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 国を治めることは人間を治めることである。
 そしてその人間は、非合理的で非現実的なものを求めている。

 
● 人間が求めるもの

 人間は、合理的で現実的なものだけを求めていると思いきや、
 非現世的な価値を強く求める場合がある。
 
非合理的非現実的なものもを強く求めている。

 神や仏を見たことがなくても人々は神を思い、仏を思う。
 超越的な存在を論理的に証明できなくても、人々は超越的な力に興味を抱く。
 例えば、マジックや不可思議な話に興味を抱くのは世界共通である。
 人間が、非合理的で非現実的なものもまた求めている事は確かである。
 この非合理的なもの、非現実的に見えるものを軽視してはならない。

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● 非現世的な価値@

 人間の中には、非合理的なものを求める欲求をもつ。
 それゆえに国家はその非合理的な欲求を無視することができない。
 無視し続ければ、その反動が積み重なり、一度に人間社会に襲い掛かってくる。
 国家は、人間の中の合理的なものに答えもするが、非合理的なものに答える為
 にも存在する。

 現世的利益のみで集まる集団はこの世界に多くある。
 政治家、商人、冒険家、海賊や盗賊、ヤクザやテロ集団である。

 彼らは、同じ現世的な目的を共有し協力して生きる。
 ここでいう合理的とは、経済的な豊かさ、日常の快適さ、その他諸々の利益を
 得るために効率的に動くことである。

 もし仮に人々が、合理的なもの、現世的な利益(経済的な利益や日常の快適さ)
 だけを求めるだけであったならば、そもそも
国家などは不要であっただろう。

 国家が、現世的な利益を求めるだけならば、国家の運営は商人に任せられ
 たであろう。
 なれど、歴史上のどの国家が商人に国家運営を任せただろうか??
 国の命運を商人に委ねた国家を、稲穂黄金は知らない。

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● 非現世的な価値A

 いつの時代も現世的な利益を越えた要因によって国家は動かされてきた。
 人々はその非合理的、非現実的なものを時に、強く国家に求める。

 国家は、外的な国々から自国の利益を守る為に兵隊を養う。
 国益を守ることに多くの労力を要する。
 現世的な利益を度外してして、名誉の為に戦うことすらある。
 商人は名誉の戦いなど、糞食らえだと心の中では思っている。
 一文の特にならないではないか?と。
 だから大抵、戦士と商人は、互いに馬が合わないものである。

 いつの時代であっても人々は国家を現世的利益を越えたものを求めた。
 国家とは現世的な利益と、現世的な利益を越えたものとの合わさった意識の
 集まりである。国家とは人々の意識の集まりであり、その体現である。

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● 歴史が教えること@

 人間が単なる経済的な利益の重んじる商人のような存在であったならば
 人類の歴史の大半は、経済的、金銭的な妥協であろう。
 利害関係の調整のみの歴史であっただろう。
 経済の利害関係のみで、国家の領土も決められることもあっただろう。
 確かに歴史の中には、周辺国に貢物を送ったり、大国の属国になった例は
 数多く存在する。

 なれどそれ以上に、経済的価値にくくれない出来事が多数存在する。
 小さな島を巡る争いが大戦争に発展することもあるし、1人の人間の生死の為に
 大戦争に発展することもある。
 現世的でない存在、つまり神の名で、人類は度々大きな戦争を行ってきた。
 その国の人々が信じる信仰を広げることでも戦うことも多数存在した。
 十字軍しかり、プロテスタントとカトリックの争いしかりである。

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● 歴史が教えることA

 現世的な利益を優先するだけなら、他の国の人々が何を信仰していようが
 問題がないはずである。しかし現実は大きく異なる。

 現世的な利益を越えた原因によって人類は何度も何度も戦争をしている。
 それらは単に愚かという言葉だけでは片付けられない。

 自国の文化を世界に広げる為に戦うことさえある。
 古代ペルシャの誇る偉大な都市ペルセポリスは、アレキサンダー大王によって
 ことごとく壊された。古代ギリシャ人にとっては英雄である彼も、古代ペルシャの
 人々からすれば、無慈悲な破壊者以外の何者でもない。
 アレクサンダー大王が、古代ギリシャ人にとって英雄であり続けたのも、
 つまりは偉大なペルセポリスを徹底的に破壊したからかも知れぬ。
 それだけペルシャの偉大な都市であった。
 古代ギリシャの文明でさえ飲み込む可能性はあった。

