りの為にそれを行ったのではない。
 その夢に参加出来る事に感謝し、我が事のように喜んだ。

 
古代ギリシャの人々は、その夢を描き、行動し、叶えた。
 人間の美しいさをあらゆる方法で表現した。
 文学によって、彫刻によって、詩によって表現した。
 彼らの描く人間は、まさに光り輝いていた。
 人間の美しさを人類に知らせたのだ。

 
古代ローマの人々は、その夢を描き、行動し、叶えた。
 彼らの都市は、あらゆる文明の中でもっとも壮大で美しい。
 人間に対する洞察があり、同情があり、許しがあり、そうして愛があった。
 彼らはどの時代の人々よりも結束した。強い連帯をつくりあげた。
 彼らは真にローマを愛した。
 人間の情熱が、あれだけの美しい都市をもたらす事ができるのを
 人類に知らせた。まさに人間の可能性を展開したのだ。

 現代に生きる我々は、どんな夢をみるのだろうか?
 どんな夢を描き、行動し、叶えるのだろうか?
 小さいな夢で、我々は精一杯なのであろうか?
 大きな夢をみようという勇気さえ失ってしまったのか?

 古代に生きた者達の魂は、もはやこの地上のどこにも残っていないか?

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● 貧弱な時代=21世紀@

 平安時代も奈良時代の行基と、その時代の蓄積、さらには伝教大師と弘法大師
 の2人の天才による神霊世界の理解の確立と、優れた貴族の存在があいまって
 平安時代は日本史上最高のレベルに到達したのである。

 日常において、歌を送りあう事が頻繁に行われ、恋愛においても歌に詠んだと
 いう事実だけで、どれ程の文化のレベルが高かったかが伺い知れる。
 優れた人々の存在なくして、日本の黄金時代といえる平安時代はもたらされない。
 むろん、平安時代にも様々な問題はあった。
 人間が都市に生きるのだから、色々と問題はある。

 なれど、日常の中で歌を詠みあったという事実だけで、21世紀の現代よりも
 遥かに高度な知的文化が成り立っていることがわかるのだ。

 現代との差を思い知らされるのである。

 
20世紀、21世紀において芸術、学問など実に貧弱である
 特に
文学の堕ち込みは激しい

 
文学の高みは、その時代に生きる人々の高みを表す

 日本の文学の低さ、それも戦後日本の文学の低さは、現代の人々の力の
 貧弱さを物語る。
 いま純文学が売れないという。
 理由は色々探すことができようが、その大きな理由は、やはり文学にまるで
 力がないことである。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の小説家へ
        『 稲穂黄金の未来の文学者へ


 
● 貧弱な時代=21世紀A

 もちろん、これは日本に限った話ではない。
 世界を見渡してもこの100年の文学の落ち込みは激しい。
 18世紀にはゲーテで出たが、19世紀になるとニーチェやドストエフスキー、
 トルストイが登場したが、18世紀に比べて大きくレベルを落としている。
 さらに20世紀に入るとそのレベルの低下は目に見える程である。

 現在までノーベル文学賞の受賞者は100人程度いるが、100年後の22世紀
 までにその名が残るのは2、3人である。
 トーマスマン1人だけかも知れない。

 これらの受賞者の作品と、シェークスピアやゲーテなどの真に偉大な作品を
 見比べれると、その違いは歴然である。

      
ゲーテシェークスピアの作品を一目見れば、彼らの作品が現代の作家
       作品とは、まったく別次元の世界の作品であることが伺える。
       
人間のもつ力そのものが大きく異なるのだ。
         
             ゲーテ              シェークスピア

 知性も圧倒的な差があり、感性も圧倒的な差があり、選んだ言葉一つ一つ
 にも大きな差があるのだ。
 ゲーテやシェークスピアのもつ人間の力そのものが、近代、現代の者達と
 まるで違うのだ。
 20世紀、21世紀の時代は文学は非常に貧弱である。
 残念ではあるがそうなのである。
 人間の力がそれだけ弱まっている事を示しているのだ。

