ユダヤの欠点 本来のユダヤのあり方から外れたユダヤ的世界観は、世界に多大な悪影響を与えてきた。
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ユダヤの欠点

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ユダヤの欠点
本来のユダヤの教えは、数千年前に大きく変化してしまった。
本来の有り方を忘れたユダヤの教えは、迷妄と愚鈍の者達の頭に住み着いた。
ユダヤ的世界観は、世界中に猛威を古い、真に偉大な人間性を破壊してきた。


 ● ユダヤの教えの大きな欠点

 ユダヤの教えが他の宗教と大きく違う所は特に以下の点である。

   慈悲よりも知性を重んじる。
   死後の世界を教えない。
   楽観論者。
   ユートピア論者。
   人間の奥に存在する神を軽視する。

 世界中のあらゆる宗教では知性よりも慈悲を重んじることを述べる。
 だがユダヤ教はそうではない。
 またユダヤから別れたキリスト教も長い歴史の中では慈悲よりも知性を
 重んじ、それが白人至上主義に結びついたり、また解釈が違うという理由
 で多くの探求者を殺してきたのだ。

 さらにユダヤの教えは死後の世界を教えない。
 この生の世界のみが彼らの世界である。
 なぜならこの世界は彼らの絶対者から受け取った楽園であるからだ。
 この地上が絶対者から贈られた贈り物だとみなすユダヤ人は基本的に
 楽観論が大勢を占める。
 いずれこの世界には、楽園が訪れると考えるユートピア待望論者となる。

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● 人間の力を軽視した古代ユダヤ

  多くの学問に優れたユダヤ人であるが、彼らは人間の奥にある神なるもの
 の存在を軽視する。ユダヤにとって神とは絶対神ただ1つであるからだ。
 
 ユダヤ人は人間1人1人の奥に神は見いださない。
 ユダヤ人のその点を補うべき思想がある。
 選民思想である。神に選ばれし民だという思想である。
 人間の奥には神の存在はない。ただしユダヤ人は神から選ばれている。
 その意味において人間の力を肯定したユダヤ人。

 古代ユダヤにあっては、人間が成すことの多くは非力で無力であり、価値が
 ないものだと考えていた。
 数千年前のユダヤは国家を有していた。もちろん政府も存在した。
 だがその政府は、神の楽園が訪れる前の前座に過ぎないと認識されていた。

 いずれは絶対者が神の楽園をもたらしてくれる。
 不完全な
人間の政府ではなく、完全無欠の神の政府
 この地上にもたらされると信じて疑わなかったユダヤ人。

 完全無欠の神の政府がもたらされると信じていたユダヤ人からすれば
 人間の作った政府など価値がないと考えるなるのは当然なのかも知れない。

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● 国家を軽視し、最終的に国家に守られたユダヤ

 だからこそユダヤは国家を失った。
 人間の力を軽視して、国家の力を軽視したユダヤ人は自らの国家を失った。

 彼らの先祖が長い間、多くの知恵と汗によって形作られてきた国家制度や
 社会制度などを軽視したユダヤ人。
 国家の存在によって、どれだけ多くのユダヤ人が守られているかをユダヤ人
 が理解できなくなるほどに、ユダヤ人の楽園論、神の王国はユダヤ人の
 頭の中を占領し始めた。

 それから数千年間、ユダヤ人は世界を放浪することになった。

 最終的には
中東最大の軍事力を有する国家(イスラエル)
 によってユダヤ人は守られる事態となった。
 現代のユダヤの国家はまさにこの人間が作り出した軍事力に負っている。
 人間の力を軽視して国を失ったユダヤ。そのユダヤは現在は人間の力が
 生み出した軍事力によって守られている。
 古代のユダヤ人は、このような国家を望んでいたのだろうか?

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* 現代のイスラエルよりも現代の日本の方が、ユダヤが望む国家像に近い。
   さらに言えば戦前の日本のあり方は、ユダヤ人が目指した理想的な国家像
  を体現していたとさえ言える。
  この点に関してはユダヤ人のモルデカイ・モーゼが詳細に指摘している。
  戦前に日本に訪れたユダヤ人の物理学者アインシュタインが、日本に対して
  述べた感慨は良く知られるが、アインシュタインがユダヤ人であるからこそ
  感じ取ったものと言えるのだ。アインシュタインは懐かしさを感じていた。



 
● 慈悲よりも知性を重んじるユダヤ@

 ユダヤ人にとっては慈悲よりも知性の方が重要である。
 ユダヤ人にとっては、神の意図が何よりも重要視されるものであるからだ。
 ユダヤが掲げる絶対神は、この世界を創造したという。
 その絶対神から人間へ贈られた聖書。
 
 その聖書で説明のつかないことなどはないのだ!とユダヤ人が考えるように
 なるのは、当然の流れではあった。
 ユダヤ人が聖書を重んじれば重んじるほど、神の意図、つまり知性に重きを
 置くようになった。

 
知性 > 慈悲 とユダヤ人は考えるようになった。
 ユダヤにとっては神の言葉である聖書が何よりも重要視した。

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● 慈悲よりも知性を重んじるユダヤA

 このユダヤとは異なり、世界中の宗教は、知性よりは慈悲を重んじる。
 知性などは、自然が生まれたずっと後に生まれたに過ぎないものである。
 それに比べて、慈悲(愛)は生きとし生けるものが有している。

 人間よりも遥かに知能が劣る動物でさえ、我が子には強い愛情を注ぐ。
 愛は、自然が生まれたと同時にこの世界に生まれている。
 
 ユダヤ人であるイエス・キリストは、ユダヤの教えにこそまさに、その愛が
 欠けていることを率直に見抜き、こう述べた。 
 『
汝、隣人を愛しなさい
 
 神の計画である楽園を雄弁に語るよりも、今、あなたの隣にいる人々に
 愛を施す重要性をイエスは説いた。
 だが神の意図、計画を第一にするユダヤ人にはイエスの言葉は届かなかった。


