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神との約束
 世界の民族の中で神の教えが生きているところは少ない。
その多くが仏の教えである。多くの神々が太古にこの地上から消えている。

 
● 古代に起きた大波

 人類の歴史の中で、もっとも文明に影響を与えた出来事を敢えて探せと
 いえば以下となる。
 
 
聖典をもつ教え登場したことにある。
 聖典をもつ教えの登場は世界に激震を走らせた。
 聖典の教えが世界中に広がり、人々の間に普及した事により様々な出来事
 があちこちで起こった。

 聖典の教えの起源はインドにある。
 インドではヒンデュー教の前身の教えが紀元前16〜15世紀頃(3500年前)
 に
聖典ヴェーダが登場した。(この時は書物ではなく口伝である)

 この教えを降ろした者達は、まさしく人類史上もっとも優れた者に属する。
 この教えは、後に登場するあらゆる聖典の土台になった。
 この聖典の教えが登場してから1000年後に1人の天才が生まれた。

 釈尊である。人類史上もっとも偉大な人間である。
 釈尊は、ヴェーダの教えを大成させた。つまり仏の教えを降ろしたのだ。
 釈尊によって聖典の教えは完成したといえる。

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● 釈尊に影響を受けた若者

 釈尊の教えは、世界中に広がった。
 東洋にも西洋にも伝わったが取り分け、東洋に強く広がっていった。
 釈尊の登場から500年後に、釈尊の教えを知って開眼した1人の青年がいる。
 後に西洋社会に多大な影響を与えるイエスである。

 イエスは、釈尊の教えをエジプトの僧侶から教わり、仏の教えに開眼した。
 イエスは、釈尊の存在の意味を理解した。
 そしてイエス自身が釈尊のごとく生きようと決心した。
 イエスは、間違いなく釈尊の弟子である。
 釈尊が衆生の為に命を懸けて生きたように、またイエスも人々の為に命を
 かけて生きた。
 イエスは神の子というよりは、
仏の子である。

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● 都市に生きる人々を魅了する聖典

 紀元前16〜15世紀頃に生まれた聖典ヴェーダ。
 その教えはまたたくまに世界中に広がった。
 この聖典の登場は、あらゆる地域で人々に衝撃を与えた。
 特に都市の中で生きる人々には強く働きかけることとなる。

 人々が集まり都市で暮らすことは利点を与えたが、同時に苦悩を与えるからだ。
 人々が集まると人間の内なる欲求がぶつかり合い、必ず問題が起こる。
 太古の人々のように無邪気ではいられなくなる。
 
 様々なルールを定めて文明人として生きることが求められる。
 つまり生きんとする意志を肯定し続けることは、苦悩をもたらすことになる。

 聖典ヴェーダは人間の生と死について答えた。
 そこには既に輪廻の思想が含まれていた。
 生きんとする意志の否定にこそ救済の世界があることを世に知らしめて、
 この世界の法を降ろして聖典の教えを大成したのが天才・釈尊である。
 聖典ヴェーダが登場してから約1000年後の事である。

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 ● 姿を消した太古の神々

 都市を形成し、人々の交流が盛んな国に生きる人々の間にこそ聖典の教えは
 浸透していった。
 紀元前16〜6世紀の千年間の間に、各地では太古の神々と聖典の神々が
 混在する時代となった。
 そうして人々は、聖典をもつ宗教を選び、太古の神々を放棄した。
 なぜならば、人々は文明と共に生きる事を選んだからだ。
 この期間に世界各地で太古の神々が続々と姿を消し始めた。

 自然の奥に存在する神々、生きんとする意志を素直に肯定する太古の神々が
 各地から姿を姿を消していった。
 聖典をもつ宗教を求める熱気は、その当時の大文明にも襲い掛かった。
 エジプトやペルシャなどの
大文明も影響を受けずにいられなかった。

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● 聖典をもつ宗教をはねのけた大文明

 あらゆる地域で大地の神々が姿を消した。
 その影響の余波は、大文明にも及んだ。
 
 なれど、大文明はそれぐらいでは
たじろぐことはなかった
 それだけの力を有していたからこそ、文明と呼ばれるものをもたらした。
 紀元前15世紀頃に登場した聖典の教えを、はねのけた。

 それこそが古代エジプト人、古代ペルシャ人であった。
 時代が下って古代ギリシャ、古代ローマの人々であった。

 歴史上もっとも偉大な文明に生きる人々はいまだ健在であった。
 それゆえに、そこでは太古の神々が生きていた。

 大文明に生きる人々には、また聖典の教えは不要であった。
 それらにすがらなくても生きていくことが、彼らにはできた。
 なぜならば、彼らの身近には神がおり、彼らの日常は神々と共にあった。