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● 資本の論理と若者の離反@

 人間のあらゆる価値観を捨てて、たった一つの価値観、即ち経済的価値のみ
 が特化した場合に世の中で何が起こるだろうか?
 
 社会に無気力が発生する。
 なぜならば、国家を次代を担う若者が、社会に失望するからである。
 若者の多くは、どこかで現世的価値以外の価値を見ている。

 それなのに社会は、現世的な価値、それも経済的価値こそが一番重要で
 あるかのごとくに主張する。
 もちろん経済的価値も重要である。
 無視できるような何ものでもない。
 経済は人々の日常の生活に密接に関連し、影響を与えている。

 なれど若者はどこかでそれら以外の価値にいきたいと望む。
 その思いが若者特有であるなどと軽視すると、とんでもないことが起こる。

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● 資本の論理と若者の離反A

 21世紀の現代においても、多くの企業経営者は本を書き、テレビに出ては
 働くことの意義、仕事によって得られる人々の感謝などを声高に主張する。

 なれど多くの経営者が、経済的利益と関連して遣り甲斐や仕事で得られる感謝
 の数々を述べれば述べるほど、
若者は働かなくなっていく
 それを主張すれば主張するほど、若者はどんどん仕事から離れていく。
 若者の多くが、生活の維持の為だけに最小限に働き、仕事をしていない時間
 にこそ己のやりたいことをするようになっている。

 経済的な成長が見込めない時代がくれば、現代の日本の若者のこの反応は
 必然とさえ言える。
 高度成長時代の若者が働いたのは、単に今日は明日よりも豊かであると
 思えたからである。高度成長時代の若者が働き者で、平成の若者が怠け者と
 いう事では断じてない。
 そもそも人間は、経済的利益を第一にして進める生き物ではない。

 多くの経営者も、若者を働かせる意味で、給料以外の価値を強調する。
 つまりは仕事を通しての成長や、仕事におけるお客さんからの感謝などを
 強調する事ばかりが語られる。

 もちろん、企業経営者のこれらの話の内容が嘘だなどとは言わない。
 なれども現実は、どんどん若者は働かなくなっている。

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● 若者を情熱的に動かす者達

 企業経営者が仕事のやりがいなどを強調してもまったく働かない若者が時に、
 目の色を変えて働くことがある。

 多くの若者を内面を急激に変えて、若者を動かす者がいる。
 
新興宗教の教祖である。
 今まで、無気力であり仕事も一生懸命にしない若者が、急に目の色を
 輝かせてもくもくと働くことがある。
 それも給料が払われなくても、せっせと働くのだ。奉仕するのだ。

 なぜ、そういうことが起きるかといえば、新興宗教の教祖は、非現世的な価値
 の存在を教えるからである。
 それは確かに現実的に利益ではない。
 それは確かに現実として確認できるようなものではない。

 しかしだからこそ、現世的な利益を越えた中に、若者は、今まで内面で腑に
 落ちなかった事が、その人なりに解消されたのだ。
 若者は、この世界に生きる意味の何らかを感じ取ったのだ。
 それが若いと言われれば、そういう面も多分にはある。
 だからといって、若いという理由の面で、それらは決して無視できない。

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● その意味を忘れる企業経営者

 大企業の経営者が、若者へメッセージを投げても、ほんの一部の若者達に
 しかその声は届かない。ますます届かなくなりつつ時代に突入している。
 企業経営者の本も売れない時代となった。