 
● 自然崇拝のないユダヤ@

 自然は我々の知性の範疇を越えたものを含んでいる。
 我々の知性の形式は、自然の上で生きる為に、この自然を理解する形式は
 備えはしたが、だからといって、自然をすべて理解できるわけでは決してない。
 自然の形式が我々の知性の形式に沿っているわけでは決してない。

          
自然 > 知性
 
 このようなことは古代においては、誰もが当然のごとくに理解していた。
 古代において世界各国の人々は自然に感謝と畏れの念をもっていた。

 だがこれに理解を示さない人々がいた。ユダヤ人である。
 ユダヤにおいては人間の知性でこの世界はすべて理解できると考えた。
 というのも彼らには絶対神からの贈り物である聖書があり、この世界を創造
 した絶対神からの贈り物であるならば、当然、この世界について不明なこと
 などあってはならないからである。

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 ● 自然崇拝のないユダヤA

 世界も、自然も、人間も絶対神が生み出したものに過ぎないと考えるユダヤ。
 悪いことに、ユダヤは世界も自然も人間(知性)も同列に見ている。
 ユダヤにあっては、絶対神のみが突出する。

 こうなると自然崇拝は起こらない。
 人間の知性で、自然のすべてが理解できると誤信する。

 ユダヤ人で優れた者達もこの誤信から抜け出すまでには多くの時間を要した。
 物理学者のアインシュタインも、始めは人間の知性の形式で、自然のすべてが
 理解できると考えていた。彼は頑なにそれを主張した。
 アインシュタインの頭の中にも、ユダヤ的世界観は強く根付いていた。
 彼は人間の知性によって、この世界のすべてが理解できると考えていた。
 だからこそ古典物理学で表現できないことは認めなかったし許せなかった。
 彼はあくまでも隠れた変数がそこにあることにこだわり続けた。

 アインシュタインは晩年にこう述べている。
 『 ユダヤの思想は愚かであるが、ユダヤは愛すべき国民である
 アインシュタインは晩年になって、自然の内には人間の知性では理解できない
 ことがあるのを認めている。


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 ● ユダヤ的世界観の様々な悪影響

 人間の知性でこの世界、この自然のすべてを理解できると考える者たちは
 時に傲慢に、時に残酷へと変化した。
 聖書でこの世界がすべて説明できる考えた中世ヨーロッパの宗教指導者は
 聖書の説明以外の解釈を許させなかったし、許さなかった。
 
 だから真理を探究する哲学者、科学者がこの世界の姿を徐々に捉え始めた時
 にキリスト教は、激しい弾圧を行った。
 これが異端尋問であり、宗教裁判である。

 聖書の理解などは遥かに超えた深遠さを見せ始めた自然は、その姿がわずか
 にも人々に知られ始めるとキリスト教は、弾圧を徐々に強めていった。

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 ● ジョルダーノ・ブルーノの幻影

 ヨーロッパにおける16世紀最高の賢人ジョルダーノ・ブルーノが火刑により
 処刑された。偉大なるジョルダーノ・ブルーノの処刑は、キリスト教圏に
 住む人々によっては忘れられないトラウマとなった。

 その影響は大きく、現代にも続いている。
 21世紀の現代においても、映画やドラマでそれが垣間見られる。

   
     16世紀を代表する知性。    ジョルダーノ・ブルーノ
         
        これほどの頭脳が、キリスト教よって火刑により殺された。

 例えばヨーロッパでは神秘的な敵、何か人智を越えた想像もできない闇の力
 を有する者は黒いづくめのマント姿である。
 全身が黒いマントで覆われ、顔もマントの影で暗くて見えない。
 そういうイメージがヨーロッパ人には存在する。

 この黒尽くめの姿こそがジョルダーノ・ブルーノのトレード・マークである。

 
ハリーポッターヴォルデモート
 
ロード・オブ・ザ・リングナズクル

 闇の力を有する彼らは、まさに黒いマントに全身を覆われている。
 東洋人には、いまいち不可解なこの姿も、西洋人にとっては意味深である。
 ジョルダーノ・ブルーノという偉大な頭脳を葬ってしまったことによるヨーロッパ人
 の懺悔の念が、いまでもヨーロッパの底辺に流れている。
 ブルーノの幻影は消えていないのだ。

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 ● ユダヤ的世界観と迷妄と愚鈍の花

 ユダヤ的世界観が通った道には、迷妄と愚鈍の花が咲く。
 ユダヤ的世界観が入り込んだ地域において、まず迷妄と愚鈍の輩がこれらの
 思想に取り付かれる。
  そしてユダヤ駅世界観に取り付かれた人は、その人の性質と知的レベルごとに
 分かれて、いくつかの反応を示すことになる。
 以下のいずれかにグループの属すことになる。

    @ 
絶対知性論者(絶対精神論者)
    A 
ユートピア論者・終末思想家
    B 
唯物論者
    C 
革命家・共産主義者・社会主義者
    D 
世界目的論者、最終世界の到来を待つ者達

 ユダヤ的世界観とは、全知全能、この宇宙も地球も人間も作った絶対者が
 いる考えである。
 ユダヤ人にとってはこの地球とはまさに、その絶対者からの贈られた楽園、
 つまりユートピアなのである。
 だからユダヤにとってこの大地は肯定すべきものとなる。
 ユダヤ人=楽園論者といっても差し支えない。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の浅はかなる者達