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● 人類史上、もっとも優れた者達

 紀元前16世紀頃に生まれたに聖典ヴェーダ。
 人類が生み出した最古の聖典であり、もっとも偉大な聖典でもある。

 インドの複数の聖人達の集まりによってもたらされたと考えられる。
 とても同じ人間がもたらしたとは思えない。
 1人1人のその能力は、あの
神あののごときプラトンに匹敵さえする。
 現代には名も伝わっていない優れた成人が複数人、集まり聖典ヴェーダを
 もたらしたと思われる。
 もちろん、この時代は口伝であり、口伝えに伝わっていった。

 この聖典を完成させた者が1000年後にインドの地に生まれる天才である。
 仏教の開祖である天才釈尊である。
 
 釈尊は、生きんとする意志の否定の方向にこそ救済があり涅槃の世界が
 あると説いた。その時、人間はこの世界と同化するがごとく、あらゆる大地の
 苦悩から離れて、世界をただ照らす者として存在する。
 釈尊は、この世界には法があることを説いて、その法の存在を知り、悟りを
 得ることが仏へと近づく方法を人類に示した。
 釈尊がインドに生まれたというのも、ヴェーダ聖典とは無関係ではない。

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 ● 多大な影響を与えた

 天才達によってもたらされた聖典は、世界に衝撃を与えた。
 古代インドの深遠な教えに触れた人々は、この聖典にまさに魅了された。

 世界各地において、太古の神々と同様の位置にまで聖典は上り詰めた。
 そうして太古の神々の地位を脅かした。

 文明に生きる人々の内面から発生する苦悩に対して太古の神々の教えは
 無力であった。それゆえに文明で生きる人々はなおさら聖典の宗教に
 魅了されずにはいられなかった。
 人々の中から太古の神々を捨てて聖典を選ぶ者達が現われた。

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● 一神教をもたらした背景@

 大文明においては、まだまだ人々に力があった。
 周辺の国家においては聖典をもつ宗教に飲み込まれていったが、大文明圏
 の人々は太古の神々を大切にした。

 なれど聖典をもつ宗教に脅威を感じた鋭敏な人々もいた。
 このままでは、いずれ太古の神々が地上から姿を消してしまうことを恐れた人々
 は少なからずいた。自分達が古来より掲げてきた神々が、聖典の宗教に
 追い出されることを強く意識した人々がいた。

 その一人がエジプトの王ファラオであった為に起こった出来事が、つまりは
 エジプトにおいてアテン神のみを唯一の神と掲げる事件であった。
 紀元前14世紀に、
アメンホテプ4世は、突如してアテン神を
 最高神として祭ることを始めたのだ。

   
聖典の宗教に押され、いずれ太古の神々が破棄されるという強い危機感が生まれ
   その対処の為に、アメンホテプ4世は
一神教へと傾いた。
                   

            
   アメンホテプ4世(=イクナートン)

 アメンホテプ4世は、それだけ鋭敏であったと言うべきだろう。
 彼は聖典の登場の意味に気付いたからこそ、太古の神々を防御する為に
 神々の中から一神を選んで最高神として崇拝の対象としたのだ。

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 ● 一神教をもたらした背景A

 もちろん、一神教化する出来事は、エジプトだけに限られた事でなかった。
 古代ペルシャ文明に上にも同じことが起こった。

 紀元前14〜10世紀にも一神教が突如、登場した。
 それを推し進めた者こそ
ザラスシュトラである。
 ザラスシュトラは、ゾロアスター教の開祖である。
 ゾロアスター教は、ペルシャのたくさん神々の中から一神のみを最高として
 崇拝に値すると述べた。世界最古の一神教とも言われている。
 (もちろん実際にはゾロアスター教には他にも神々が存在して多神教である)

 ザラスシュトラの生誕したのは、紀元前14世紀〜10世紀頃といわれているが
 エジプトのファラオ・アメンホテプ四世とそれほど、時代が違わないと推測される。

   ザラスシュトラは、いずれ太古の神々聖典の宗教に押されて、この地上から
   消え去ってしまうことを感知した。 それゆえに神々から
一神を選んで、その神に
   崇拝を限定することで
聖典の宗教に対抗しようとした

         
         
   ザラスシュトラ

 この時代のもっとも進んだ文明こそエジプトとペルシャであり、互いに人も多く
 行き来していたろうし、さらにいえばエジプトにヴェーダ聖典が届いたのならば
 ペルシャに届かないのはおかしいからである。
 というのも、エジプトとインドのつながりよりも、ペルシャとインドの方が
 地理的にも民族的にも親密度が遥かに高いからである。

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● 一神教を受け付けぬ優れた古代人

 突如として一神教が登場した古代エジプトと古代ペルシャ、その後には
 どうなったのかと言えば、人々の支持を得ることが難しかった。

 エジプトでは、アメンホテプ4世がなくなると、すぐにアテン信仰は廃れた。
 エジプトの人々は太古の神々を愛する多神教であった。
 
 同様にペルシャにおいても事情は同じである。
 ザラスシュトラの生涯において中々、信者は増えなかった。
 途中からある国の王様の支持を取り付けて、信者数を増やしたが、ペルシャに
 存在した多くの宗教の1つでしかなかった。
 ザラスシュトラは、アフラ・マズダーという神を選び、それを最高神に据えて
 その神こそが崇拝に値する神だとして、一神教化したのであるが、
 ザラスシュトラ死後、ゾロアスター教の宗教指導者は、ペルシャの太古の神々を
 再び復活させた。多くのゾロアスター教徒がそれを望んだからである。
 それゆえ、ゾロアスター教も多神教である。

