未来の学者 学者であるならば学問とは何かを知る必要がある。学問を知るために知的とは何かをしる必要がある。
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 学者であるならば、学問とは何であるかを知らないといけない。
 学問とは何であるかを知るためには、知的な何であるかを理解する必要がある。

 
● 人間の知性について@

 学問をする者の多くは、学問をしている時に何を基準に、人間はそれが
 正しいと判断しているのかを気づかない。
 気づいて学問を行っている人など、ほぼいない。
 素直に、頭の中の声に従っているのである。

 ここでは、我々人間が、何を根拠にそれが正しいとか間違っているとか
 判断をしている中身について語る。

 人間にとってまず判断をする上で根拠にしているものは何で有るのか?
 そして人間にとって知性とは何であるか?
 さらには人間の知性の欠点とは何であるのかを述べる。
 この理解があれば、知性と信仰の違い、知性と芸術の違いがはっきりとする。
 そして学問とは、明らかに知性に属するものであることを理解することになる。

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● 人間の知性についてA

 それでは人間の知性は、何に負っているのか?
 それは、脳内の
表象である。

 我々人間は、いくつかの表象を有している。
 その表象の内で、知性の土台となる表象が存在する。
 
根拠律が存在する表象がこれに該当する。

 該当する表象の数は、
つ存在する。
 その表象は、
時間と空間、根拠律のルールが適用されている。
 我々、人間はこの表象の上で認識し、判断したものだけが初めて人間にとって
 根拠がある、人間にとって論理的に正当性を持つということなのである。

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● 人類史上最高の天才

 人間の知性の根拠が、根拠律に沿った表象に負っていることを人類に
 初めて知らせた者こそ、
ショーペンハウアーである。
 人類史上最高の天才である。

        
人類史上最高の天才ショーペンハウアー
    
 
彼の前に人はなく、彼の後に人もいない。 あらゆる方面での彼の洞察力は桁違いである

 根拠律が適用されている表象の数は、
つであることを知らせた。
 その各種類の表象について、これでもかというぐらい詳細に、的確に
 彼は述べた。天才のみができる作業である。

 彼の説明は、いつでも明確であった。何を言うべきかを知っているからである。
 明確さこそが優れる者達の証である。

 彼が200年以上前に成し遂げた偉業は現代でも最重要事項である。
 さらに驚くべき事に、この仕事を成し遂げたのが26歳というのだから
 驚嘆するばかりである。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金のショーペンハウアー



 
● 4つの表象

 知性の土台となる、根拠律が存在する以下の4つの表象である。
 これらの表象は、時間、空間、根拠律が適用されることによって
 その判断の根拠というべき、根拠律を有している。

   
@ 直覚的表象   ・・・・ 実際に見ている世界
   
A 抽象的表象   ・・・・ 概念、あらゆる思考がここに属する
   
B 直覚的表象  ・・・・ 物質がない世界。つまり空間と時間の世界
   
C 意欲の主体   ・・・・ 内感、自己意識

 これらの、いずれかの表象を通り、その表象上で正統に、判断されたものだけ
 が人間にとって根拠がある、人間にとって知的に正しいと言えるのだ。

 もちろん、世の中には、この表象の上を通らないものが無数に存在する。
 それは、結局存在はしても、人間にとっては、正しいとも正しくないとも
 論理的にいうことができない対象である。

 我々がある対象物(物質など)を考えることができるのも、その対象物が
 時間と空間、根拠律が適用されている表象の上に、現れている事に限って
 そのように言えるのだ。

 時間、空間、根拠律に適用されないものは、その表象に昇らないことをもって、
 我々人間にとっては判断の対象ではない。
 その根拠を、人間の脳の表象のどこにも持たないからだ。

 我々人間は、根拠律のルールが適用された表象の上に昇ったものに対して
 そこで初めて考えて判断して、それが論理的に正しいといえるのだ。

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● 4つの表象がもつ共通の判断

 この4つの表象には、それぞれの根拠が存在している。
 これについては、説明すると非常に長くなるので以下のサイトに譲る。
 ここでは、その表象が有する根拠律を簡単に述べておく。

    直覚的表象    生成の根拠律    = 因果律
   抽象的表象   
認識の根拠律    = 判断の根拠
   直覚的表象2  
存在の根拠律    = 存在の根拠   
   意欲の主体   
行為の根拠律    = 道徳の根拠