 現世的利益に関連したことばかりが問われているからだ。
 企業経営者にとっては、確実で絶対的な価値に見える経済的利益や社会貢献
 ではるが、それらがあらゆる価値の中の1つにしか過ぎない事を多くの企業家
 ほど忘れてしまうものである。
 その意味を忘れるほど、1つの価値に特化して働かなければ、そもそも成功
 などはおぼつかないとも言える。

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● 宗教の教祖の方が余程わかっている

 巷に溢れる新興宗教。
 新興宗教の教祖のほうが遥かに人間をわかっている
 世の経済人がいくらいってもうんともすんともしなかった若者が、新興宗教の
 教祖の話を聞いて、急に目を輝かせて嘘みたいに働く事がある。
 それも滅茶苦茶、奉仕するような事が起きる。
 昼夜を問わずに働いても疲れない。目を輝かして働く者も出てくる。
 なぜそうなるか?といえば、若者がそこに価値を見出したからだ。

     
新興宗教の教祖 > 企業経営者

 小さい頃から現世的価値の為に走らされてきた学校秀才ほどそうなりやすい。
 良い高校に入れば、良い大学に入れる。良い大学に入れば、大企業に入れる。
 そこで出世もできて、良い給料と生活が待っている。
 そんな事ばかりを周囲に言われた若者ほど、強く影響を受ける。

 それらの道は資本主義の論理に従った道である。
 悪い言葉でいえば、資本主義によって
洗脳されるとも言える。
 だからこそ、その洗脳を解く為には、まったく異なる価値観の存在に気付かされ
 るか、それ以上の洗脳が必要とされる。
 現世的利益に直結した画一的な教育に順応した学校秀才ほど、コロッと
 洗脳されるものなのだ。

  多くの経済人は経済的利益の有無、そこに関連した価値がこそが最重要な
 価値だと認識している。まあ、商人とはそういうものであり、悪いわけではない。
 なれども人間とは本来、そうものでくくることができない。

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● 若者と覚醒@

 若者も、何に価値があるかぐらいは理解している。
 世の中で、何に真に価値があることは知っている。

 
坂本龍馬は、勝海舟と出会ったから目を覚ましたのである。
 坂本龍馬は、江戸の大商人に出会ったから目を覚ましたのではない。
 人間の目を覚ます時は、大体そういうものである。

 高杉晋作も久坂玄瑞も山県有朋も伊藤博文も、
吉田松陰に出会ったから
 こそ目を覚ましたのであって、どこぞの商人に出会ったからではない。

 再度言う。坂本龍馬は、商人に出会ったから目覚めたのではない。
 坂本龍馬は、勝海舟に出会ったから目覚めたのだ。

 
現代の若者とて同じである。
 企業経営者が働け!働け!と大声で言っても、うんともすんともしない若者は
 大勢いるのだ。
 そんな若者が、ある人々と出会うと目が覚めたかのように、懸命に働くこと
 だってあるし、使命感をもって命を懸けて進むこともある。

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● 若者と覚醒A

 若者も、何に価値があるかぐらいは理解している。
 世の中で、真に価値あるものの存在を意識し、共感する。
 
 坂本龍馬は勝海舟と出会って覚醒した。
 高杉晋作や木戸孝允、久坂玄瑞、伊藤博文は吉田松陰と出会って目が覚めた。

                   
吉田松陰
           
          
 松蔭の魂に触れた若者の多くが覚醒した

 彼らは商売人に出会ったから目覚めたのでは決してない。
 なにか儲かりそうだと思って真剣になったのではない。
 それが世の人々に役立つサービスだからと思って真剣になったのではない。

 
現世的な利益を越えた価値に触れたからこそ彼らは目覚めた。
 それらの価値が、この世にも存在していることを知り、命を懸けて進み始めた。
 いつの時代にもそれらに命を託していきた人々に心打たれる若者が存在する。

