宗教と哲学は犬猿の仲である。哲学は常に真理を求める。根拠を人間の認識におく。しかし宗教は超越的存在をまず前提にする。
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宗教と哲学
 
 
西洋において哲学の一番の敵対者は宗教=キリスト教であった。
 人がどこまで認識できるか、その真摯な取り組みに対して、宗教は執拗に妨害を
 加えてきた。

  ●  哲学 VS 宗教

  
古代ギリシャ、ローマにあっては文化・科学・芸術・学問が大いに発展した。
 しかしキリスト誕生以後、徐々にキリスト教の影響がヨーロッパの各地に広まり
 その教義体系が真理を探究するものの足枷となった。

  西洋の歴史を見ると真理の探究をしてきた者の行く手を常に遮ってきたのは
  宗教=キリスト教であった。
  キリスト教徒の弾圧は宗教の教義に矛盾する探求者へ常に向けられた。
  ヨーロッパ(キリスト教圏)において真理を探究する者は常にキリスト教の迫害
  を覚悟する必要があった。

  真のキリスト教は仏教的である。 

  だがキリスト教徒がユダヤ教的世界観に取り付かれる時がある。

  
ユダヤ的世界観に取り付かれたキリスト教は暴走する。
  
探求者に強烈な弾圧を行うのだ。
  哲学にとって最悪の敵はキリスト教そのものではなく、ユダヤ的世界観に
  染まったキリスト教である。

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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の宗教家へ
   
    『 稲穂黄金のユダヤVS賢者

        『 稲穂黄金の有神論と無神論


  ● 最終的には哲学か宗教かを選ぶ@

 
巷の宗教家の中には将来は宗教と科学は融合すると言う人がいるが
 決してそんなことはありえない。

 
宗教と科学は最終的には決して融合しえない
 
支える土台の基礎が大きく異なるからだ。

 科学はいつの時代でもどこの場所でも同じ結果になることを前提する。
 どういう人でも同じ努力を踏めば理解できることを基礎にする。
 子供でもお年寄りでも女でも、その手順を踏む忍耐力があり、手順を踏めば
 誰でも理解できることを前提におく。誰もがだ。
 だからこそ法則なのだ。ある人にだけ成り立つ物理法則などは決してない。

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  ● 最終的には哲学か宗教かを選ぶA

 
それに引き換えて、宗教は論理的に説明できないものを必ず含む。
 
仮に宗教が科学のようにすべてを論理的に説明できたとしたら宗教とはなんと
 つまらないものであろう。宗教は論理的に説明できない部分を必ず含む。 
 だからこそ
信仰というのだ。

 論理的説明ができない部分こそ、その宗教の核心が潜む。
 誰もが神を感じることはないし、ましてや同じ神を感じることなどもっとない。
 だからこそ、世界中に溢れんばかりの異なる宗教が存在する。
 宗教がこれほど多種多様分かれている理由でもある。
 これを天才カントが証明した。

 神を感じて取り次げる人の数も限定される。
 だいたいは宗教団体のリーダー的な人達だけが神の取次ぎ者に選ばれている。


 
宗教と科学とはなんとこうも違うものであろうか!
 探求の王様=哲学と比べるなら言わずもがなである。
 最終的には
哲学の道宗教の道かを選ぶことになる。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の宗教家へ
   
    『 稲穂黄金の未来の神霊家へ



  ● 天才カントの登場@

  哲学界に天才が現れた。カントの登場である。
 カントは認識の形態をア・プリオリの先天的に備わるもの、
 ア・ポステリオの経験により後天的に備わるものに分けた。

 
物質の本質には時間と空間が含まれず、物質を表象するときに時間と空間
 を適用しているのは我々の脳である。
 時間と空間の形式は我々の脳が保有し、表象上の物質に適用する。

 
世に名高い先験的感性論である。

 カントはこれらの認識手法を元に、すべてのものを分析、解析した。
 数学はア・プリオリな学問。物理はア・ポステリオリな学問。 
 
 ア・プリオリを基礎におく数学はなるほど、世界中で同一のものである。
 アメリカ数学や日本数学などというものがないのも、その基盤は人なら誰もが
 有する脳の直感にその基礎がある為だ。だから数学は世界中で同一に帰する。

 その認識手法を知って恐れおののいたのが宗教関係者であった。
 特に西洋では、キリスト教を理解するのは人間であることの証、正常な人間なら
 必ず理解できる真理とうたっていたからだ。