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● 自然から大きく離れた近代人

 古代の人々と近代の人々の大きな違いがある。
 それは近代、現代に生きる我々は、自然から大きく離れた事による。

 古代人の偉大さは、高度に文明を築きながらも自然から離れなかったと
 いう点である。

 古代ギリシャ人の服装は、人間の体の美しさをそのまま表現する為に、布を
 体に巻いた服装をしていて、体の曲線美を服で邪魔しないようにしていた。
 さらに古代人が作った彫刻の多くは人間であり、それは人間の裸体を描いた。

 自然界において、人間だけが嘘をつく。
 自然界において動物は皆、裸であり、その姿を隠さずに生きている。
 なれど、人間だけが服をきて、その美しさを洋服で隠す。

 なれどギリシャ人もローマ人も高度に学問や芸術を作り上げながら、それで
 いて自然からなるべく離れずに美しさ忘れなかったという点である。

 自然から大きく離れる時代とは、迷妄と愚鈍とが支配する世の中である。 
 古代ギリシャ人、古代ギリシャ人や古代ローマ人は、あれだけの文明を
 築きながら、自然の側にいた。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の世界と自然と人間と


 
● 古代人の英明さ@

 古代の人々のように聖典をもつ宗教は不要であった。
 古代の人々は、太古の神々を大切にしながら都市を建設して文明に至った。
 これは古代人の英明さを示している。

 近代の人々は、それを真似することができない。
 都市の中で生きる人々は聖典の宗教を強く求めざる得なかった。
 文明が発達すればするほど、それに比例して聖典をもつ宗教は、その信者数
 を増やしていった。
 人類の文明の発達と聖典をもつ神の広がりは比例する。
 聖典をもつ宗教は滅びないと言われるのは、人間が文明と歩むことを
 放棄しないという理由からこそ言えるに過ぎないことだ。
 聖典をもつ宗教が、聖典を持たない宗教よりも優れているなどとは
 ユメユメ思わないことである。

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● 古代人の英明さA

 近代の人々は、古代の人々よりも遥かに劣るがゆえに、聖典をもつ宗教
 とすがらなければならなかった。

 古代の人々は、それらがなくても文明を築くだけの力があった。
 彼らの洞察力はあらゆる分野を見通し、街はなによりも美しく、
 自然の奥に潜む神々は身近に感じた。
 様々に起こる問題を、芸術と学問の力によって乗り越えた。
 それゆえ聖典をもつ宗教は不要であり、太古の神々と共にいたのだ。

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● 文明と共に生きる覚悟

 人類の多くは、文明と共に生きることを決めた。
 法は整備され、社会制度、政治制度は構築して多くの悪を封じることが出来た。
 さらには学問、科学を発展させ、食べ物を安定的に供給すべく努めた。
 医学が発展して、様々な疫病や病気に対処するように努めた。

 そうして都市社会を形成し、人々は協力し合い、効率的に多くの製品を
 生み出せるように産業を盛んにした。
 あらゆる分野で、多くの良品を作り出すこともできるようになった。
 すべては良いことのように見えた。

 なれど、そのような便利な都市で生活する人々の心の奥に貧困が忍び拠って
 きた。科学技術の発達で多くの商品を手に入れたが、不安が心から消えない。
 ゆとりと安らぎのある生活とは程遠い。いつも心はせわしい。そんなことが
 頭から離れない。なにか大切なものを忘れているのではないかという漠然と
 した不安が頭をよぎらないわけにはいかない。
 遠い昔にそうであったように、神なるものを求める日々が懐かしく感じ始めた。

 確かに人類は、文明の中で生きる決断をした。
 なれど、太古の神が、自然の奥に存在する神なるものへの愛執は
 決して消えない。消えないからこそ、またその対極の仏なるものを求めた。


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● 芸術と宗教

 人間が集まって暮らして、人間が有する欠点から生まれた様々な問題を
 抑える仕組みを文明は持ち合わせている。
 文明は、なるほど、様々な経験と人間の叡智によりもたらされた。

 人間が集まって暮らすと様々な問題があらわれた。
 人間の内面から生まれた苦悩を和らげる教えこそが聖典の宗教である。
 聖典をもつ宗教は、インドの聖者、釈尊、イエスにより世にもたらされた。