 これらをことが若者だけの特異な性質だと考えるのは、間違いである。
 あらゆる世代の人間の内面に潜んでいる。

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● 資本の論理と21世紀

 21世紀も、
資本の論理はどこまでも進む。
 21世紀の国家において、必ず資本主義と向き合うことが要求される。

 世界各地で資本主義の対応が求められる
 それほどまでに資本主義は強固である。

 資本主義は、社会構造を変える以上に、人間の内面の価値観を変えてきた。
 経済的利益の増大こそが優先すべきものだという価値観を人々に強力に
 植えつけてきた。

 だから会社が経済的利益を増やす為には、会社の人件費を減らすことも
 いとわなくなる。時に社員をリストラする事が会社に貢献しているとさえ
 考えるようになる。
 ここでは資本主義が良いとか悪いとかを言いたいのではない。
 21世紀も資本主義の時代である。

 資本主義のルールから外れたものには経済的苦境が待っている。
 資本主義のルールに適応した人間には多くの富が持たらされる。

 なれども人間は、資本主義の為に生きているのではない。
 人間のこの価値観と資本の論理との矛盾が、21世紀の世界各地で顕在化
 するようになる。特に21世紀中盤までに世界各地で吹き出る。
 特に先進国においては2020年以降から、この問題が様々な形で出てくる。

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● 合理的選択という危険性@

 その判断が効率的であり合理的であると言う場合には、何をもってそう判断
 されているかが重要である。
 合理的と判断される基準になるものは、大抵は
数字である。
 数字で表現されるものが基準になるに過ぎない。
 売り上げ高、経常利益、純利益、株主資本利益率(ROE)など。

 資本主義において複式簿記は非常に重要である。
 資本主義はまさに数字に表現して、比較することで評価してきた。
 
 しかし、多くの人々が知るように、この世界において大事な事の多くが
 
数字で表現されないものである。

 知的洞察力は本来は偏差値などで表現できない。
 愛や情熱も数値化できない。
 神を慕う信仰も数値化できない。
 美に対する感受性も数値化できない。
 
 21世紀になると資本主義は、数値化できることだけで全てを判断するように
 になっていく。人々も数値化された物の結果だけを見て、効率的であると
 判断してしまうのだ。

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● 合理的選択という危険性A

 例えば、すべてを数字で表現する事がどんどん進む資本主義が広まると
 どうなるだろうか?

 例えば教育を例に挙げてみる。
 教育において、人間と人間が向き合うことの大切さは誰もが知っている。
 それでも、これから21世紀、資本主義は教育においても効率化を目指して
 いくだろう。
 
 例えば、既にそれは現われている。
 予備校や私立高校の中では、名物教師が東京の某所で授業を行い、その
 授業を全国の生徒が衛星で聞く授業が存在している。
 人間と人間がじかに、向き合うということではにない。
 だが、これは資本主義にとっては実に都合が良い。

 なにせ、1人の教師の授業が全国の生徒の授業を担うのだ。
 人件費が大幅に縮小できる。間違いなく経済的には効率的である。
 その内に、その1人の先生も要らなくなる。
 その授業を全て録画してあれば、生徒は数年前に録画された授業を
 聞くようになる。

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● 合理的選択という危険性B

 そんな事になれば、多くの人々は批判するだろう。
 衛星の授業は、わからない事があっても質問できないではないか!と。

 こういう人々は、技術の発達と資本主義を舐めている。
 そんな事はいくらでも対処できる。
 例えば、生徒の質問なんて、毎年似たり寄ったりである。
 その質問も、過去にいずれかの生徒が質問している。
 だから、それらをあらゆる質問の動画に録画しておく。
 議論がある生徒は、それをパソコンの画面から選ぶだけでよい。

 そうしていずれ、教育において先生がいらなくなる。
 人件費がかからなくなる。

 だからといって、こういう授業が良いことだと多く人は思うだろうか?
 否であろう。
 人間同士が向き合って教え合う事は、ビデオ再生以上のものがあるはずだ
 多くに人々が主張するだろう。
 人間にとって重要な教育がビデオ再生などで済むなどとはどうしても
 納得できないと多くの人々がそう言うだろう。
 