        稲穂黄金の未来の社会学者へ


 
● 時間の経過に期待する者達

 ユートピアを待ち望む者達は、ユートピアの実現を彼らの絶対者に期待する。
 そうして未来を待ち望む。
 ユートピア論者は、時間の経過に過度に期待するようになる。

 年月が経てば何かがもたらされると考えるのだ。
 彼らにとっては10年よりは100年が、100年よりは1000年が何かしらの
 効果があると考える。
 彼らの絶対者、宇宙創造の絶対者が成し遂げてくれると考えるのだ。
 ユートピアを待ち望む連中は、自然科学の基礎に欠ける者達である。

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● 物質は時間に影響を受けない

 物質は時間の経過に直接、影響を受けることなどはない。
 物質が変化するのは、あくまで作用によってである。
 作用がなければ、物質はそのままの姿で有り続ける。
 
 作用がなければ、物質は一万年でも一億年でもその姿で有り続ける。
 物質は作用によって変形変化する。
 物質は因果律によって支配されている。
 これを否定すれば科学など成り立たない。

 数万年前の植物の種であっても、うまく保存されたならば(酸化もされず、
 冷凍に保存され続けられ、その他の作用を起こす要因がなければ)、現代に
 あっても条件が整えば、実をつけ花を咲かすことだろう。
 この点からも時間は直接に物質に影響を与えないことがわかるだろう。

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● 空白を好むユートピア論者@

 ユートピア論者は、このことがまるでわからない。
 基本的な真理さえ理解できないのだ。

 ユートピア論者は、どこまでも時間の経過に期待する。
 時間の経過が何かを生み出すと誤信しているのだ。

 時間の経過に期待するユートピア論者。
 なれど、いくら待っても楽園は訪れない。

 その時、ユートピア論者はこう考え始めた。
 人間がもたらした社会や政治、果ては国家など、ありとあらゆる人間の創作物
 の存在が、絶対者の創作物をこの地上に展開することを邪魔しているのだと。

 絶対者が、理想の楽園をもたらさないのも、現に人間社会が存在し、それが
 楽園の登場を阻んでいるのだと。
 絶対者が、この世に最高に美しい作品をもたらさないのも、人間がもたらした
 芸術作品が、この大地に存在しているからだと。
 絶対者が、この世に最高の文明をもたらさないのも、人間の文化がこの地上の
 上に存在しているからだと。

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 ● 空白を好むユートピア論者A

 絶対者が、この世界に偉大な文明をもたらさないのも、人間が勝手に文化
 などを作っているからだ。
 絶対者が、この世界に理想的な社会をもたらさないのも、人間が勝手に
 人間社会を形成しているからだ。

 人間が神の出現を阻んでいるのだ。
 人間の余計な作品が、神の作品の登場を阻んでいるのだ。

 神が入ってこれるようにする為には何が必要だろうか?
 そうだ!
空白だ! 空白もたらすことだ!
 ユートピア論者は、だからこそ空白を好むようになるのだ。
 ユートピア論者の数が増え、結集するとこの地上は、地獄と化していった。

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● 空白をもたらそうとした近代の革命家@

 空白を好み、空白をもたらす事を望んだ者達は以下を率先して実行した。

    @ 文化を破壊する
    
A 人間社会の人々の絆の断ち切る


 人間の中途半端な作品があるからこそ、神の作品がこの地上に入って
 これないと考えた者達は、先人の残した偉大な建築物を壊し始めた。
 遺跡を破壊し、書物は燃やして捨て去った。

 さらに過去の人々の知識を受け継ぐ知識人を弾圧し始めた。
 人間の中途半端な知識があるから、神の偉大な教えが入ってこれないのだと
 考えた者達は、知識人を弾圧し、そして虐殺もしたのだ。

 人間がもたらした人間社会の人々の繋がり、人々の絆も、神のつながりに
 比べれば邪魔な存在であった。
 だから、空白を好むこれらの者達は、人間社会の絆をズタズタに切り裂くことを
 考えて、実践した。
 『 何よりも
空白を!
  
空白を増やすことが、神の居場所を作ることになる! 』
 を合言葉に、彼らは突き進んだ。

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 ● 空白をもたらそうとした近代の革命家A

 これらを主導して実行した連中が、共産主義者であり社会主義者であった。
 中国では共産党が、万里の長城を始め、優れた文物を破壊した。
 また教師などの知識人は、縄を首にかけられ辱めを受けた。

 カンボジアでは共産主義者が実権を握り、数百万と言われるカンボジア人が
 虐殺や飢餓で命を奪われていった。
 これらの者達があれ程、文化や人々を破壊しつくした背景には、すべてを破壊し
 空白をもたらせば、絶対者がその空白に入り、ユートピアを建設してくれると
 信じていたからなのだ。

 これらの輩の頭の中には、ユダヤ的世界観が宿っていた。

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● 破壊と空白、そして何もなくなった

 文化の破壊、建物の破壊、知識人の迫害、あらゆるものを破壊して破壊して、
 なんとか空白を生み出そう試みた共産主義者、社会主義者。

 そうして徹底的に破壊した後に残ったものは何か!?
 
何もなくなった
 破壊と空白の繰り返しで、そこには何もなくなった。
 
 楽園がもたらされるどころか、その空白に入り込んできたのは
 に
貧困恐怖であった。

 自国の伝統や文化を破壊したことで、国民は自信喪失となり、知識人を弾圧
 したことで、国家のあらゆる分野で指導者となるべき人々を失った。
 さらに、文化の破壊と知識人の弾圧で、無知と迷妄が幅をきかせ、子供じみた
 権力争いに発展し、あげくの果てに残虐で冷酷な者ほど、幅を利かす世の中に
 様変わりしてしまった。
 
 共産党の一党独裁になった国では、新たな国家の指導者が国民をボロ雑巾
 のごとくに扱い、不満を持つ者に対しては、秘密警察が暗躍し、それらの人々を
 拉致し監禁した。連れて行かれれば命の保証はなかった。

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● 破壊と弾圧を繰り返した社会主義者と共産主義者

 いつしか絶対者がこの世界に楽園をもたらしてくれると信じているのと同じよう
 に時間の経過がこの地上に楽園をもたらすと信じた共産主義者。

 だが、その
楽園が訪れない! 