 この出来事は、つまりは以下を意味する。
 古代エジプトの人々も、古代ペルシャの人々も、多神教を信じるだけの力が
 あって、別に一神教化して、聖典の宗教に対抗する必要もなかったということ。
 この当時の古代人は、それだけの力を有していた。

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● ユダヤ人の直感

 古代において突如、エジプト文明において、アテン神を掲げる一神教が起きた
 出来事に注目した人物がいる。

 精神分析学の父である
フロイトである。
 フロイトはユダヤ人である。

 彼は、古代に一神教が起こった背景の重要性を感じ取っていた。
 だからこそ以下の言葉を残している。

 『これは人類史上における最初にしてもっとも純粋な一神教の例である。
  この宗教が成立した
歴史学的ならびに心理学的な諸条件をさらに
  ふかく洞察することは、
計り知れない価値を持つだろうと思われる。』

 さらに続けてフロイトは以下のように展開している。

 『 (イクナアトンの時代のエジプトの民衆は)、
   かくも
高度精神化された宗教に耐えることができず、このような
   宗教の中におのれの欲求の満足を見いだす力を持っていなかった。』

 この展開は、いかにもユダヤ人らしい発想である。
 しかし事実は、先ほど説明したように、この反対である。
 古代エジプト人は、多神教のままでも十分にやっていけた。
 聖典の教えに頼らなくても、人々は十分に暮らせたのである。
 それだけの力を有していた。だからこそ一神教になる必要がなかった。
 
           精神分析学の父であるフロイト
           
ユダヤ人の血が古代の一神教の登場の背景に興味を持たせた
                   

                
ジークムント・フロイト

 フロイトは、これらにまったくきづかなかったがその重要性には気付いた。
 ユダヤ人の直感はなかなか侮れない。

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● エジプトの内部に留まった聖典の教え

 大文明にも入り込んだ聖典の教え。
 それでも大文明に生きる人々は、先祖が信じる太古の神々と共にいた。

 聖典の教えも人々に入り込みはしたが、太古の神々と変わることはなかった。
 大文明は、まさに神なるものが息づいていた。
 
 むろん、後に仏の教えにつながる聖典の教えも大文明の中に残った。
 それは地下にもぐったかのように一部の者達にのみ受け継がれた。
 エジプトにはそれらを受け継いだ僧侶がいた。
 エジプトにインドの教えが残ったことは、後に人類史上、もっとも有名な2人
 を人類にもたらすことにつながった。
 
プラトンであり、イエス・キリストである。

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● プラトンとイエス@
 
 紀元前5世紀、天才ギリシャ民族の中でも最高の賢人が登場した。
 
神のごときプラトンである。
 プラトンの存在は、古代ギリシャの哲学者の中でも、とびぬけている。
 古代ギリシャ人は、どちらかといえばアリストテレスが語るような論証、論理学
 に秀でる哲学が主流である。

 
    神のごときプラトン。 ギリシャの優れた哲学者の中でも異質な面も持っていた。
                    

                     
プラトン

 なれどその中にあって、プラトンはイデア論を掲げて登場した。
 古代ギリシャ人の中では、あまりにも異質といえば異質である。
 当時のギリシャ人が知っていなかった教えをプラトンは知っていた事を表す。
 
プラトンは、インドの教えを吸収している
 プラトンは間違いなくヒンデューの教えを吸収している。

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● プラトンとイエスA

 プラトンから約400年後に、1人の青年が登場する。
 その青年の名は
イエス。西洋人で彼の名を知らぬ者はいない。

 
イエスが何ゆえにイエスたりえたか
 それはイエスが、仏教の教えを真に理解したことを意味する。
 イエスは間違いなく釈尊の教えを吸収している。
 そうしてまさに、釈尊のごとく生きようとイエスは決心したからこそイエスは
 キリスト教の聖人となった。

 東洋においては釈尊の教えは世に大きく広まっていて馴染みがあった。
 なれど西洋においては、いまだに太古の神々と一神教的な神々、さらに以前
 に入り込んできて聖典の教えが交錯する時代が続いた。
 その中にあって釈尊の真の教え、つまり仏教の存在はまだまだヨーロッパに
 は伝わっていなかった。

 実際に日本に仏教が入り込んだのは、紀元後の6世紀においてであった。
 釈尊の教えを知ったイエスの存在は、西洋では別格たりえた。
 もちろん、その教えを真に理解したイエスも並々ならぬ人物であり、その愛の
 生涯は誰もが知るところである。
 