 これらの根拠律は、各表象で、それぞれ異なった形で登場してはいるのだが
 これらは人間の
全認識作用の1つの根源から発せられている。
 何れかの表象の上で判断される場合に、必ずその表象が有する根拠律に
 よって判断される。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の科学の基礎
        『 稲穂黄金の一流科学者の為の哲学
        『 稲穂黄金のショーペンハウアー

        『 稲穂黄金の未来の科学者へ



 
● 直覚的表象

 これから4つの表象を詳しく見てみる。
 
第一直覚的表象とは、現に我々が今、見ている世界である。
 夢の中で見えている世界もここに属する。
 他の表象の源泉にもなるもっとも大事な表象である。

 この表象、人間だけではなくすべての動物が有している。
 この世界を、動き行動する生命は、この表象の強弱の差はあるが
 持ち合わせている。目をもつ生き物は、さらにこの表象が鮮やかである。
 直覚的表象が有する根拠律こそが
因果律である。

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● 抽象的表象

 
第二抽象的表象とは、概念やあらゆる思考を
 含む表象である。

 理性や精神もここに属する。
 この表象は、人間があらゆる動物の中でもっとも発達している表象である。
 つまり人間には学問があって、動物に学問がないのは、動物はこの抽象的表象
 が未発達であるからである。
  あらゆる思考とは比較から始まる。
 よってこの思考が成り立たせる為の重要な要素の1つが記憶である。

 人間は過去の現在を比較することで、以前と今を比べることで学問が
 形成できるのである。
 動物においては、賢いとされる犬でさえ、一ヶ月前のことはあやふやである。
 だから、どんな犬でさえ、ある一定期間離れて過ごした飼い主の事を記憶で
 思い出すのではなく、匂いや声で、思い起こすのである。

 この抽象的表象は、第一の直覚的表象の内からいくつかの部分を抜き出して
 形成されている。であるので抽象的表象の根拠は、直覚的表象に属する
 のである。
 
 人間の知性に欠点をあるのも、
 つまりは抽象的表象の根拠は、直覚的表象から抜き出したものであっても、
 直覚的表象の全ての根拠が抜き出されていないことに尽きる。

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● 直覚的表象2

 
第三直覚的表象2とは、直覚的表象に似ているが、
 そこには別に目の前で、見ている質料(物質は)は入らないのである。
 つまり時間と空間のみの世界である。

 この表象は、直覚的という名前がついているが、直覚的表象から捨象・抽出
 した
抽象的な表象である。本来はその名前が抽象的表象2でも良かったので
 あるが直覚的表象に似ているので、擬似直覚的表象の意味で、直覚的表象2
 と名づけているだけである。

 この表象を、利用するのが数学である。
 数学における幾何学は、この表象を利用することで成り立つ。
 幾何学の点や線、それらはこの表象上で判断される。
 この直覚的表象2も、直覚的表象の部分から捨象・抽出された一部である。

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● 自己意識

 
第四意欲の主体とは、人間の内感のことある。
 この表象とは、上の3つと少し違うところは、時間と根拠律の適用は、受けて
 いるが空間の適用はないことである。
 時間と根拠律を根拠にもつ表象である。
 この点については、以下のサイトで詳細に説明する。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照
        『 稲穂黄金の未来の心理学
        『 稲穂黄金の未来の精神分析学


 
● 各表象に対する学問分野@

 この4つの表象が、どのような学問の根拠となっているかを以下に示す。
 既に200年以上も前に、さらに詳細に語られている。

  @ 
直覚的表象   → 科学(物理学、化学、生物学)
  A 
抽象的表象   → 論理を伴う全ての文科系の学問。
                  (数式を利用する科学、解析学)
  B 
直覚的表象   → 数学(幾何学)
  C 
意欲の主体    → 心理学、精神分析学

 直覚的表象とは、あらゆる学問の源である。
 他の表象の源泉が、ここにある。
 天才が切り開く直感もここに存在する。
 この表象を学問の分野でいえば、科学の範囲となる。
 つまり実際にこの見ている世界の上での確認が必要となる。
 実験と検証によって確認するのである。

 抽象的表象とは、概念やあらゆる思考を含む。
 学問でいえば、あらゆる学問を含む。
 つまりは学問を形成する骨組みの部分である。論理の鎖といっても良い。
 数学における解析学、つまり数式に関わるものは、ここに属している。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の科学者へ
        『 稲穂黄金の科学の基礎
        『 稲穂黄金の一流科学者の為の哲学