 楽園が訪れないのはどうしてなのか?
 そうだ!人間が作った既存の制度や政治が楽園の登場を阻止しているのだ。
 それらがユートピアの登場を阻害しているのだ。

 全てをいったんを更地にして空白を作れば、そこに楽園がもたらされるはず!と
 共産主義者は、そう強くに信じたのだ。

 共産主義者は、神を掲げはしなかったが、その頭の中にはユダヤ的楽園論
 が渦巻いていた。彼らは神を信じはしなかったが、空白が何かを生むことは
 期待していた。とにかく空白さえ作れば、何かが生まれると考えた。

 人間がつくりし制度、建物、人材を全て壊すことで空白が生まれ、そこに夢の
 楽園が来ることを信じた。
 共産国家、共産主義者が、あれほど遺跡・文物を破壊し、知識人を虐待し
  虐殺したのも、それを信じるこそであった。
 過去の偉大な遺跡や建物が、それらの過去に生きた人間の手が加わった
 すべてのものが共産主義者にとっては憎しみの対象であった。

 そうやって多くの知識人を虐殺し、過去の遺跡や文物を破壊した後に残った
 ものは迷妄と愚鈍、そして貧困であった。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の浅はかなる者達

        稲穂黄金の未来の資本主義


 
● 外的環境によって救われると信じたツケ@

 これらの共産主義者、社会主義者の大きな誤信の1つが以下である。
 
人間は外的環境によって救われると誤信しているのだ。

 外的な環境の充実によって人間が救われると考えるから、その外的な
 目的達成の為には手段を選ばなくなる。

 目的達成の途中で、仮に誰かを傷つけても、目的を達成すれば、いずれ
 全知全能なる絶対者が、その罪を帳消しにしてくれると考えるのだ。

 そう信じるからこそ、共産主義者や社会主義者は、いくらでも残虐になった。
 目的達成の為ならば、どこまでも残酷になり、誘拐や拉致、秘密警察による
 逮捕と拷問が日常茶飯事となる社会へと変貌した。

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 ● 外的環境によって救われると信じたツケA

 共産国家において、真に人間に対する尊厳が奪われた。
 外的環境の充実によって人間は救われると安易に信じたツケが、人類に対して
 一気にしっぺ返しをしたようなものである。

 20世紀において、共産主義がこれほど残虐、残酷に多くの人々を苦しめ、
 傷つけた現実を、目の当たり現代時の中でも、いまだに共産主義や社会主義
 が支持されるのは、外的環境によって人間は救われるのだと考える迷妄と愚鈍
 の輩がいる為なのである。

  これらの輩の頭にあるのは、20世紀の共産主義はやり方が悪かったのだと
 いう考えである。こういう連中は真に救いがたい。
 ユダヤ的世界観から生まれた共産主義にシンパシーを感じる迷妄と愚鈍の
 連中は、21世紀の現代にも多く存在する。

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● 人種差別の奥に潜むユダヤ的世界観@

 近代に起こった人種差別。
 特にヨーロッパの白人における人種差別は根強く、現代でも残っている。
 これらの人種差別の者達の頭の中にはまさにユダヤ的世界観が根付いている。
 
 つまり知性の高みが判断基準になっているのだ。
 慈悲よりも知性を重んじた結果、生じてきた現象の1つである。

 知性の発達順に 白人人種 > 有色人種 > 黒色人種 などという
 人種差別が近代に世の中に広まった。
 ここに近代人の迷妄と愚鈍を見る。

 確かに古代人も国家、民族同士で互いに戦争をしたが、肌の色や目の色など
 人間を差別するようなことはなかった。
 古代人はその芸術性、精神性、学問などによって人間を尊敬してきたのだ。
 たとえ敵であっても、優れた者には賞賛を惜しまなかった。

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● 人種差別の奥に潜むユダヤ的世界観A

 だが近代の白人における人種差別はまるで人間が同じ人間を動物のごとく
 みる諸行であった。そこまで人間は堕ちたのだ。

 さらに言えば、白色人種が黒色人種より優れているどころか、人類の起源は
 まちがいなく褐色系の肌をした人々のもとから生まれている。
 人類の発祥は温暖な地域に限られている。
 温暖でなければ、人間の多くは死に絶えたろうから。

 白色が優れている科学的根拠などは1つも見当たるものでもない。
 白色人種などは、褐色の肌をした人々の亜種と言える。
 つまり本来の機能のいくつかが退化したといえるのだ。

 亜種が原生種よりも優れているなどと言えば生物学者は皆、腹を抱えて
 笑うだろう。そもそもそれらのもので競い合う何物でもない。

 これらの人種差別の根源には、必ずユダヤ的思想が含まれている。
 つまり知的に優れているかどうかである。
 人種差別を行う者達の判断基準が知性となっているのだ。
 もともと西洋人もこのような愚かな者達ではなかった。
 だがある時期に西洋にもユダヤ的世界観が入り込んできたと言えるのだ。

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● 捕鯨反対運動とユダヤ的世界観@

 現在の白人国家における捕鯨反対の運動をする人々の頭にもユダヤ的世界観
 が潜んでいる。
 彼らが鯨やイルカを守るのは他の動物に比べて知能が高い為である。
 もちろん、種の保存の為に保護することは重要である。
 人間が滅びしても良い種などあるわけがない。