イエスは神の子ではなく仏の子なのだ。

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● プラトンとイエスの共通点

 インドの教えを吸収したプラトンとイエスには、ある共通点がある。
 共に
エジプトに行った事があるということだ。

 プラトンはエジプトでピラミッドを見ている。
 その時、プラトンはエジプトの僧侶からインドの教えを吸収したに違いないのだ。
 プラトンが古代ギリシャで異質とさえ言える面を有していたのも、インドの教え
 それもヒンデューの教えを吸収したからである。

 同様にまたイエスも幼い時にヨセフに連れられてエジプトに逃避行する事が
 マタイ伝の最初に述べられいる。
 ヘロデ王が幼子の命を狙っているから、幼い子のイエスは、エジプトの身を
 潜めることになり、ヘロデ王が死んだ後にイエスはイスラエルに戻った。
 イエスも、400年前のプラトンがそうであったように、エジプトにてインドの
 教えを知ったのである。
 さらにいえば、最先端の教えの仏教が密かに、エジプトの僧侶の間には
 伝わっていたのだ。

 イエスは間違いなく釈尊の教えを知っている。
 なぜならば、イエスの生き方がまさに釈尊のごとくであり、イエス以後の
 キリスト教のあらんとする姿こそが、まさに仏僧の姿と同様であるからだ。

 仏教が生まれたインドで仏教は衰退した。現代のインドでは仏教はほとんど
 みられない。なれど仏教のかわりにキリスト教が広く普及しているのも
 インド人はキリスト教の背後に仏教を見ているからだ。

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● 天才の民族の登場=ギリシャ

 話を前の時代に戻そう。
 紀元前の時代において、世界各地では聖典ヴェーダが入り始めた。
 世界各地の人々は聖典の教えに影響を受けた。

 なれど聖典の宗教に、まったく影響されない者達もいた。
 彼らは以前はもっと東の地域に住んでいた。
 そんな彼らは、地中海の温暖な地域を気に入り住み着いた。
 そう彼らこそ、古代の
ギリシャ民族

 あらゆる芸術が彼らからもたらされ、あらゆる学問が彼らのもとから飛び立った。
 彼らは、まさに
天才民族の名にふさわしい。

   天才民族ギリシャの活躍は古代ギリシャ、ヘレニズム、古代ローマ時代まで続いた。
       
         
ミロのヴェーナス            サモトラケのニケ  本『ルーブル』より

 彼らの性格は、温暖なギリシャと同じように明るく、温かさに包まれていた。
 古代ギリシャ人が、朗らかで陽気さを持ち合わせていたのは、彼らの目が
 捉える世界が異なっていたからだ。
 彼らの美の感覚は、あらゆる民族の中で飛びぬけていた。

 もちろん古代人は、現代の我々に比べて遥かに美的感覚に優れ、また人間
 の保有する力も高い。
 古代の人々は、神々と共に生きていた。共に生きれる力を有していた。
 その優れた古代人の中にあっても、古代ギリシャ人は別格であった。

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● 神々と共にいた古代ギリシャ人

 古代ギリシャ人はまさ神々と共に生きた。
 大地には女神ガイアが君臨し、天空にはゼウスを中心としたオリンポス十二神
 が控えていた。海はポセイドンが支配し、冥界はハデスが掌握していた。

 神々の力を借りて、彼らは建物を立て、彫刻を施した。
 古代ギリシャ人ほど、
人間の美しさに気付いた者はいない
 彼らは、まさにその美しき人間を表現した。
 類稀なる芸術の技を持ち合わせていた天才民族であった。
 
 そんな
彼らには聖典の教えなど不要であった。
 聖典の教えにより救済しなくても、彼らの芸術の技が苦悩を昇華した。
 古代ギリシャ人は、学問の力によって天高く飛翔した。
 芸術の力によって、人間の内面から起こるあらゆる苦悩を昇華したのだ。

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● 聖典の宗教が不要な古代人

 聖典の宗教を、特に必要としなかった大文明に生きる人々。
 古代エジプト、古代ペルシャ、古代ギリシャの文明に生きる人々は特に
 聖典の教えを必要としなかった。

 聖典の宗教が普及したというは、そこに住む人々が、それだけ救いを必要に
 したということを表している。神々と共にいるだけでは、癒しがたい不安が
 あったことを物語る。

 大文明にはその聖典の教えが不要であった。
 文明の中にそれらを支えるだけの仕組みがあった。
 さらに芸術の力がずば抜けていた。
 その芸術作品こそが、人々を苦悩から解き放ち、昇華させたのだ。

 古代人は、聖典の書物などまったく不要であった。
 彼らは神々と一体であり、それゆえ彼らは片手に本など持たなかった。
 
 彼らのすぐ側に神々がいた。
 彼らは、神々と共に力を合わせて神殿を築き、神々と共にピラミッドを建設した。
 彼らの神殿はまさに神々の力で建てられた。

 文明の偉大さは、そこに生きる人々の偉大さを物語る。
 この文明に生きる人々の力は強く、彼らによってもたらされた文明は
 人類の遺産である。どれほど年月を経ようが人類は彼らを忘れない。