 なれど人々を救済する方法は、聖典をもつ宗教だけに限らない。
 人間の苦悩を昇華させる技がある。それが
芸術である。

 
芸術とは、天上の神々の落し物と言える。

 古代人は、それらを誰よりも理解していた。
 だから彼らは偉大な文明を築いても、聖典の宗教を特に必要としなかった。
 彼の圧倒的な芸術の力が、彼らの苦悩を昇華させたからである。

 天上の神々は、この大地に落し物をした。それこそが芸術であり美である。
 我々人類は、その
落し物を天上に届ける義務がある。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の芸術家へ


 
● 文明と文学の共通性@

 真に素晴らしい文学とは、文明の歩みのごとくである。
 文学の中で最高と呼ばれる作品は、以下の流れのごとくである。

 生きんとする人間の
意志の肯定から幕があがる
 その生きんとする意志を代表する
恋愛を題材に語られる。

 身分差や境遇を越えて、愛し合う男女。
 あらゆる条件を越えて、それらは引き合う。
 生きんとする意志の肯定である。

 なれど
現実は甘くない
 気まぐれなこの世界は、僅かなすれ違いでさえ見逃さない。
 二度と会うことがまかり通らない様ように運命の糸をからませる。
 
 愛する人との恋が成就しない事を知り、絶望する。
 生きんとする意志が満たされれば、多くの喜びで包まれるが
 
満たされなければ苦しみが訪れる

 恋する事は喜びであり、そしてまた苦しみである。
 生きんとする意志の喜びを味わえなかった者は、七転八倒せざるえない。

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 ● 文明と文学の共通性A

 苦しんだ挙句に、微かな差し込む光明。
 そこから生きんとする意志の
否定にこそ救いを見出し、安らぎを見出す。
 最終的に訪れる境地は、あらゆる苦しみからの解放を意味する。
 最後には、苦しみを越えて昇華させるのだ。


 文明のこの一連の歩みと優れた恋愛文学の流れは大いに重なる。

      
文明の歩み         文学(恋愛文学)
   ---------------------------------------------------
   生きんとする意志の肯定      愛の成就に燃える
          ↓                   ↓
   肯定することの苦しみがでる    現実は甘くない、恋に破れる
          ↓                   ↓
  生きんとする意志の否定       失恋を忘れる
          ↓                   ↓
     苦悩からの救済         光明を見出し、救いへと進む

 仮に結果的に愛が成就するような事があれば、その喜びも束の間、
 この世界の気まぐれによって悲惨な結末が訪れる事になる。
 それは大抵、死によって全てを帳消しにして、同様に苦悩を昇華させる。


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 ● 人類の歩み

 人類の長い歴史を見れば、その多くは迷妄と愚鈍の内にあった。
 近代のおいても、多くの迷妄と愚鈍が広がり、人々は苦しんだ。
 古代のある時期に人々は目覚め、人間の美しさと可能性を展開した。
 科学を発達させ、工業を発達させ、文明を発達させてもきた。

 これらを含めて歩んできたもの全てが、つまりは人間の道である。
 愛せない部分、受け入れがたい部分を含めて、人間の歩んだ道である。

 これからも人間はこの大地を歩く。
 この世界が見せる現実は決して甘くない。
 人間自身の中にも多くの欠点があり問題がある。

 なれど我々は歩く。先などまるで見えない。
 どこに着くのかさえ、まるでわからない。
 それでも我々は、一歩一歩と大地を踏みしめながら歩く。
 勇気を振り絞り、智恵を働かせ、人々は手を合わせ、この暗闇を進んでいく。

 ”『 ごらん、私達の命は、ほんの数日、ほんの数時間なのよ 』
    あでやかな一群の花が私に語りかけてきた。

  『 
でも、私達は驚かないの、暗い冥府がこんなに近くても
    
だって私達はいつでもいるんですもの
    
あなたと同じに永遠に生きるんですもの。』 ” ショーペンハウアー

            

             アルトゥル・ショーペンハウアー

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の人類へ
        『 稲穂黄金の未来の国民へ






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