          
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  ● 天才カントの登場A

 カント登場以後、状況は一変した。
 カントの存在は、キリスト教関係者には脅威であった。

 カント哲学は宗教は誰もが生まれながらに備わるアプリオリなものではないこと
 を証明する。誰もが生まれながらに神を感じることはない。
 この衝撃は、はかり知れない。

 宗教は先天的なア・プリオリなどでは決してあらず、経験的なア・ポステリオリに
 属することが白日のもとに晒された。

 仮に宗教がア・プリオリなら数学と同じように宗教も1つに帰するはずだが
 宗教は世界中のいたる場所で多種多様の神を祭り存在する。
 これが脳の直感から由来するア・プリオリのはずがない。

 幼い頃から空気を吸うようにキリスト教に触れてきたヨーロッパ人にとって
 キリスト教は誰もが生まれながらに宿ると考えていた。
 しかしカント哲学の登場で、そう思っているのは自分達ヨーロッパ人だけなのだ
 という思いを持つ切っ掛けを与えたのだ。
 本当は幼い頃からの教育、悪くいえば洗脳の為に、キリスト教の教義がまるで
 誰もが生まれながら理解できると思っていたことに気づき始めたのだ。

なるほど
確かに宗教は物が解らぬ幼少時代ほど強烈に脳に刻み込まれる
言うのは真実である。洗脳されるものである。


          
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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金のカント



  
● キリスト教に媚を売る者たち

 天才カントが死に、ようやく自分達の居場所が脅かされないと安堵した宗教
  関係者/キリスト教の指導者層が、その不安を二度と味わわない為に
  取った行動が
哲学学者の買収であった。

 大学教授の地位を与え、給料を払い、キリスト教の教義に合致するものには
 賞賛と拍手を惜しまなかった。

 ここにキリスト教に媚を売る連中がでてきたのだ。それも雨後の筍のように。
 フィフテ、シェリング、ヘーゲルなどの連中だ。さらにその賞賛を見てその弟子達
 がそれに倣い続いた。大学の哲学界はそんな連中どもが跳梁跋扈したのだ。

 彼らが哲学と称する戯言は神や絶対者などから始まるのだ。
 さらに媚を売り、キリスト教の指導者層に擦り寄った。

 その為に理性を持ち上げた。つまりこういう理由だ。
 人も成長し理性が芽生えてくればきっとキリスト教を理解できる。
 理解できない人間が仮にいるなら、それは理性が芽生えなかったものだと。
 理性が絶対であり世界を支配しているという馬鹿な考えを持ち出したのだ。

 こんなのが哲学ならば、哲学とはお伽話(おとぎばなし)である。
 何の思想を有さない、唯のくだらないお喋りにキリスト教関係者は賞賛の拍手を
 贈りそれに大学の哲学界も呼応し、ここに
哲学は失墜したのだ

          
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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の浅はかなる者達



  ● 似非者達の性質@

  
現在の大学でも哲学科ではフィフテ、シェリング、ヘーゲルを学ぶようである。
  とても正気ではない。
  彼らのものを見れば
哲学ではなく神学である。

  それも相当
できの悪い神学である。

  
絶対者、絶対理性、絶対精神などというものから、どうして哲学が始まるのか?
  何を根拠に考えているのだろうか? 
  昆虫、動物を見れば知性が段階的に与えられてきているのを見て取れる。
  なのにその延長にある理性がこの世界の絶対であると考えるナンセンスさ!
  ましてや理性の同類の精神が絶対だと見る愚かさ!

  こういう輩の性質は 『始めに
おとぎ話ありき 』 なのである。
  根拠は思いつきでも何でも良いと思っている。

 真の哲学は、確実な根拠を前提に置くものだ。
 その為に本物の哲学者達は、何度も熟考し熟考し詳細に吟味してきた。
 超一流の頭脳が細心の注意を傾けて傾けて長い時を経て哲学を形成した。

 なのにこういうまったくの能なし連中は平気でその哲学を踏みにじったのである。


          
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  ● 似非者達の性質A

   類は友を呼ぶ。これは哲学界にとても良く当てはまる事象である。

  真理を前提にし思考のあらん限りを用い、吟味する誠実な者がいる反面、
  大多数の者は、その覚悟もなく、さらにはその頭脳も有しない。
  そういう連中が基礎におくのはおとぎ話、艇の良い思いつきである。
  こういう連中が馬鹿騒ぎしていれば、哲学が生まれると思っているのだ。
  
 数学のように何かを示すには証明を伴うことの厳しさの意味を知らず
 物理学のように地道な実験と検証の意義がわからぬ馬鹿者たちだ。
 数学も物理もそれは地道な地道な作業と研究の連続である。