稲穂黄金もそう思う。

 なれど、いざその違いを目に見える形で表現しろといっても、それは難しいもの
 なのである。
数値化できることは限られるからだ。

 忘れてはいけない事は、人間がどう思うが、資本主義はそんな人間の主張
 などお構いなしに、どしどし数値のみで判断する事を求めるという現実がある。

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● 合理的判断と古代人

 2010年の現代において、経営的に安上がりという理由で、衛星授業を
 採用せざる得ない予備校も増えている。
 私立高校でも利用しているところが増えている。
 この流れは、止まらない。
 あらゆる分野から人々が不要になり、人件費がかからないように資本主義は
 強く求め始める。

 なれど人々は、そのような授業が最良だとは考えない。
 人々がそれらの欠点をいくら指摘しても、指摘する度に、資本主義は、それらの
 欠点を補い対応する。

 このままでは、いずれ未来社会において人間が不要な事態となる。
 数値化のみで判断しつづけて、それが合理的であるなどと人間が信じている内
 はその流れを止まらないし、止められない。

 なれど人々が非合理的で、非現実的なものにこそが価値があると信じる事
 があれば、現実は大きく変わる。

 
古代の人々はそれを心底、知っていたのではないか?
 古代の人々が神や仏を大切に祭ったのも、目に見るものだけを人間が大切に
 していたら、いずれ
人間の生活から潤いが失われ、人間社会が
 殺伐とする
事を把握していたからではないのか?

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● 合理的判断と非合理的存在=21世紀中盤@

 21世紀中盤の世界において、合理的精神をどこまでも突き進む資本主義と
 非合理的な存在とが合い見まえる。

 古代人が非現世的な存在である神や仏を大切にしたのも、目に見えるもの
 だけを大切にしていれば、いずれ人間生活全般から潤いが失われる事を
 つとに知っていたからである。
 古代の偉大な文明にすむ人々は、非合理的で非現実的なものを大事にする事
 が、人間社会にとって、いかに大切なことであるかを理解した。

 人間が、仮に合理的なものばかりに傾けば、なんとも味気ない世界に
 なることを誰よりも理解していた。
 だからこそ、古代の人々は
非現実的なものに神々を発見したのだ。

 神や仏を信仰することも数字で表現できるないがしかではない。
 21世紀において
非現世的なものが強く求められる

 21世紀においても、資本の論理に従ったものが繁栄はする。
 なれど、それと比例するぐらい、人々は非現実的なもの、非合理的なものを
 強く求められる。

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 ● 合理的判断と非合理的存在=21世紀中盤A

 資本の論理は、どこまでも一方的に合理的なものを人間に要求する。
 インターネットが登場し、情報が瞬時に世界中に動く時代、商品だけでなく、
 金も人も動く時代となった。
 ある地域だけでしか作れない製品などなくなった。
 設計図も技術も情報であり、つまりはネットを通して世界中に展開される。
 
 21世紀において資本主義はどこまでも資本の論理を人々に押し付けてくる。
 人間の想像を越えて急速にその本性をあらわにする。
 資本主義が人間に牙をむきはじめる。

 資本主義と人間との間に大きなギャップがうまれ、問題が発生する。
 2030年頃、そのギャップは特に大きくなる。
 しかし、資本主義は、そんな事おかまいなしに資本の論理を広げる。
 だからこそ非現実的で非合理的なものにこそ21世紀に人々に求められる。

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● 予兆がでているアメリカ@

 人々が非合理的、非現実的なものを求める予兆が21世紀に現われると
 述べたが、21世紀の現代においてもそれは見られる。

 資本主義の権化であるようなアメリカにおいて既にその予兆が見られる。
 アメリカで
イスラム教が広がっているのだ。

 9.11事件があったにも関わらず、イスラム教徒はアメリカにおいて毎年
 数万人づつ信者を獲得している。
 なぜ、アメリカでこのような事態が広がっているのか?
 アメリカの人々が非合理的で、非現実的なもの存在を求めているからだ。

 何事も資本の論理で進むアメリカ。
 会社の業績が悪くなれば、社員を簡単にリストラするアメリカ。
 資本主義下でこそ登場した成功哲学も、形を変えて何度でも登場して人々に
 資本主義に適応するように訴える。
 成功哲学の要諦とは、
つまりは資本の論理に気に入られよ!だ。