 
● 各表象に対する学問分野A

 直覚的表象2とは、空間と時間のみを含む。
 質料(物質)はない。
 この表象の上で、数学者は線や点、立体図形を思いのままに描く。
 そこに実体は必要ない。実在などまるでしなくてOKである。
 であるからこそ、大きさのない点、幅のない線などが自由に表現できる。
 この表象を利用する分野といえばもちろん数学の幾何学、図形に関してである。

 意欲の主体とは人間の内感であり自己意識である。
 この分野に深層心理や顕在意識など心理学や精神分析学で出てくるものが
 対象である。(以下のサイトを参照)

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の心理学者へ
        『 稲穂黄金の未来の精神分析学者へ



 
● 根拠律の4つの根に反応した者達@

 ショーペンハウアーの偉大な業績『根拠律の4つの根』が出た当時、
 世の中の反応はどうであったろうか?
 
まるで反応がなかった!

 
その意味、重要性が、誰も理解できなかったからだ。
 ショーペンハウアーの重要性は、それから100年を経て、多くの優れたる者達
 の間から、本格的に知られる事になった。
 偉大な者ほど広がるのは後である。

 彼の重要性に、気付いたのは、残念ながら哲学学者ではなかった。

 優れた科学者達であった。
 彼らは、ショーペンハウアーの業績をを知って驚嘆した。
 アインシュタインは、まさにショーペンハウアーに心酔しきっていた。
 アインシュタインは、ショーペンハウアーを
絶対の先生にした。

 アインシュタインが相対性理論を開拓したのも、事物が相対的であること、
 時間がゆっくりとも早くとも進むことをショーペンハウアーから学んだ為である。

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 ● 根拠律の4つの根に反応した者達A

 物理学の探究範囲が
量子世界に入ると、ショーペンハウアーの
 重要性がさらに際立った。
 
ニールス・ボーアシュレーディンガーハイゼンベルクなどの
 そうそうたる科学者が、ショーペンハウアーから真剣に学んだ。

 ニールス・ボーアは、ショーペンハウアーを相当、読み込んでいただろう。
 なぜならニールス・ボーアの科学に対する世界観は、ショーペンハウアーの
 世界観にまるっきり沿っているからだ。

 さらに言えば、ニールス・ボーアから連なるコペンハーゲン解釈そのものが
 ショーペンハウアーが、彼らよりも既に100年以上も前に、詳細な述べている
 からである。

 量子力学が登場する100年以上も前に、ショーペンハウアーは、優れた科学者
 が述べたコペンハーゲン解釈よりも、さらに深い意味を語っている。
 真剣に学問の道に進む者であれば、あらゆる分野においてショーペンハウアー
 のずば抜けた洞察力に驚嘆し、気付くはずだ。

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● 4つの表象の最大領域の探究@

 根拠律の4つの根が世に出たときに、誰もその重要性に気付かなかったと
 述べたが、それは正確な表現ではない。

 確かに、ショーペンハウアーのその意味を真に理解した人はいなかったが
 その真理の登場を、感知していた人々がいた。
 優れた者たちは、何か偉大な物が登場した事を感じていた。
 特に敏感に反応したのが数学者であった。
 ショーペンハウアー以降、数学は圧倒的うなりとなって押し進んだ。

 数学における非ユークリッド幾何学、群論、ヒルベルト構造主義の登場は
 数学で使用する表象に対する限界の探究であるといってよい。

 
非ユークリッド幾何学は、直覚的表象2限界を探究するものであったし
 
群論、ヒルベルト抽象的表象限界を探究するものであった。
 
不完全性定理のゲーデルの業績は、抽象的表象限界の探究であった。

 また物理学における反応も同様であった。
 
不確定原理の登場は、直覚的表象限界を探究するものであった。

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 ● 4つの表象の最大領域の探究A

 ショーペンハウアーが示した根拠律の4つの根について、多くの優れた科学者
 は正確な理解はできていなかったが、それでも真理の光は強く、それらの
 科学者は、4つの根拠律の重要性を感じ取っていた。
 そうしてそれらの優れた探究者が該当する学問が利用する表象についての
 使用可能な
最大領域を探究したのである。