 古代の文明も他の文明と交流し、また国家の利益と威信をかけて戦争も
 行ったが、それでも互いの文明の偉大さは理解していた。
 文明の中で生きた人々は、太古の神々と共に生きた。
 古代人の叡智は、国中の隅々までいきわたった。

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● 居場所を失った神々

 偉大な文明圏はおいては、人々はその文明の力によって、聖典の宗教を
 必要とせずに、聖典の宗教に対抗できたが、文明圏に属さないその他の国々
 では聖典をもつ宗教が大きく入り込んだ。

 それらの地域では、人々は太古の神々を捨てて聖典をもつ宗教を選択した。
 聖典の宗教の流入によって、その位置を奪われた太古の神々は拠って立つ
 べき
居場所を失った

 都市の中で生きる多くの人々の悩みを癒し、生きるとは何かの疑問に答えて
 くれたのは聖典の教えであった。
 聖典の宗教は、ますますその勢力を広げ、太古の神々は完全にその国家
 から追い出されることになった。

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● 大文明の衰退

 聖典の教えを寄せ付けなかった大文明においても、聖典の教えは徐々に
 広がり始めた。

 紀元前10世紀を過ぎると、大文明のエジプトに衰退の兆しが出てきた。
 二千年の長き渡り世界の文化の中心であり、人類の歴史そのものとさえ
 言えるエジプトが衰退し始めた。

 神々と生きていたエジプトの民も、その神々だけで生きれる時代では
 なくなっていた。古代エジプト人の力も大幅に落ち込んだのだ。
 人々の力が失われ、それにより文明の力が目に見えて衰え始めると、文明の
 仕組みによって解消されてきた人々の不安が解消されずに顕在化し始めた。
 人々は、聖典の教えに興味を示し始めた。

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● 古代ローマに結集した神々@

 文明の中の文明のエジプトが衰退を始めた。
 さらにもう1つの世界を代表する文明であるペルシャも、アレクサンダー大王に
 よって完膚なきまでに叩き潰された。
 またギリシャも力を弱めていた。

 神々の三大産地というべき古代エジプト、古代ペルシャ、古代ギリシャが
 衰退し始めると、それらの国にいた神々は、人々から支持を失った。
 
 そこに人類史上最高の文化を築き上げた古代ローマが登場した。
 古代ローマは、神々を愛する多神教の国家である。
世界中の神々は居場所を求めてローマに殺到した

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 ● 古代ローマに結集した神々A

 反対に言えば、古代ローマを最後にして、聖典の宗教に正面から
 対抗できる国家はもはや、どこにも存在していなかった。
 ローマ以外の国々において、人々は聖典の宗教を支持しており、太古の神々
 にはもはや返るべき国を失っていた。

 ローマには様々な神々が集まり、人々は神とともにいた。
 ローマの発展を我が事のように喜ぶ神々。
 古代ローマが戦をするたびに大地の神々はローマを後押しして連戦連勝を
 もたらした。国内には天上神々の微笑みが降り注いだごとくに、ローマの都市
 はどこまでも美しかった。
 むろんローマの繁栄の背後では、聖典の教えが世界中に広がり、太古の
 神々は、さらに居場所を求めてローマに結集した。
 神々は、このローマが滅びれば自分達神々も滅びることを理解していた。
 その緊迫感ゆえにこそ、ローマには異様な熱気が生まれた。

 ローマは人類にとって忘れえぬ
永遠の都となった。

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● 古代ローマの衰退

 紀元前から紀元後に入り数百年、偉大なローマにも陰りが見え始めた。
 ローマをローマたらしめてきたローマ人自身の力が落ちてきた。
 どのような偉大な文明であっても、その文明を真に理解する人間が
 いなくなれば文明は衰退し、滅びる。

 ローマ末期になれば、ローマ人の目の前に移る神殿や彫刻などの意味が
 もはやわからなくなっていた。違和感さえ持つ者達も生まれ始めた。

 これらの彫刻が、自分達に何の利益があるのかさえと考える者達も生まれた。
 彼らの中には、自分達のご先祖が作った宮殿や彫刻、芸術作品などの価値が
 まるでわからない人々が、多くなりつつあった。

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● 古代ローマの変化

 世界各地の神々が居場所を追われ、ようやく辿り付いた永遠の都ローマ。
 なれどそのローマにも陰りが差してきた。
 人間の力が弱り、神々と共に過ごせる人々は減少した。
 日常に神を見、神々の目で彫刻を作る者達もいなくなった。

 知性は衰え、学問の発展もおぼつかなくなった。
 あらゆる場所で、ローマ人ををローマ人たらしめた洞察力が低下した。
 それゆえ様々な問題があちこちで噴出し始めた。
 以前ならばそれらを笑って許せたローマ人に、もはやその余裕はなかった。

 神々を愛した古代ローマ人は、都市に生きていく上で多くの不安が生まれた。
 古代ローマ人の中から、聖典の教えを信奉する人々も多く出始めた。

 そしてついに紀元後313年、コンスタンティヌス1世はミラノ勅令を出して
 キリスト教を公認された。さらに紀元後380年、聖典の教えのキリスト教が
 ローマ帝国の国教に定められた。
 これは太古の神々を掲げていた古代ローマが既に、太古の神々とだけ共に
 入れなくなったことを如実に物語る。

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 ● 古代ローマの滅亡の要因@

 古代ローマ帝国の衰退の真の理由とは何か?
 