 イスラム教は、一日に5回の礼拝があり、さらには日があるうちには、食事が
 とれないラマダンの時期が約一ヶ月ほど続く。
 イスラム教は、経済的合理性から見れば、真逆とさえ言える。

 資本主義の言葉を代弁すれば、毎日、礼拝などせずに働けというだろう。
 ラマダンなどどいわずに、消費して投資しろというだろう。

 イスラム教は、経済的にみれば、どこまでも非合理的である。
 なれど、それゆえにこそ人々を惹きつける。
 資本主義全盛の世において人々を惹きつけるのだ。

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 ● 予兆がでているアメリカA

 アメリカの国是である議会政治と民主主義。
 アメリカには譲れないものがある。
 そしてアメリカは、資本主義によってこそ発展を続けてきた。
 なれど、その資本の論理がすべてを飲み込み始めた。

 アメリカにおいて、イスラム教の広がりは、資本の論理がアメリカで1人勝ちして
 いることを如実に示す。

 どのような事情があろうが、自由達の為に戦ってきたのがアメリカである。
 だからこそアメリカでは
ボストン茶会事件が起きた。
 ボストン茶会事件を契機に、イギリスとの間で独立戦争が起きた。
 非経済的であろうが、譲れないものがある。

 そのアメリカで資本の論理が優勢を占め始めた。
 21世紀のアメリカでは、あらゆる価値がなぎ倒され、資本主義の論理が
 強く働き始めている。
 アメリカ人は、それに対する無意識に対抗の1つとしてイスラム教を支持する。
 イスラム教ほど、経済活動から見れば非合理的な面をもつからだ。

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● 未来の国家

 21世紀、資本主義はその牙をむき出し、本性を表し続ける。
 そうなればなるほど、反対に以下のことを成し遂げた国家が注目される。
 経済的価値の一辺倒の社会に、人間が飽き飽きするのだ。
 口にはしないが、人々は無意識にでも非合理的なものに魅了される。
 21世紀の人々は、以下のような特徴を示すようになる。

   @ 
経済的以外の価値(芸術、学問、信仰)を大切にする
   A 
経済的合理性(資本主義)以上の非合理的な夢を創造する
   B 
非合理的な夢を国民全員で共有し共感し一体感をもつ
   C 
この地上を人間が生きる事の意味を知る、洞察を深める

 古代において、これらを成し遂げた国家は文明に至った。
 もちろん、国家が文明まで到達できる国家は限られる。
 なれど、21〜22世紀に文明に迫ろうとしない国家は、結局はその内部から
 崩壊していく事態となろう。
 その中で生きることに人間が耐えれなくなるからだ。
 上記の事を資本主義は、根こそぎ倒し続けてきたものである。

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● 資本の論理と対峙する国家=21世紀

 国家はいずれ資本の論理と真正面から向き合うことになる。
 人間が資本の論理と真正面から対峙するこことになるのが21世紀。

 19世紀にヨーロッパで急速に広がった資本主義。
 多くの人々は、資本主義の威力に脅威を感じ、様々な対処が求められた。
 共産主義や社会主義が生まれた背景にそれがある。

 資本主義は、20世紀に入り世界中に広がり、21世紀においては人間そのもの
 を飲み込もうとする。

 人間には経済的価値だけでなく、芸術的価値、知的価値、信仰心など
 様々な価値が存在する。
 なれども資本主義は、それらを無視して、経済的利益のみ優先する。
 資本主義はその為なら、人間の道徳的価値観にも入り込む。
 資本主義下で成功哲学が生まれたのも、それが一番の理由である。
 成功哲学は資本主義が生んだ子供の1人に過ぎない。
 