 だが捕鯨反対運動する者達のいくつかにユダヤ的世界観が入り込んでいる。
 なぜなら目的達成の為には、どんな卑劣な手段でも講じるのがその証である。

 目的達成の為ならば、途中経過など気にしない。
 それがユダヤ的世界観に取り付かれた者達の特徴である。
 ユダヤ的世界観に取り付かれた者は、目的達成の為ならばどんなこともする。

 実際にシーシェパードは、捕鯨をする世界各国の船に対して数々の暴力行為、
 破壊行為を行ってきた。
 こういう者達は目的達成の為なら、人を傷つけることさえ躊躇しない。
 実際に、乗組員に向かって発砲したり、船に爆弾をしかけたり、船を衝突させて
 船を撃沈させたりと数々のことを行っている。
 一歩間違えば大惨事になりかねないことを平気で行う。

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● 捕鯨反対運動とユダヤ的世界観A

  目的達成の為には、人の命を命だと思わない所までいくのがユダヤ的世界観
 の特徴である。ユダヤ的世界観に取り付かれたものはまさに使命のごとくに
 それを遂行することを第一に考える。
 シーシェパードの者達が、あれほど過激になるのも彼らの頭にはユダヤ的
 世界観が宿っているからだ。

 どのような行為をしても、最後には我らの絶対者が、全てを帳消しにしてくれると
 考える者達。これらの者達の頭の中にはユダヤ的世界観が宿っている。

 再度述べる。
 種を守ることは重要である。
 どの種に限らず滅ぼす権利を人間は有していない。
 しかし人間は、他の種が滅びない範囲で他の動物の命を奪い食料とすること
 で命を永らえているのも確かである。

 世界には色々な意見がある。
 であるからこそ、じっくりと話し合って妥協点を見出せばよい。
 
人間同士はお互いに敵ではなかろうに。
 ユダヤ的世界観に頭を占領された者には、その声が届かない。

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● 神の意図を擁護する迷妄な輩たち

 ユダヤ的世界観に取り付かれた学者の一部は宗教に媚を売り、絶対者を
 肯定する発言を盛んに行った。

 その発言は、ユダヤ的世界観の虜であった当時のキリスト教指導者層に
 とっては願ったり適ったりであった。
 科学的真理が世の中に大きな影響を及ぼそうとする昨今、絶対者の存在を
 世に知らしめるよいチャンスであったということだ。

 哲学界の中から宗教に媚を売る連中が出てきた。
 フィヒテやシェリング、ヘーゲルなどの馬鹿者達である。

 これらの輩は、神の意図ならぬ絶対者、絶対精神、理性の支配などと
 言い出した。つまりはこの世界には絶対なる知性が横たわっていると
 いいたくて仕方のない連中であった。

 これらの迷妄と愚鈍の連中は、すぐさまキリスト教指導者のお気に入りとなった。
 この成功を見ていた、これらの弟子達がそれに倣って続いた。
 思いつきと思い込みが学問なのだと勘違いする連中で溢れた。
 大学の哲学界は、こんな連中が跳梁跋扈したのだ。
 この時期から、大学の哲学は堕ちるに堕ちたのだ。

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 ● 堕ちるに堕ちた大学哲学

 キリスト教指導者層は、その権力をフルに活用し、絶対者を肯定する思想を
 述べた者達を大学教授の職を与え、拍手と賞賛を贈った。

  この賞賛の栄誉を得ようと、多くの哲学学者がキリスト教に媚を売り、
 大学哲学にはそんな輩が跳梁跋扈した。
 迷妄と愚鈍の花が咲き誇り、ここに大学哲学は堕ちるに堕ちたのだ。
 
 本来、哲学とはこの世界の全容を掴もうとする学問であるが、その面影は
 どこにもなくなった。この時代から
科学と哲学が離れ始めた。

 科学者は真摯にじっくりと、この世界と自然を観察し始めたが、大学の哲学界
 ときたら
思いつき思い込みのオンパレードであった。

 真剣に学ぶという意味がわからない連中が溢れ、哲学に必要な自然科学を
 まったく学ばない文科系のものが増え始めた。
 現代において哲学が文科系に堕ちたのも、その表れである。
 
 特に
日本の大学哲学は惨憺たる状態である。
 いまだに哲学の大学教授の中には、この世界に絶対精神があり、世界は
 その認識の発展段階に沿って進んでいるのだと述べるアホな輩がいるのだ。
 その数も少なくなく結構な数がいるのだ。

 優れた科学者で、日本の大学哲学を相手にするものなどおるまい。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の哲学者へ

        稲穂黄金の浅はかなる者達


 ● 目的論に突き進む者達

 ユダヤ的世界観に取り付かれて神の意図や絶対精神などを掲げるアホな輩
 の多くが、この世界には目的があると誤信する。

 そうして目的があれば、最終的なゴール(最終目的)もあるだろうと考えるのだ。
 神の意図を述べる者は、多かれ少なかれ最終目的論者となる。
 この世界には最終的な目的があり、その方向へ進んでいると考えるのだ。

      
神の意図がある
            
      
神が成し遂げたい目的がある
            
      
この世界はある目的がある
            
     
この世界はある目的に向かって進んでいる
            
      
この世界には最終的なゴール(最終目的)がある

 神の位置を述べる連中は、ことごとく目的論者へと変わり、目的論者は
 最終目的論者へと変わる。
 後は各自が、各々の最終目的を
夢想するのだ。

 ある者にとっては、
完璧な社会制度
 ある者にとっては、もっとも
効率的な経済システム
 ある者にとっては、もっとも
理想的な政治制度
 ある者にとっては、
歴史の終わりとなる