 その
表象の論理的限界、観察的限界について
 の探求が優れた探究者によって推し進められた。

 直覚的表象については、ニールスボーアやハイゼンベルグらが担当した。
 抽象的表象については、ゲーデルやカントール、ヒルベルトが担当した。
            シュレーディンガー              ヒルベルト

  ニールス・ボーア               ゲーデル                カントール

 直覚的表象2については、リーマンやロバチェフスキーらが担当した。
 自己意識については、フロイトやユングらが担当した。
 
    ロバチェフスキー      リーマン         フロイト           ユング

  直覚的表象    ⇒  ハイゼンベルグ   ⇒ 不確定性原理
              ⇒  ニールス・ボーア   ⇒ コペンハーゲン解釈
              ⇒  シュレーディンガー ⇒ 波動力学

  抽象的表象   ⇒  ヒルベルト     ⇒  無矛盾性
             ⇒  ゲーデル      ⇒ 
不完全性定理
             ⇒  カントール      ⇒  集合論
             ⇒  ガロア、アーベル  ⇒  群論

  直覚的表象
⇒  ロバチェフスキー ⇒ 非ユークリッド幾何学
             ⇒  リーマン      ⇒ 多様体・トポロジー(位相幾何)

  自己意識     ⇒ フロイト       ⇒ 精神分析学、自我 
              ⇒ ユング        ⇒ 心理学、集合的無意識


 この意味を理解しなくては、近代の
自然科学の歩みが何で
 あるかを真に知ることはできない。
 近代の科学の流れの背景には、人類史上最高の頭脳をもつ人物、
 
ショーペンハウアーの業績が控えている。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の科学者へ
        『 稲穂黄金の究極の科学
        『 稲穂黄金の究極の物理学



 
● 学問とは何か

 学問とは何か。
 この根拠律が存在する4つの表象の何れかを通った物。
 その表象上で根拠律を元にして、判断をされ、それに合格したものが
 人間にとって、正当性があると言える。
 それが
人間にとって知的に正しいと言えるのだ。

 この4つの表象を通らないものは、人間の知性の範囲にはない。
 この4つの表象を通って、その上で根拠律を土台にして、的確と論理的に
 判断されたものが、人間にとって知的に正しいと言える。
 つまりはこれが
学問の対象なのである。

 もちろん、何度でもいうが、この4つの表象の上にあがらないものなど、
 この世界に、たくさん存在する。
 我々の知性の対象は確かにこの世界の一部に過ぎない。
 なれど、この一部に対して、人間はまだまだ理解できていない。

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● 根拠律に拠らない表象

 それでは、根拠律によらない表象というのは、あるのだろうか?
 それは存在する。
である。つまり芸術である。
 
 優れた芸術家が捉える表象は、形象の世界である。
 つまりプラトンがいうイデアの世界である。
 芸術家は、この表象(イデアの世界)を利用して、優れた作品を書き上げる。
 この表象においては、時間、空間、因果律の適用を受けることはない。

 いつ、どこで、何の理由で、などはまったく問われる筋合いがないのだ。
 時間、空間、因果律に影響せず、その物が現象の奥で本来、有する性質を
 芸術家は、まじまじと捉えるのだ。
 
 イデアの世界は、時間、空間、因果律の適用を受けない表象である。
 つまり根拠律によらない表象であるから、それらの上に現れる美は、論理的に
 判断しうる対象ではない。

 
芸術は美を扱うのであって論を扱うではない
 それゆえ学問と芸術とは、性格が異なる。

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 * もちろんある美しい対象を、科学的に解析することは良い。
    だが科学的な思考が、芸術を作り上げるのでは決してない。

     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の芸術家
        『 稲穂黄金の未来の音楽家へ
        『 稲穂黄金のプラトン




 
● 学問の適用外

 人間の知性で判断できないものはあるか?
 人間の学問の対象でないものはあるのだろうか?
 答えは、無数に存在する。
 この世に学問の対象にならないものは無数に存在する。
 その1つが美であった。
芸術は学問とは異なる

 芸術において、学問のような土台となるべき根拠はない。
 また、論理の鎖も不要である。

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● 表象ですらないもの

 根拠律の適用を受けた表象の上に昇らない物は、この世界に無数にある。
 その代表的な1つが美であった。
 芸術は、根拠律の適用を受けない表象=イデアの世界である。

 それでは、表象すら適用されないものがあるか。
 ある。それが
意志である。

 それは1つであり、あらゆる万物の奥に存在する意志。
 人間の奥にも存在する意志。
 意志は、時間と空間、因果律などの適用をうけず、さらに表象の大前提で
 ある主観⇔客観の関係すらも越える。