 資本主義に従わない人々は、あらゆる経済的困窮が襲う。
 だからこそ人々は、資本主義に従う。
 なれども心の奥底ではそれに同調していない。
 21世紀に入り、資本主義は人間が大切にするすべてのものに入り込む。
 入り込めば入り込むほど、人間の奥底にある価値観との溝を深める。
 そのギャップが調整することができない程、資本主義は進む。
 いずれあらゆる国家が資本主義と正面から対峙することになる。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
        『 稲穂黄金の未来の資本主義
         『 稲穂黄金の未来の経済学者へ
          『 稲穂黄金の未来の国家戦略
         『 稲穂黄金の未来の日本へ


 
● 各々の国家がみる様々な夢@

 21世紀社会は以下の3つを基点にして構造が変化していく。
 超システム化、ロボット化、国家のGoogle化である。

 人々の仕事はシステムとロボットにとって変わられていく。
 2050年にもなれば、現代のほとんどの仕事がとって変わられている。

 世の中が超システム化によりシステムが張り巡らされシステマティックに
 動かされ、ロボット化により人間の無意識な行動、判断の情報が集められる。
 その大量の情報が分析されて、人間社会にとって有効かつ合理的に利用
 されるようになる。
 そうなればなるほど、分析もできず判断もできないような物に人々の目は注視
 するようになる。システムやロボットにも、できないことがある。

 もちろん、それでも未来の科学は数値化できないものをどこまでも数値化して
 いこうと欲するだろう。実際に多くが数値化されよう。
 しかし、たとえそれらがどれ程数値化されようと、何が人間にとって価値が
 あるかは、それらの数値からは判断するのは人間である。
 点数が高いから評価されるとは限らないからだ。
 その数値に意味を持たせられるのは人間そのものである。

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● 各々の国家がみる様々な夢A

 未来において注目される国家とは何か?
 非合理的で非現実的な夢を見る国家である。

 様々な国家が、その国、独自の夢を見る。大きな大きな夢である。
 美の世界を見る国もある。
 神々を見る国もある。
 仏を見る国もある。
 メルヘンな世界を夢見る国もある。
 太古の昔から大事にしてきたものを大切にする。

 非合理的で非現実的な夢は、様々な違いがあってよい。
 人間一人が一人が異なるように国家も違っていて良い。

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● 大きな夢を見続けた古代の人々

 太古の人々はその意味が本当に良くわかっていた。
 だからこそ世界各地に社があり、祭りがある。

 経済的合理性でいえば、祭りなど参加せずに働けというだろう。
 科学的合理性で判断すれば、神の存在など見つかられない。
 なればこそ、人々はそれを尊んだ。
 この大地に縛られない存在こそを己の中に見て、大地にその息吹を感じて
 天空に神々の住まいを見た。
 実に、人間は素晴らしい。
 それは人間にしかできない。

 神や仏は信仰の対象であって知性の対象ではない。
 人々が、そこに神を見るから神が存在するのだ。
 人々が、そこに仏を見るから仏が存在するのだ。

 人間の中に美を見たからこそ古代ギリシャが生まれた。
 人間と神々が共にある世界を見たからこそ、古代ローマが生まれた。
 古代人は大きな夢を見続けた。

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● 現代人と古代人@

 近代、現代の人々は本当に大きな夢を見れなくなった。
 非合理的で非現実的なものの夢を見れなくなった。

 近代、現代の人々は、現世的な小さな夢ばかり見るようになった。
 政治家になるとか、総理大臣になるとか、優れた経営者になるとか、
 お客さん満足度一位の会社経営とか、
 それらは実にありきたりで、現世的利益に関わるものに過ぎない。

 別に現世的な夢ばかりを見ることが悪いなどとは言わない。
 現世的な利益に関わる利益を求めることが悪いなどとは言わない。
 小さな小さな夢ばかり見ることが悪いなどといわない。
 現代の我々がどのような小さな夢を見ようがそれはそれで良い。

 なれど太古の人々が、大きな夢を見たことを忘れないことである。
 平安時代の人々は、月を眺め、神々を見て仏の姿を見た。
 貴族から庶民までそれらの世界を見て、それらの世界に生きた。
 その証拠が古今和歌集であり、現代の京都である。