 もし具体的な理由を探せといえば、あれも言えるし、これも言えることになる。
 個々の政策のまずさや失敗を探せばたくさん見つけるだろう。
 それらは確かにローマを衰退させた要因の一つ一つであろう。
 具体的な要因は以下のようにいくつも上げることができる。

   @ 
帝国内の自由民にローマ市民権が与えられる(紀元後212年)
   A 
ローマ帝国を4人で統治する(紀元後293年)
   B 
聖典の宗教であるキリスト教を公認する(紀元後313年)
   C 聖典の宗教であるキリスト教を国教とする(紀元後380年)
   D 
西ローマ帝国と東ローマ帝国の分割統治(紀元後395年)

 まず紀元後212年に帝国内の自由民にローマ市民権が与えられたことにより
 人々は市民になる為に課せられた数十年に及ぶ兵役が免除された。
 ローマ市民になりたい人々が命をかけて兵役についたことが、ローマの軍事力
 を保たせたが、それがなくなり軍隊に志願する人が少なくなった。

 ローマ帝国を4人の代表者に分けて統治する(テトラルキア)政策が取られた。
 これが後に西ローマと東ローマへと分割統治する遠因になる。

 キリスト教を公認にしたことは特異すべきことである。
 太古の神々と暮らしてきた古代ローマにとってローマをローマたらしめること
 が失われていることを物語る。

 そして古代ローマがキリスト教を国教した時、そこにあるローマは以前の
 ローマとはまるで違う姿になっていた。
 この時代のローマの彫刻は中世的な面影があちこちに出ていて
 以前の神なる彫刻とは似ても似つかないものになっていた。

 西ローマと東ローマに分割されて統治したことでやはりローマの滅亡に
 つながったとも言える。

 もし
具体的な理由を探せば、上記のようにいくらでも探せる
 なれどここでもっとも大切なことは、何の政策が原因なのかではなく
 
なぜその政策を取らなければいけなかったのか!?である。
 なにゆえに、その政策を取らざる得なかったのか?が重要なのだ。

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 ● 古代ローマの滅亡の要因A

 ローマの衰退、ローマの滅亡を考える上で大事なことは、その原因となった
 政策を論じることではなく、
なにゆえその政策を取らざる得なかったか
 を論じることにあるのだ。

 
なにゆえローマの自由人に無条件で徴兵なしで市民権を与えざる
 得なかったかを考えることが重要である。

 
なにゆえ4人の代表者にローマを分割で統治せざる得なかったかを
 考える事が重要である。

 
なにゆえ聖典の教えのキリスト教を公認にせざる得なかったかを
 考える事が重要である。

 なにゆえ聖典の教えのキリスト教を国教にせざる得なかったかを
 考える事が重要である。

 
なにゆえローマを東と西に分割して統治せざる得なかったかを
 考える事が重要である。

 そうすれば答えは、自ずから見えてくる。
 これらに共通するのは以下である。

 古代ローマ人をローマ人たらしめた力が失われた
事を如実に
 示しているという事だ。

 全自由人に徴兵なしで、ローマ市民にせざるえなかったのは、そうしなければ
 ローマがもたなかったからである。
 ローマ人自身の力の低下がはげしくて、あらゆる制度が維持できなくなった。 
 4人の代表者によってローマを分割して統治させたのも1人の皇帝では
 広大なローマをもはや、治めきれなくなったからである。

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 ● 古代ローマの滅亡の要因B

 さらにキリスト教を国教にしたことは、既にローマが
深刻なまでに
 文明の力を失いつつあることを示している。

 古代ローマ人が、ローマたらしめた力を失った事により、あらゆる方面から
 不具合が生じていた。
 社会制度における問題、法律の解釈や、出来事の対処など。
 どのような時代にあっても、それらを維持するのは、そこに生きる人間の力
 に掛かっている。
 古代ローマ人が、本来の力を失った為にあらゆる所から問題が噴出した。
 古代ローマ人の苦悩は増大し続けていた。

 今までは文明がある程度、人間の苦悩を解消させてきた。
 
文明にはそれだけの仕掛けがあり、仕組みがある
 なれどその仕組みが機能しなくなれば、途端に人々の内面から
多くの苦悩
 生まれてくるのは、必然の帰結である。

 当時のローマ人は、太古の神々だけでは、内面の苦悩を取り除くことが
 できない事を痛感した。
 それゆえにこそキリスト教がすさまじい勢いでローマ中に広まった。

 ローマを国教とする直前にも、ローマの為政者によってキリスト教は何度も
 迫害を受けている。
 なれどもローマ人が聖典の教えを強く望んだ。
 聖典の宗教=キリスト教によって、人々の内面にある多くの不安を解消した。