 真に救いがたい者達である。
 この地上で人間が生きるという意味に対する予感がまるでない者達なのだ。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
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 ● 楽園論者、目的論者の浅はかさ@

 この世の中は天才釈尊が述べたとおりに
因果の世界である。
 この世界では因縁因果あり、結果の前には必ず原因があるのだ。
 
 この世界にユートピアを夢見る者達は、往々にしてユートピアが到来する為
 の原因を忘れるのだ。
 楽園がもたらされたならば、もたらされるだけの要因がなくてはならない。
 ユートピア論者は、そのことがまるで抜け落ちているのだ。
 勝手に結果だけがもたらされると考える。

 また、もたらした結果の要因を、安易に絶対者や神に求め始める。
 こうなるとますますおかしいことになる。

 神はこの世界をどこまでも因果の世界に作っておきながら、自分自身で
 因果のルールを破っていることになるからだ。
 原因が結果をもたらし、その結果があらたな原因となって繋がる因果の世界に、
 神が何の要因もなしに、この地上に楽園を用意し実現することは、
 因果のルールに反して、神が途中から手を差し挟むようなものである。

 神は、この世界をどこまでも因果の世界に作っておきながら、神自身が
 そのルールを破っていることになるのだ。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の宗教家へ



 ● 楽園論者、目的論者の浅はかさA

 さらにユートピア論者、目的論者は時間の経過に期待する。
 時間の経過がこの世界に何かをもたらしてくれると期待するのだ。
 彼らにとっては10年よりは100年が、100年よりは1000年の方が効果が
 あると考えるのだ。

 しかし、この世界の物質は時間から直接の影響を受けることはない。
 物質は、作用(要因)によって変形、変化するだけだ。
 作用(要因)がなければ、物質はそのままの姿で1万年でも1億年でも
 そのままで有り続ける。
 仮にユートピアが訪れるならば、時間の経過ではなく、要因が必要である。

 さらに、この世界に目的があると仮定すれば様々な矛盾が生まれる。
 この世界に最終目的地があると考えたならば、最終目的地にたどり着いた後
 のいかなる変化もこの世界は許容できなくなる。
  なぜならば、最終目的に到達した後に、新たな変化が起きたならば、それが
 最終目的になるからである。
 最終目的論を語るものは、この世界が氷のごとく凍りつくとでも思っているか?

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● まるで学ばない連中

 迷妄と愚鈍の輩は学ばないのだ。
 物質と時間に関する正しい認識が欠けているのだ。
 自然科学の基礎がまるで欠けており、この世界が因果の世界であることが
 把握できないのだ。

 これらの輩は、真摯に学ぶことをしない。
 これらの輩が頼りにするのは思い込みと思いつきである。
 絶対者や絶対精神なるものを哲学に持ち込んできた馬鹿者達。
 フィヒテやシェリング、ヘーゲルなど二束三文にもならない駄法螺(だぼら)達。
 そして、それらの弟子たちが、ガーガー声で騒ぐ。

 真に探求するという意味すらわからない、これらの連中が多く集まって無駄話を
 すれば哲学が生まれるとでも思っているのだろうか?

 類は友を呼ぶという言葉があるがまさにその通りなのだ。
 これらの者達は真に救いがたい。

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● ユダヤ人の楽観論

 この地上は神からのプレゼントだと信じるユダヤ人。
 ユダヤ人にとって、神から贈られたこの地上こそが唯一の世界なのである。

 だからユダヤ人にとっては、この世界で生きることは
楽観的となる。
 なんといっても絶対神がもたらした世界なのだから、完璧であると考える。
 ユダヤ人にとって、この地上はまさに楽園である。

 しかし
現実には多くの困難があり苦難がある

 これはどうしたものか?とユダヤ人も首を傾げる?
 いずれ、そういう楽園が訪れるのだ!とユダヤ人は
未来に期待する

 ユダヤ人にとっては、この生の世界こそが全てである。
 ユダヤの神はあの世について語らなかった。
 ただ、この大地を人間の為に与えたといったのだ。

 それゆえユダヤの教えには、死後の世界などはない。
 ユダヤには死に対する教えがないといえる。
 世界中に存在する宗教の中で唯一、死後の世界について語らない宗教が
 ユダヤ教とも言える。

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● 死を教えないユダヤ

 ユダヤの宗教は死後のことを教えない。
 世界の宗教の中で、死後のことを述べない宗教などユダヤ以外にはない。
 この点もユダヤの突起すべきことである。
 
 世界に存在する、ありとあらゆる宗教は、その教えは各々異なるが以下の点
 においては見解を同じにする。

 
人間が生きる意味は、決して生ある時にのみに限られるのではない
 人間の
生と死を超えたものがこの世界には存在する。
 その永遠なるものを理解し、近づくことが救いの道であり目指すべき道である。
 世界中の宗教は、いずれも、この点について強調している。

 人間が生きるということは、ただ生物として生きるということ以上の意味が
 あることを教えている。
 世界のどの宗教が死んだら全て終わりなどというだろうか!
 だがユダヤの教えは、まさに死によって、全てが終わるのである。

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● ユダヤの教えは不和と混乱をもたらす

 多くの真理と逆行するユダヤの教え。
 なぜユダヤの教えは、ここまで、この世界の本来の姿(真理)と逆行することを
 言うのか時に理解に苦しむこともあるが、それでもこのユダヤの教えが、
 霊的に優れたユダヤ人の間にあり続けたことには、大きな意味があった。

 ユダヤの教えがない地域に、突如、ユダヤの教えが入り込むとその地に不和
 と争いが起こる。
 なぜなら、迷妄と愚鈍の輩は、ユダヤの教えに直ぐにもなじみ始めるが
 真理を追求する探求者は、その違和感に直ぐ、気付くからである。