  こういう努力もしない文科系の者達が哲学をいじり始めた。
 そういうアホな輩が、思いつきの言葉を次々に吐く。
 この世には2つの精神があるだとか、この世界は理性が支配し、世界はその
 方向に進んでいるのだとか・・・etc    まるで馬鹿の戯言である。

  彼らにせめて数学の基礎があったならば、自分達が馬鹿者であること
  ぐらいは気づいたのであろう。


          
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  ● 似非者から好んで学ぶ者達の性質@

  フィフテ、シェリング、ヘーゲルを好んで学ぶ者には以下の性質が見て取れる。

  @
自分の頭で考えることはしない。
  A
この世の真理を探求しようなどという気などさらさらない。
  B
文科系である。
  C
共産主義(マルクス)を好む性癖がある。

 こういう連中はまず自分の頭を使って考えることはしない。
 というよりそういう能力を有していない。だから彼らのやることと言えば過去に
 よさそうな哲学者の考えを鵜呑みにし、ひたすらその考えに従うことである。

 さらにこの世の真理を探究しようなどという大それた気など毛頭ない。
 だから、物質の作用の探求の物理学、それを支え根拠にする数式の数学に
 ついて真剣に学ぼうなどという気などさらさらない。
 仮に宇宙のことや量子世界のことなど聴かれたら、書店にいってアインシュタイン
 などの本を買ってきて、その見識に従順に従うのだ。
  まあ、それはまだましな方だろう。たいてはそれは科学者の専門範囲であって、
 我ら哲学学者の専門範囲ではないと真剣に思っているだろう。

 だからこういう連中は文科系である。文科系であっても哲学の道を歩むのに
 数学や物理などの科学に興味を持ち、せめて基礎的な物は身につけようという
 気構えがあれば良いのだが、そんな苦労をしようという気はさらさらないのだ。

 
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  ● 似非者から好んで学ぶ者達の性質A

 そしてこういう連中がだいたい飛びつくのがマルクスの共産主義だ。
 飛びつかないまでもシンパシーを感じるのである。
 というのも、頭で考えない連中は自分のお気に入りの哲学者の考えを従順に
 踏襲するばかりだが、それでも少しは自分の頭を使って考えたいという知的欲求
 が起こるのだろう。つまり暗記だけではなく、少しは理解したいのだ。

 彼らの単純な脳にとってマルクスの共産主義は理解しやすいのだ。
 象さんは体が大きい。体が大きい動物は象さんという単純で単調な思考展開
 で話が進む共産主義に共感するのだ。

  
  象さん  → 体が大きい動物
    象さん  ← 体が大きい動物

 体が大きい動物にはキリンさんもカバさんもいることを忘れているのだ。
 この単調な共産主義はこう続く。
 世の中が貧しいのは金持ち(=資本家)がいるからだ。
 資本家がいなくなれば世の中の貧乏がなくなると考えているのだ。

 
   金持ち(資本家)がいなくなれば →  貧乏はなくなる

 これが成り立つためには豊かな国には金持ち(資本家)がいない。
 金持ちがいない国は、皆貧乏ではなく豊かである。 
 ということが提示される必要がある。必要十分条件ということも知らないのだ。
 誰か、彼らに数学の基礎でも教えてやらなかったのか!!

 事実は金持ちもいない国はそれこそ悲惨な状況であるのが現実なのだ。   

 単調な共産主義の思考展開は彼らの思考にフィットした。
 体の大きい動物→象さん→牙がある。
 だから体の大きい動物には皆、牙があるとなる
思考の一方通行

 彼らはこれだけの物を生産すれば、これだけ流通して、これだけ消費される。
 だからこの商品の値段はこれぐらいになるとまるでドミノ倒しのように進む。

 彼らには人が物に飽きること。服の柄にも好みがあること。
 コーヒーの味にも好き嫌いがあること。 毎日同じ食事など食べられないこと。
 つまり人間には感情も個性もあることをすっかり抜け落ちているのだ。

 『あ〜!そんなこと言ってくるな!事象が複雑になるではないか!
  ドミノは1列だけにしてくれ!』 というのが彼らの本音であるのだ。
 簡単な思考の流れしか想像できないのだ。


          
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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の浅はかなる者達
        『 稲穂黄金の深遠なる者達



  ●  まるで宗教の信者のごとく

 こういう似非探求者を好む者たちの特徴は宗教の教義がわからないが
 盲目的に、熱狂的に信仰する宗教信者のごとくである。

 それでも本物の探求者をかぎ分けて、意味はわからなくても、それを信じようと
 その信者になるのなら遥かにましなのだが、類は友を呼ぶように
 おかしいことを信じることに熱心なのだ。