 皇帝コンスタンティヌスの御世にキリスト教を公認にせざる得なかったのは、
 
それだけの背景があったということだ。

 もはや大帝国ローマの領土を一国で維持することなど、できない相談に
 なりつつあった。帝国内部から、既にたくさん問題が噴出していた。
 広大な領土を一国では維持できなくなっていた。

 帝国内のあらゆる制度や仕組みがギシギシと音を立てて崩れかかかっていた。
 それらは、ローマ人の力によって本来は支えられるものであった。
 なれども古代ローマ人は、その力の大半を失っていた。
 そして紀元後395年、大帝国ローマは東西に分割されることになった。

 何かの政策を取ったことの要因によってもたらされる意味以上に、その政策
 を取らざらなければならなかった背景の方が重要なのだ。

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● 文明と人間

 文明をもたらすものは人間の力である。
 文明を運営・維持するのも人間の力である。
 文明をより良く活用し、機能させるのも人間の力である。

 それには、その文明に対する人間の真の理解が必要である。
 その文明は、そこに生きる人々に真に理解されてこそ生きる。
 そこに生きる人々が、その文明の意味が理解できなくなれば、文明も傾く。
 文明は、人間に理解されてこそ存続することが可能である。

 古代ローマが滅亡した真の原因は以下である。
 
古代ローマ人がローマの偉大さを理解できなくなったことにある。
 文明はその理解者を失って滅びるのである。

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● 人類と神々と文明

 太古の人々は、自然の奥に存在する神なるものを素直に敬った。
 世界各地で大地の精霊に感謝し、天上の神々と共に祭りを楽しんだ。
 そのような痕跡を世界中で発見できる。

 人々は歌い、踊り、神と共演した。
 確かに太古には神と人は共にあった。

 なれど人々が共に住み、都市化してくると様相は異なった。
 人間同士の内から問題も多く発生した。
 都市が何個も集まり、国家が出来るとなおさらであった。
 確かに国家には膨大な富が集まり、人々の欲心を誘惑することも多くあった。

 だからこそルールが必要になった。
 人間が多く集まり、人間の善意にのみ期待するには所詮、無理があった。
 その為にルールが作られ、明文化することで人々の内面から発生する様々な
 問題を抑えることに成功した。
 その絶え間なる経験が、後に文明と呼ばれるものの基礎となった。

 人間には確かに文明が必要である。
 生きんとする意志を素直に肯定することは過去のものとなった。
 人間が集まって暮らすには、ルールが必要であり、それが文明をもたらした。
 人間の内に問題があり、欠点がある。
 それらの欠点を含めて人間である。
 人々は、その欠点と共に歩んできた。人々は文明の発展を願った。

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● 文明と宗教

 人間の欠点を解消する2つの重要なアプローチがある。
 その1つが文明である。これは外からのアプローチである。
 都市や街に様々な仕掛けが施され、また社会制度などの仕組みも充実し
 人間の欠点を抑制することが可能となる。

 もう1つが宗教である。これは内からのアプローチである。
 人間の内部に発生する不安や苦悩を解消する力を宗教はもつ。
 ここでいう宗教とは聖典をもつ宗教である。

 もう少し簡単にいえば、人間にかかわる様々な問題に対して目に見える形で
 抑制するのが文明である。
 目に見えない形で抑制するのが宗教である。

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 ● 芸術と聖典の宗教@

 人間の内面の苦悩を取り除き、解消することが聖典の宗教の役目である。
 太古の神々の教えとは、自然の奥にある生きんとする意志を肯定し、そこに
 喜びを感じることにある。
 なれども聖典をもつ宗教は、その生きんとする意志の及ばない世界、
 生きんとする意志の否定の方向にこそ救いがあり、救済があるのだと説いた。
 聖典の宗教は、天才釈尊によって完成された。

 生きんと意志の否定の方向にこそ救済の世界(=涅槃)が存在し、
 究極善としてその世界に存在するのが仏である。
 世界に存在する聖典をもつ宗教が掲げる神とは、本来は仏のことである。

 キリスト教をもたらしたイエスもまた釈尊の教えに素直に従っている。
 (キリスト教は、ユダヤの神話を受け継いだ為に内部に矛盾を抱えている)

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 ● 芸術と聖典の宗教A

 聖典の宗教は、確かに人々を苦悩から救済する。
 なれども、この力は聖典をもつ宗教だけではない。
 芸術も、この力を有している。

 真の芸術作品は、イデアを捉える。
 人間は、優れた芸術作品に目を奪われるのは、そのイデアの世界を感じ取る
 為である。これらの芸術作品を提供できる者こそ、つまりは天才である。
 優れた芸術作品に触れると、人間は生きんとする意志の衝動から離れ、
 単なる認識者となる。客観的な存在へと移行し、生きんとする意志から
 その刹那、解放される。これこそ仏教のいう涅槃の世界をほんの一瞬体感
 した事になる。
 