 ユダヤの教えを直ぐに信じる者達は、もともと考えることが苦手で、真偽を
 確かめるだけの能力も有していない。
 迷妄と愚鈍の者達にとっては、考えることよりも盲信することが楽なのだ。

 そうして徐々にその地域にユダヤ的世界観を広がると、良識を求める人々
 の悲鳴の声が聞こえ始める。
 なぜならユダヤ的世界観の広がりは急速であるためだ。
 人類の大部分は迷妄と愚鈍の輩であるからだ。

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● ユダヤは狂気を引き起こしかねない

 ユダヤの教えが入り込んだ地域は、時に狂気を引き起こす。
 誰であっても、自分の家族や親しい友人が、常識と懸け離れた新興宗教に
 熱心に、のめり込んでいく姿を見れば、真剣に止めるだろう。

  大事な人であればあるほど、その止め方にも力が入る。
 懸命に止めているにもかかわらず、それでも聞く耳持たずで、新興宗教に
 のめり込む姿を見れば、家族の中から発狂じみた声が聞こえ始める。

 ユダヤは、いかなる地でも偏見と差別を持って迎えられた。
 それは、彼らユダヤ人ではなく、ユダヤの教えに対する各地の良識が
 反応したからである。

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● ユダヤ的世界観の流入とアドルフ・ヒトラー@

 ユダヤ的世界観が入り込んできた地域では人々は混乱と不和が起こる。
 ユダヤ的世界観が良識を駆逐して始めるからだ。
 近代において、ユダヤ的世界観が入り込んだ為に大きな血が流された。
 1940年代のドイツである。

 ドイツにユダヤ的世界観が入り込んだ時に、賢明なドイツ人は、そこにユダヤ的
 世界観の流入を見つけた。
 だからこそドイツは急激に、反ユダヤ、反共産主義となった。
 共産主義もユダヤ的世界観が産んだ子供である。

 ドイツ人は反ユダヤ、反共産主義を掲げる者を熱烈に支持した。
 ユダヤ的世界観の急激な流入がドイツを不安定にしたのだ。
 ドイツは安定する方向へ動いた。
 それがアドルフ・ヒトラーの登場である。
 ヒトラーはドイツ国民から絶大な支持を受けた。
 賢明なドイツ国民もユダヤ的世界観の流入に対して鋭敏に反応した。

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● ユダヤ的世界観の流入とアドルフ・ヒトラーA

 もし仮に多くのユダヤ人が、ヒトラーは、悪魔の使いでユダヤ人を虐殺したと
 認識しているとしたならば、それはあまりに安直すぎる。

 なにゆえあれほど、ドイツ人は高揚し、ヒトラーを求めたのか。
 それを正確に理解し、把握することこそ、もっとも重要である。

 ここでは、ヒトラーのしたことを擁護する気など毛頭ない。
 多くのヨーロッパ人がヒトラーの登場を冷静に分析できなくなっている。
 それだけヒトラーのユダヤ人虐殺が残酷であったからだ。
 世界中の人々は真にユダヤ人に同情する。
 
 なれど、だからといって真相を把握しないことは再び悲劇を繰り返すことになる。
 ヒトラーを登場させた要因が、ユダヤ的世界観の中にない!などとは決して
 断言することはできない。

 この点について少数のユダヤ人も気付いている。
 仮に全てのユダヤ人が気付いてないならばユダヤはその力を失っている。

 ユダヤ的世界観が、各地域で人々の良識を攻撃し、その防御として反ユダヤに
 傾くことがあることなど、ユダヤ人は当に理解している。
  ヒトラーの登場は、ユダヤ的世界観が急激にドイツに入り込んだことを物語る。

 すべての原因はヒトラーで、彼だけで片がつくなどと思っている学者がいた
 ならばそれはあまりにも安易だ。
 ヒトラー1人に押し付けて事は済まない。
 真にその意味を知らねば、いずれまた同じ悲劇が起きない保証はない。

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● 大地を肯定しすぎるユダヤ

 ユダヤはこの大地を人間で主体的に生きることを応援する。
 ユダヤにとってはこの世界こそが唯一の世界となっている。

 人類がこの地上で生きることを肯定することは良い。
 だが
ユダヤはこの大地を肯定しすぎるのだ。

 霊性を無視した形で、大地を肯定するユダヤに多くの人々が違和感を感じた。 
 ユダヤの教えには、人類が永遠なるものに通じる霊性の意味が失われた。
 ユダヤ以外の国々でユダヤ的世界観を拒否したのは、正常な反応を意味する。

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● 迷妄と愚鈍に力を与えるユダヤ

 愚鈍で迷妄な者にとって、ユダヤの教えはなんとも心地が良い。
 ユダヤ的世界観は迷妄で愚鈍なる者達を捉えて離さない。

 もちろんユダヤ人そのものが霊的に鈍感かといえば決してそんなことはない。
 反対にユダヤ人ほど霊的な民族はそうはいないのだ。
 
 ユダヤは霊的に優れた民族である。
 その霊的に優れたユダヤ人が信仰するユダヤの教えこそ、もっとも霊的な
 ものから離れていたものになっているパラドックス。
 ユダヤ的世界観から生まれた唯物論や共産主義、絶対精神や絶対理性など
 それらの広がりは、人類の迷妄さを物語る。

 神の意図から物語を語り始めれば、さぞ気持ちが良いことのだろう。
 全てを断定口調で延べ、全ての計画は神からと発生するのだと述べる者達。

 こうなると真剣に学ぶことはなくなる。
 考えず、学ばず、努力はしない連中がわんさと溢れ出す。

 いつの時代もユダヤ的世界観は学ばずに盲信する者達の心を捉えて離さない。
 神の意図、絶対精神、絶対理性、共産主義、社会主義などの愚かな思想が
 どれだけ熱烈に人々に支持されてきたか!
 なるほど人類の大多数は迷妄と愚鈍の中にある。