 もはや哲学者などと語るもおこがましい連中である。
 が現在でも大学の哲学にはこのたぐいの連中がわんさといる。

 天才カントが死にようやく自分達の居場所を脅かされないと安堵した似非学者。
 カント死後、まるでカントはいなかったのごとく、まるで別の道を歩んだ馬鹿者だ。
 それも何とも、意味ない言葉遊び、何の思想も含んでいない。
 思想の薄っぺらさに気付かれない為に、それを隠す為に言葉をいじったのだ。

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 ● 哲学は堕ちるに堕ちた

 いまや哲学は堕ちるに堕ちた。
 現在、誰もが哲学学者などには物を尋ねない。
 宇宙の現象、微細な原子・量子世界のことを誰が哲学学者に尋ねるだろうか?
 誰も尋ねはしない。 皆、
科学者に尋ねるのだ。

 当の哲学科の教授でさえ、そんなことを尋ねてくれるな!という顔をする。
 それは科学者の仕事であり、自分達は専門外だと思っている。

 本来哲学は、理科系はもちろんこの世の姿の全容を勉めん学問であるが
 もはやその面影はどこにもなくなった。哲学は堕ちるに堕ちた。
 哲学が文科系に堕ちた
のもその表れである。

 論理的思考がもっとも必要になる学問が文科系出身で固められる現実。
 別に数学や物理を専門家レベルまで理解しろといわないが、その基礎ぐらいは
 修練してある程度、身に着けなければ深遠な認識の切り分けなど到底できない。

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● プラトンの真実

  この哲学の惨憺たる様を2000年前のプラトンは予測し、警戒していた。
  『 幾何学を知らざるもの哲学の門へ進むことなかれ 』

 真理を土台にするのではなく、お伽話、思い付きを土台にする輩が哲学の中に
 現れるのはプラトンの時代にもあったのだろう。

 ある一定の脳の練磨。何が真で何が偽か。何を根拠に考えられるかの基礎的
 素養があって初めて、学問の王道である哲学を学びはじめられるのだ。

  『 幾何学を知らざるもの哲学の門へ進むことなかれ 』
 
 
幾何学=数学=論理的思考の基礎を身につけない者は哲学の道へ入るな!
 いうプラトンの言葉は確かに真実であった。


          
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●  キリスト教の恥

 
16世紀にある哲学者が述べた。

 ・地球は回転し、その為、地球上からは天体が動いているように見える
 ・宇宙も地球と同じ物質からなっている。
  宇宙の物質が特別ということはない。
 ・恒星は宇宙の中心から等距離に存在していない。
  宇宙の中心がどことはいえない。


 この考えに現代の多くの科学者が同意する。
 この哲学者の名は
ジョルダーノ・ブルーノ
 17世紀のロック、ニュートンよりも100年前にジョルダーノ・ブルーノはここまで
 認識していた。 彼は現代的でさえある。

 これほどの頭脳を持つブルーノをキリスト教指導者層が残酷にも火炙りで
 処刑したのだ。
火刑である。
 そんな頭脳などまったく有さないキリスト教指導者の者達がである。

  科学者の意見に宗教が宗教的に反対するのは別に良い。
 宗教は科学ではなく信仰であるからだ。論理的欠点も多く含むだろうし宗教は
 大衆の為に存在するから論理的ではなく、物語風に語ることもあるだろう。

 だが物もわからぬ、頭脳を有さない教会指導者層が偉大な頭脳を多数迫害
 するのを見ると、宗教の恐ろしさと愚かさを感じずにはいられない。
 神の名で集まっても馬鹿者は馬鹿者というところだ。
 超一流の探求者、ジョルダーノ・ブルーノの処刑はキリスト教の消せぬ恥である。


          
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  ●  キリスト教は三度、邪魔をする@

 キリスト教は三度の邪魔をする。
 今までに少なくとも二度、科学の進歩の邪魔をした。
 真の探求者がたどり着いた以下の認識に対して強烈に反発したのだ。

  
@天動説ではなく地動説である。
  A
宗教はア・プリオリではなく経験的である。
  B
自由意志などなく、全ては因果である。


 上記3つに対してキリスト教は強烈に反発した。
 最初の宗教の妨害は地動説に対してである。

 その当時のキリスト教にとっては、神様は天に住むという認識があった。
 天とはお空の向こうにあり、そこに神様がいるのだと考え、信者に教えていた。
 
 であるのにこともあろうに一部の科学者が空の向こうは宇宙でした!というのだ。 
 これが勘弁ならなかった。
 地動説を述べたコペルニクス、ガリレオ、ブルーノに対して出版差止め、
 思想の転換、果てはブルーノに対しては火刑を下したのだ。