 人間には理解不可能である。
 
その表れに対して我々は盲目である

 太古の人々が、畏怖しまた感謝を捧げてきたのもこの意志である。
 古代の人々が自然の奥に神を見て崇めてきたのも、この意志に対してである。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の神霊家へ
        『 稲穂黄金の古代人と現代人



 
● 学問と芸術、そして信仰@

 根拠律の表象に登らないものは、人間の知性によって正しいとか正しくないとか
 判断できるような何ものかでは決してない。
 ましてや、表象にすら登る必要のないものもある。

 根拠律のルールが適応した表象以外の表象を利用するのが芸術である。
 表象すら飛び越えたものの存在、それが意志であり、つまりは信仰である。

     表象(根拠律の適用を受ける)      → 
学問
     表象(根拠律の適用を受けない)     → 
芸術
     意志(表象も不要)              → 
信仰

  学問は、空間、時間、因果律に適用された表象の上で展開されて、
 初めて根拠をもち、論理を展開できる。
 根拠律の適用を受けた表象は4つある。

 人間にとって根拠があるというのは、この4つの表象のいずれかを通っている事
 が前提である。その上で判断されて正統性があることが人間に初めてわかる。

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● 学問と芸術、そして信仰A

 芸術は、イデアの世界を見る。形象の世界である。
 空間、時間、因果律の適用を受けない表象である。
 
 であるから、芸術では特定の時間に、特定の場所、特定の要因などを
 考える事も不要だし、その必要性もまるでない。
 芸術は思考とはまるで異なる。
 芸術とは美の世界であって、論の世界ではない。

 さらに表象すら不要なものがある。
 それが信仰であり、神なるものである。
 無形のものに信じるのが信仰である。

 意志が表象に可視化された形で現れたのが物質である。
 なれど意志は、別に表象すらもいらない。特に必須のものとしない。

 太古の昔より、人々は、全ての生き物は、その奥で何か知らないが1つに
 つながっていると認識した。
 その行き着く先は、自然の奥に潜むものと同じであることを知っていた。
 それが意志であり、その意味でまた自然は、意志の表れである。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の科学者へ



 ● 自然と人間@

 自然のことでさえ、人間はその多くがわからない。
 実際に、自然を観察する自然科学の分野において、次から次へと新たなことが
 発見されるのは、人間の知性では、まだまだ自然を知っていないことがあること
 を物語る。

 我々人間は、自然の子供である。
 確かに我々、人間は、この自然で生きる為に、ある程度自然の形式に沿って
 知性を備えはしたが、だからといって自然の全てが理解できるわけではない。
 人間の知性の形式に沿って、自然があるわけではないからだ。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の神と仏と人間と
        『 稲穂黄金の世界と自然と人間と



 
● 自然と人間A

 人間は、この世界の真理を直接、理解できるのではなく、
 自然の姿を通して、この世界の真理を間接的に理解しているに過ぎない。
 つまり、自然が教えてくれているのだ。

 自然がこの世界の真理を体現しているのだ。
 自然は常に真理を隠していない。いつでも人間に真理を見せているのである。
 ただ人間がそれを理解しないだけである。
 
 未来のおいて科学が進めば、科学は自然の上に現れる様々な物に
 対する理解を深めるだろう。
 なれど、自然そのもの、自然の本質そのものを理解することはできない。

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● 重要性を増す根拠律の4つの根 = 21世紀 前半〜中盤

 ショーペンハウアーが登場してより200年以上が経過した。
 根拠律の4つの根に対する理解は、その重要度を増している。

 というのも科学において量子世界へと入り込んでからだ。
 この根拠律の根を理解していない科学者の多くは、何を根拠に考えて良いのか
 の土台が不安定になっている。

 量子世界は、我々の直覚的表象を揺さぶっているのか?
 それとも抽象的表象を揺さぶっているのか?
 それらの判断に対して、多くの科学者が混乱して始めている。

 21世紀の科学が根拠律の4つの根に対する理解を深めることになる。
 それに伴い、あらゆる学問が、見直しが図られる事になる。

 量子世界が人類に投げかけていることは、微小の世界のことだけではない。
 我々の知性がそのような性質を持つことを、表明しているのだ。
 21世紀の前半〜中盤の科学の再点検の影響は、あらゆる学問に波及する。