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● 大地を恋し・肯定する者達=ユダヤ

 ユダヤはこの地上において大地を恋する肉体を肯定した。
 大地を愛し、肉体を愛する彼らは、すぐに知性を愛した。
 なぜなら知性は、肉体を必須の前提にするからだ。
 知性にとって肉体は必須の形式である。
 知性が優れていることには、ユダヤ人には大きな意味がある。

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● ユダヤ的世界観と唯物論

 ユダヤ的世界観が通った場所には
始めに唯物論の花が咲く。

 この世界のあらゆるものが絶対神からの贈り物だと考える連中は
 この世界のものに期待し、この世界の上に展開されているものに期待する。
 その為、物質に親しみを持つのだ。

 だが当のユダヤ人が唯物論者かといえばそうではない。
 確かにユダヤはこの世界を愛し、つまりは物質も愛するが、それはあくまでも
 彼らの信じる絶対神からのプレゼントと理解しているからだ。
 ユダヤ人は唯物論者にはならないが、ユダヤ的世界観に触れたユダヤ人以外
 の者達の多くは、一度は唯物論に陥るのである。

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● 人類に対する向かい風の役割=ユダヤ

 ユダヤは人類に対する
向かい風の役割を果たしている。
 確かに向かい風は、その行く手を阻みはするが、時に大空に舞がる為には
 不可欠のものである。
 鳥が向かい風を利用して大空高く舞い上がるように、人類もユダヤの向かい風
 によって大空を高く舞い上がるのだ。

 もし、そのように解釈することができないと言うならば、いったいユダヤとは
 人類に対するなにものなのか?

 ユダヤが誤信と迷妄の教えを人類に吹き込めば、吹き込むほど、その大地に
 住む人々に、真理への欲求を目覚めさせた。
 ユダヤの教えが迷妄で誤信に溢れれば溢れる程、その地に住む人々は
 探究心を奮い起こし、真理への道へと進むことになった。

 ユダヤ的世界観がもっとも流入していたヨーロッパでこそ、科学が発達して
 きたのも偶然でではなかった。
 因果律をもっとも否定した場所から科学は発達してきた。
 もちろん、時に、向かい風が強すぎれば、飛ぶ鳥の翼を痛めることもある。


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 ● それでもユダヤの教えはなくならない

 確かに22世紀において、ユダヤ人の間からもユダヤ的世界観が離れていく。
 なれど、それでもユダヤの教え自体は、決してなくならない。
 なぜならユダヤの教えの一部は、人間の迷妄さと結びつくいている。

 迷妄頑固なユダヤの教え。
 真理に反するユダヤの教え。

 ユダヤの教えは、我々人類の迷妄と愚鈍と結びついているからだ。
 いつの世も人類の大多数は、愚鈍であり迷妄の内にある。


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 ● ユダヤ人に対する抜き差しならぬイメージ@

 ユダヤ人のイメージは古来より、シェークスピアの作品
ベニスの商人
 ユダヤ人の金貸し業者
シャイロックに重ねられて理解されてきた。

 なれどユダヤ人とはそのような人では決してない。
 そのことはシェークスピアも重々、理解していた。
 ユダヤ人は、誰よりも神を愛し、神を第一に考えて生きる人達である。
 これを否定する者はおるまい。

 なれどシャイロックの姿は、ユダヤ人のある一面を的確に捉えている。
 ユダヤ人は、決め事を遵守し、契約を守る為なら情けをかけない点だ。
 この点においてユダヤ人は、誰よりも頑固になるのだ。

 ユダヤ人がシャイロックのような人かと言えば、大きく異なる。ユダヤ人は神を重んじる
 なれど彼の姿は、ユダヤ人の
一面を鋭く描き出す。情けよりも契約を重んじる点である。
 
  
金貸しのユダヤ人シャイロック

 ユダヤ人は特に他民族に対して情けをかけず非情になることが多く存在した。
 仮に神の命令とあれば、ユダヤ人は他の人々の命なども惜しくはないのだ。

 聖書の中には、そのことがいくつも記載されている。
 ユダヤ人は
慈悲よりも知性(神の意図)を優先する。
 彼らにとっては人間の愛よりも、神の意図が上位にある。

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● ユダヤ人に対する抜き差しならぬイメージA

 ユダヤ人にとって、頼るべきは金銭であり、それらの権利を守る契約こそが
 頼るべきものであると考えたのは無理からぬことであった。
 ユダヤには頼るべき国家がなかったからだ。

 ユダヤ人にとっては、お金をまけることの経済的損失よりも契約が反故に
 される意味の方が、痛恨な出来事なのである。
 情にほだされることは、ユダヤ人には何の得も生まなかった。

 ユダヤ人は古来より他の民族と距離を保って過ごしてきた。
 彼らは、なるほど生きる為に経済的な協力は、惜しまなかったが、他民族と
 心から分かり合うことなどは、決して求めなかった。
 
ユダヤは他民族に対して胸襟を開かない
 これらのユダヤの姿勢が、シャイロックのユダヤ人像を作り上げる事になった。

 もちろん他の民族もユダヤを誤解してはいたから、ユダヤが胸襟を開いても
 理解されずに誤解された可能性は非常に高かった。

 他民族から見れば、ユダヤほど迷妄で頑強な者達はいなかった。
 だがユダヤ人こそ、
人類の中でもっとも神を重んじてきた人々である。
 ユダヤ的世界観は、ことごとくこの世界の真理とは反している。
 なれど、そのユダヤ的世界観を盲信するユダヤ人こそ、確かに神を重んじ、
 霊的に優れた民族でもあるのだ。


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