 古代の人々は確かに大きな夢を見た。
 非合理的かつ非現実的なものに夢を見た。

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 ● 古代人と現代人A

 200年前の日本人は、この国の山に川に森に神々を見た。
 大地には仏の慈悲が下りていると考えて小道の両脇にお地蔵様を立てて
 感謝を示した。人々はお地蔵様にお団子をあげて感謝した。 
 穀物が豊作になれば、人々は神々にまず第一に感謝を示した。
 太陽が大地を照らし、豊かさをもたらす夏の時期に、人々は神々に
 感謝して舞を踊り、奉納した。
 その時、神々や仏は確かに存在した。
 当時の人々がまさにそこに神を仏を見たのだ。

 古代ローマ人も同様に神々をみた。
 彼らは神々と共におり、神々と共に街を作った。
 その思いが、永遠なる都市ローマを作り上げた。

 古代エジプト人も同様に神々を見た。
 彼らは神々と一体になろうとさえした。
 神々の力を借りて、より良く大地を治めていた。

 古代ギリシャ人は神々と人間の美しさを表現した。
 確かに人間には多くの至らない面がある。
 だが古代ギリシャ人は、その人間の内の最上の美しさに気付いて表現した。

 大きな夢を見れない現代の我々が、古代の人々に何を言えるのだろうか?
 大きな夢を見ることさえ畏れて、たたずむ現代の我々に何が言えるのだろうか?

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● 大きな夢の痕跡 = 歴史

 多くの国家が生まれ、そして消えて、また生まれる。
 あらゆる国家の足跡とは、つまりは人間の足跡である。
 その時代を生きた人々の大きな夢である。
 歴史は、
人々の大きな夢の痕跡である。

 大きな夢のみが、現代を生きる我々にとって価値あるものとして写る。
 なぜなら、小さい夢は、いつの時代の人々も現世で見ているからだ。
 小さな夢など飽き飽きしているものだ。
 非現世的な夢を見た人々の足跡こそが、現世を生きる人々には輝いて見える。

 人々は意識を共有して国家を作った。
 その意識が非合理的で非現実的なものに向けられた時に文明はもたらされた。
 もちろん、事は簡単にはいかない。

 我々が生きるこの大地は甘くはない。
 古代の大文明に匹敵するものなど起きることは奇跡とさえ言える。
 人類は迷妄と愚鈍の内にある。

 なれど人間は確かにこの大地に生きている。
 大地に生きる以上の意味を己の内に掲げて、大地を踏みしめ、天を仰ぎ見る。

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● 人間の協力と国家@

  愛すべき天才
ゲーテは、彼の小説ファウストでこう述べた。

 ”ねえ君,繰り返して言うが一人の天才が急速にのびのびと成長するには
  
国民の中に精神教養がたっぷりと普及している事が大切なのだ。”

 さらに続けてこう述べる。
 ”私達は古代ギリシャの悲劇に驚歎するけれどもよくよく考えてみれば
  個々の作者よりも、むしろ,その作品を可能ならしめた
あの時代国民
  に驚歎すべきなのだ。”


 そしてこう締めくくる。
 ”なぜなら、たとえ古代ギリシャ悲劇の中にも多少の差異があり、
  ある詩人が他の詩人よりいくらか偉大で完成しているように見えても
  大ざっぱに見れば全体を通じて、ただ
一つだけの性格があるのだ。”

    

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● 人間の協力と国家A

 神のごとき
プラトンは、彼の著書国家でこう語った。

 ”人間の性格の種類もまた、ちょうど国制の種類の数だけなければ
  ならないということは知っているね? 
  それとも君は、
国制というものは、どこか樫の木か岩からでも生まれて
  くるものだとでも思うかね?”


 それに対して、こう続けて述べる。
  ” いや、それぞれの国に住む
人間たちの性格にもとづいてこそ、
    国制というものは生じてくるのであって、その
住人の性格が、
    いわば錘(おもり)が天秤を一方へ傾けるように、他のものの
    傾向を自分に合わせて決めるのだとは思わないかね?”


               
                     プラトン

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