          動画           テキスト

     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の科学者へ
        『 稲穂黄金の究極の科学
        『 稲穂黄金の一流科学者の為の哲学



  
● 哲学学者には、哲学は難しすぎる

 根拠律の4つの根により科学を再点検する作業は、本来は哲学学者が
 行うべきものではある。なれど近代、現代の哲学学者には、その力量が
 まるで備わっていない。

 
哲学学者には、哲学は難しすぎる
 本来であれば、科学を支え、科学者の土台をきっちり固める作業が哲学で
 あるべきであるのだが、そのような力を現代の哲学学者はまるで有していない。

 いつの時代も、人類のもっとも優れた頭脳が哲学の道を進んできたが
 ここ200年近く哲学は、死に絶えている。
 まるで科学者の力になれていない。

 現在、真剣に探究し、真理に向かって進んでいる者の名は
科学者
 もちろん、その探究において、時に誤診の中に迷いこむこともあるし、
 一筋縄ではいかない。真理の探究とはいつの時代もそうであある。

 物理学者はそこそこ用心深い。常に、自然と対峙してきたからだ。
 これに対して、近代、現代の哲学学者ときたら思い付きと思い込みである。
 それが哲学なのだとさえ考えている連中もわんさといる。
 特に日本の大学哲学などは目も当てられない状態である。

          動画           テキスト

     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の科学者へ



 
● 知性の欠点の把握と、学問の発達

 人間の知性の欠点が明らかになるにつれて、その上で学問がどのように
 進むかがあらゆる分野で模索されることになる。
 
 やはりその中心には科学の影響がある。
 科学は、あらゆる学問よりも早く、その切り分けを行う。
 なぜなら、現場からの要請が常にあるからだ。

 今まで、知性と芸術と信仰がごちゃ混ぜに理解して人々でいるが、
 その相違がますます把握できる時代が訪れることで、美の素晴らしさも
 神なるもの、仏なるものを信じる信仰についても、その理解も深まる。

          動画           テキスト


 
● ユダヤ的世界観の決別

 自然の上に現れる多くの事が科学の力によって詳細に理解される時代となる。
 確かに科学は自然の上に現れる物についてはどこまでも理解を深める。
 なれど自然そのものについて、自然の本質についての理解は進まない。

 科学の成果が、ユダヤ的世界観を揺さぶる。
 この自然はどこまでも我々に深遠さを見せ付けることになるからだ。

 この世界を創造したという絶対神から贈られた聖書によって、この世界が理解
 できるという考えなどは、人間の内から吹き飛ばされることになる。
 21世紀の科学の著しい発達が、この世界がユダヤ的なものではなく、仏教的
 なものであることが明白となって進んでいく。

 絶対神からもたらされたという物語は、ますます空を切るようになる。
 科学の発展に比例して、ユダヤ的世界観は、科学に対抗するかのように
 多くの人間の頭に取り付こうと躍起になる。
  既にその兆候は見られている。
 アメリカの教育においてその兆候が現れているのだ。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来のユダヤへ
        『 稲穂黄金の賢者VSユダヤ
        『 稲穂黄金の日本とユダヤ




 
● 神の意図 VS 科学@ = 21世紀前半〜中盤のアメリカ

 現代のアメリカの教育の中に、
インテリジェント・デザイン(神の意図)が
 入り込んできた。この世界には何か知性があって、その知性の計画の方向に
 進んでいるという考えである。
 つまりは、これこそがユダヤ的な世界観である。

 これらを話す人々が話す知性の言葉の背景には、絶対者が控えている。
 つまり神の意図があるといいたいのである。

 何度もいうが、学問とは根拠律が適用された表象上に昇った物を対象とする。
 それ以外は、人間にとって知的に正しいとも間違っているとも言えない。
 人間にとって根拠があるか、ないかなどと言えないのだ。

 インテリジェント・デザインを、信仰として信じるのは、一向に構わない。
 この世界において人間の知性で把握できないものなんていくつもあるし、
 人間にとって知的に根拠があると言えないだけで、たくさんのものが
 この世界にはある。

 だから神の意図を信じようが信じまいが自由である。
 だが、それを学問である科学に導入するのは、ふさわしくない。
 神の意図は、信仰の対象であって学問の対象ではない。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来のユダヤへ