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* 本来のキリスト教は仏教的である。
     聖書の教えは霊的であり、その内容は確かに高度である。
     だがキリスト教にユダヤ的世界観が入り込むとき、キリスト教は暴走する。
    ユダヤ的世界観と科学者の見解が大きく異なるからだ。
     21世紀に科学の進歩の邪魔する可能性は否定できない。


     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
         『 稲穂黄金のイエス・キリスト
 
        『 稲穂黄金の未来の宗教家へ



  
●  キリスト教は三度、邪魔をするA

 
 キリスト教の科学に対する2度目の邪魔は認識についてだ。
 カントの登場によって神を感じることはア・プリオリではないというのが白日の下
 にさらされたときに、キリスト教会は大きな不安を感じた。
  その為に教会側は、教会の都合の良い教えを述べた者を賞賛することに
 したのだ。それにまったく才能のない連中が呼応した。

 教会からの要請は、概ね神を感じるのは必然であることだ。
 それが盛り込まれた哲学は彼らの意図にぴったりだったのだ。

 それに呼応するかのように能無しのフィフテ、シェリング、ヘーゲルなどの馬鹿者
 たちが神、精神、理性を持ち上げ、哲学の基礎にそえようとしたのだ。
 いわく絶対者、いわく絶対精神、いわく理性の支配・・・・・etc
 哲学は堕ちるに堕ちた。

 カント以後、哲学者が本当に進むべきはカントの道の延長にあった。
つまりカントの認識論を最大限に利用し認識の根拠率を確立する必要があった。
この仕事の意味さえわからぬ大学の哲学がはびこり哲学は大幅に落ち込んだ。
 その結果、科学界は単独で真理に立ち向かうことが必要になった。
 この時代から哲学と科学が大きく分かれ始めた。

 この哲学の落ち込みの為に現代の物理学者が量子世界に苦戦している。
 本来ならこの部分はとっくに哲学者がある一定の解答を提示していてもおかしく
 はなかったのである。
 だが19世紀の哲学の大幅な退歩が近代の科学者に負担をかけたのだ。


          
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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
         『 稲穂黄金の未来の物理学者へ


  ●  キリスト教は三度、邪魔をするB

  
そして3番目の邪魔はまだ大きく起こってはいない。
 
この邪魔は21世紀以降に強くなっていくだろう。
 というのも科学の進歩がこの世界の姿は
どこまでも因果
 
あることを証明し予感させるからだ。

 
無機物の世界だけでなく有機物の世界、さらには昆虫を得て、動物、さらには
 人間の生涯も因果の鎖がつながっていることを予感させるのだ。

 そうするとキリスト教は大いに困るのだ。
 キリスト教だけではなく一神教が困るというのが正確である。
 
 一神教では、この世界を含めて唯一の絶対神が創ったとなっている。
 つまり人間でさえ、神が創ったということだ。
 とするなら人間が悪いことをし罪を犯した場合、それは結果的に人間を
 創った神に責任もあるのではないかという責任論が神の側に発生する可能性
 があるからだ。
 人間が悪いということは、結果的にそれを作った神が悪いとつながるからだ。

 その為、キリスト教では
自由意志
という言葉を作った。
 つまり人間が悪いことをしても、それは人間には自由な意志があり、その責任は
 人間を作った神にはなく、あくまで人間にある! という具合だ。
 だから一神教は人間の自由意志の否定を梃子でも認めない。

 だがこの世を冷静にみれば、すべてが因果の鎖で繋がれている。
 あなたが今日食べるメニューも昨日のメニューと腹の具合、懐具合、周りでその
 メニューを食べているのを見て、というように偶然なように見えてそこには多くの
 要因が絡まってあるが、そこには必然が付きまとうのだ。

 宗教がいう意味の自由意志というのは存在しないのだ。

  真実はすべてが因果の鎖で繋がれている。
 偉大な探求者は人間を含めて全てが因果によって繋がれていることを認める。

 量子世界の素粒子の振る舞いにも、自由意志が存在するなどと言い出す輩が
 出ないとも限らないではないか。いつの時代も学者の中に真理を踏みにじり
 宗教に組する似非者、馬鹿者がいるのは世の常である。
哲学は科学を宗教から守る役目がある

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
         『 稲穂黄金の未来の物理学者へ
 
        『 稲穂黄金の宗教家へ

         『 稲穂黄金のユダヤVS賢者








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