 
● 神の意図 VS 科学A = 21世紀前半〜中盤のアメリカ

 現代のアメリカにおいてインテリジェント・デザインは急速な勢いで
 科学の分野に入り込んでいる。
   いったん、ある世代がその教育を受ければ、その者達が親になった時に
 それらの者達の子供は、さらにその考えが入り込みやすくなる。
 そうやって徐々に、多方面に広がっていくからユダヤ的世界観は侮れない。

 
ユダヤ的世界観は、決して侮れない
 この数百年間、ユダヤ的世界観は負け知らずである。
 さらに言うなら、ここ2千年においても、人々の知的な力が弱まれば、直ぐにも
 入り込んできて勝利しているのである。

 ユダヤ的世界観は、いつでも迷妄と愚鈍の輩に頭に取り付くのである。
 そして人類の大部分は迷妄と愚鈍の輩である。
 どれほど優れた人々に占められていようが、時が経てば死に絶え、そうして
 何も知らない新たな命が、一から知性を養う為にユダヤ的世界観は衰えない。

 超越的なものを科学の基礎においては、いけない。
 いずれ、神の意図に沿う科学的結果のみが抽出されかねない。

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● ホーキング博士とペンローズ博士@

 理論物理学者の
ホーキング博士が近頃、この発言した。

 『 
宇宙を読み解くのに神は必要ない。 宇宙は科学で説明できる。
 彼の言いたい意味はわかるのだが、半分は正しいのだがもう半分は正しくない。
 科学でも宇宙のちょっとしたことだけが説明できるに過ぎない

      
彼の言いたい気持ちは充分わかるのだが、誤解を与えかねないだろう。
          
                       
スティーブン・ホーキング

 彼のこの発言は
誤解を与えかねない
 だからここでもう一度、科学と宗教について述べておく。
 人間にとって、根拠があり論的に判断できる物のみが学問の対象である。
 つまり、それだけが我々の
知性の対象である。

 もちろん、これらに
該当しない物は、この世界の上に無数に存在する
 神もそうであろうし、自然もそうである。
 我々、人間は自然の一面を見ているに過ぎない。

 人間の知性の範囲に入らないものなど無数に存在する。
 それらの物を正しいとか正しくないとか、判断をできる力を人間は有していない。
 科学は知性の対象であり、神仏は信仰の対象である。

 人間の知性の範囲であっても、人間の知性には欠点があり多くの誤診が
 生まれる。我々人間の知性では、自然の本性について知りえることはない。

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● ホーキング博士とペンローズ博士A

 ホーキング博士が
 科学の説明に神は必要ない! 』と言った事は、
 すこし誤解を生みかねない発言であるが、その意味は正しい。

 正確に表現するならば、根拠に根ざして論理的に展開されたものだけが
 科学の対象であるということである。そこに神は入り込まない。
 科学は、神の説明から始まる何がしかではない。

 ホーキング博士が、この世界は神の計画などではない!と強く発言したのも、
 それだけ
西欧社会では、神の意図、絶対者の思想が根強いと言う事だろう。
 この点において、ホーキング博士の発言した趣旨も充分、理解できる。
 科学の基礎に
神の意図が入り込めば、間違いなく科学は混乱する。

 ただし、ホーキング博士の発言は、やはり誤解を招きかねない。
 この世界が、科学でのみ、理解できるのだという誤解を与えかねないのだ。

 これがホーキング博士ではなく、
ロジャーペンローズ博士が説明したならば、
 慎重にかつ詳細に、誤解のない発言をしただろう。

  
現代に生存する科学者の中で、唯一、時代的探究者のレベルに入る
    
                                  
ロジャー・ペンローズ

 人間の知性などは、この世界のほんの少しのことしかわからず、また科学の
 探究領域においてでさえ、人間の知性には誤診が入り込むということを
 ペンローズ博士は重々、理解しているからだ。

 近代の優れた物理学者のニールス・ボーアやシュレーディンガー、
 ハイゼンベルクなどは、人間の知性では自然の一面しか理解できていない
 ことを良く理解していた。

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●  世界と自然、そして人間@

 自然は何ものかに創造されたのはない。
 反対に、自然があらゆるものを創造しているのだ。

 この大地の上の植物も昆虫も動物も人間も皆、自然が生み出した子供である。
 
自然は我々の母である。

 何者かが自然を創造したのではない。自然は己自身で生まれてきた。
 その名の通り、
とするだ。(みずからぜんとする)

 
世界自然とがある。
 世界は因縁因果、諸行無常の力容赦なく発揮する。

 自然は、この世界の荒波に対処しながら、大胆にそして慎重に作品を創作する。
 弛まず作品を作り続ける。その力は旺盛であり、疲れを知らない。
 自然の上で現れる諸々の生き物は、自然の懐に抱かれている。
 生まれて再び自然の中で眠り、再びまた生まれる。その繰り返しである。

 大地が蓄えた養分を利用して、花々が毎年、咲き誇る。
 それが本来の姿であったかを示すように、自然は満開に花を咲かせる。

 この世界の中で、自然は己の欲求を具現化しようと欲する。
 人間が、自然はかるあるべし思い近づくと、自然はまったく違った様相を見せる。

 虹を作り出し色を作り出したかと思えば、森の奥に佇む湖のように静かだ。
 寝てるのかと思えば、大地の下ではマグマの炎をたぎらせている。
 自然のその思いは、いつも我々、人間の先を行く。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の神と仏と人間と
        『 稲穂黄金の世界と自然と人間と
        『 稲穂黄金の未来の生物学者へ



 
●  世界と自然、そして人間A

 自然は、そう有りたいという姿を
無邪気に展示する。
 人間はそれを見て、自然は、かくあるべしと早合点する。

 昆虫よりも動物が賢くて、それよりも猿が賢く、人間が一番賢いと思い込み
 自然は一番賢いものを生み出したいと早合点する。
 自然は、それが早合点であることを直ぐに教えてくれる。

 数億年前の巨大な生き物の痕跡をこの大地に展示する。
 数億年の長きに渡り、この地上を支配した者達も、我ら人間と同様に自然が
 生みし子供である。体はどこまでも大きく、牙はどこまでも鋭い。
 知性ではなく大きさと強さこそを自然は求め、そして創造した。

 人類の発生の何千倍の長さを生き延びた彼ら恐竜も、この世界の気まぐれ
 1つで姿を消した。大地の上の植物は枯れ、植物を餌とする草食恐竜も
 姿を消した。草食恐竜も捕食する肉食恐竜も姿を消した。
 地上のほとんど全ての生きものは消滅した。

 なれどある一定の期間を経て、大地の状況が改善されるとすぐさま、
 
自然は待ってました!とばかりに新たな作品を作り上げ始めた。

 
自然は死なない!
 世界の仕打ちを、自然は一向に介さない。無邪気に新たな作品を作るのだ。

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● 自然と神と

 自然は、我々人間にとってはどこまでいっても
盲目である。
 再び、この世界の気まぐれで、この地上に生きる者達が姿を消えたとしよう。
 そうなっても自然は慌てない。
 また機会が来れば、自然は、そんな事は過去になかったかのごとく、
 新たな作品を展示し始める。

 今度は、恐竜とも人間ともまったく違う何かを自然は創造するかも知れない。
 自然は、目の数が多い生物を養うかもしれない。
 たくさんの目をもつトンボらしき生物は、その時にこう話す。
 ”
私は自然界の頂点に立つ!
 なぜなら、ほら!この目の数を見てよ!


 もしかしたら自然は、今度は足の数を増やすかも知れない。
 たくさんの足をもつムカデらしき生き物は、高らかにこう叫ぶ。
 ”私こそ地上でもっとも偉大な者だ!
 ”なぜって、自然は重力の克服にこそ意義を見出すからだ!
 ”私こそ、もっとも重力を克服した、まさに選ばれし者だ!

 はたまた自然は、たくさんの色をこの大地に増やすかもしれない。
 カラフルな鳥らしき生き物は、その色の多様さに胸を張る。そしてこう叫ぶ。
 ”
私こそ、この地上でもっとも偉大だ!”
 ”
なぜってあらゆる者達の心を誘惑するからだ!”

 自然は
無邪気に創作する
 その秘められたエネルギーを無邪気に放出する。
 それは、我々、人間にとってはいつでも盲目なる力である。
 我々、人間が真に理解できる何がしかではない。

 太古の昔から、人々は、この自然の無邪気な力に畏れ、敬い、感謝した。
 そうして人々は、その力に名前をつけた。
というその名を。

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     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の神と仏と人間と
        『 稲穂黄金の世界と自然と人間と
        『 稲穂黄金の未来の神霊家へ







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