 古代人には、この芸術の技が存在した。
 現代の人々では、想像もできない程の圧倒的な力量を兼ね備えていた。
 ゆえに
古代人には聖典の宗教は不要であった。

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● キリスト教と仏教@

 生きんとする意志の及ばない世界=涅槃。
 その涅槃に入ることこそが、あらゆる苦しみを避ける方法を説いた天才こそ
 が天才・釈尊である。人類至上、もっとも偉大な人間である。

 自然の意志を肯定することではなく、否定すること、無視すること、その方向に
 こそ彼岸の世界があり、涅槃があり、仏が存在する。

 仏教の僧は、食を断ち、異性との交わりを絶った。
 もちろん本当に飲まず食わずならば死んでしまうので質素な食事を心がけた。
 動物の肉は食べずに、穀物、野菜、豆類など食した。
 欲心や功名心を遠ざけて、命を懸けで仏の道を進んだ。

 釈尊の教えを知って開眼したイエスの教えを受け継ぐキリスト教も同様である。
 修道院の神父さんやシスターは禁欲の生活を心がける。
 シスターは異性とは交わらず、質素な食事を心がけ、心を落ち着かせて
 日常の日々を祈りと共に過ごす。仏教の尼さんの生涯と瓜二つである。

 仏教の僧とキリスト教の修道士の生涯は、様々な儀式は異なるが、その意味
 しているところはまったく同じである。
 キリスト教と仏教は、兄弟である。

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 ● キリスト教と仏教A

 戦国時代に日本に上陸したキリスト教の宣教師は、日本人が神と敬っている
 対象が、キリスト教徒が敬っているゴットとは、似ても似つかない事を
 早い段階で理解した。

 さらにいえば仏教の仏こそが自分達のゴットに近いことを感じ取った。
 仏の最高位にある大日如来こそがゴッドだと理解した宣教師もいた。

 むろん、キリスト教はユダヤの血を受け継いでいるから、仏教との明確な違い
 を感じて、仏教の仏も、自分達のゴットではないと考えるようにはなったが
 それでも仏教に対して親近性を感じた。

 仏教では、この世界を創造した神などという考えは邪教の一部とさえ見なして
 いるから、その点においてユダヤの血を受け継ぐキリスト教と仏教とは
 どうしても、相容れぬ一面があることも確かである。

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● キリスト教の内部の衝動

 キリスト教がその内部で、さまざまな宗派によって対立し、時に戦争までに
 発展するのは、
仏教の教えとユダヤの教えが反目しあうからである。

 キリスト教にはユダヤ教から離れたい目に見えない強い
衝動を抱えている。
 この衝動がキリスト教内部に不和をもたらし、時に大きな争いをもたらしてきた。

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● 聖典の宗教の大勝利@

 紀元前から紀元後になると顕著に世界に現われたことがある。
 太古の神々が滅んで、聖典の宗教が勝利をおさめたことである。

 世界中で聖典をもつ宗教が勝利を収めた。
 圧勝と言える程である。

 このことは2つの意味をもつ。
 まず1つは人々が文明と共に生きることを選択したこと。
 文明の発展を選ばすに、神々と生きることを選択し、未開の森へ進んだもの
 達も少数ながらいたのである。

 そしてもう1つは、人間の力が大幅に失われたことである。
 古代の人々は、優れた芸術の技を保有していたからこそ、聖典の宗教は
 不要であった。
 現代の人々が片手に聖書を持つことなど、古代人は決してなかった。
 古代人も学問を愛し、本を愛したが、だからといって、常に本を片手に抱える
 ことなど有り得ない。どれほど優れた本が登場しても彼らは、それを愛したが
 だからといって、歩くときは、手ぶらで歩いた。
 それこそが人間の本来の姿であるということを示していた。

 近代、現代の人々、とりわけ宗教信者が片手に聖典や経典をもたなくては
 不安を感じるようなことは、つまりそれだけ人間の力が弱まっている事を表す。
 現代の人々は、神々と共に生きていないのだ。
 古代人は神々と生きていたということである。

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 ● 聖典の宗教の大勝利A

 
聖典をもつ宗教は滅ばない と言われる。

 なるほど、現代において世界でもっともその勢力を広げているのは
 仏教・キリスト教・イスラム教であり、皆各自、聖典を保有している。
 その他にもヒンデュー教、ユダヤ教など聖典を保有している。
 
 聖典をもつ宗教が滅びないのは、人間が文明と進むことを選択したことと
 密接なかかわりがある。太古の神々を選択して、未開の森へ入った少数部族
 においては、聖典を持つところはほとんどない。
 言い伝えでその神なるものが漠然と伝わっているに過ぎない。

 多くの人類が
文明の中で生きようと決心したからこそ
 聖典の宗教は勝利した。
 古代の文明が滅びて、最後の神々が集う偉大な古代ローマ帝国が滅びると
 聖典をもつ宗教の大勝利は、確実のものとなった。

 人々は、太古の神々が消滅しても、文明が発展する方向を選んだ。
 文明の発展は、人間の内面から多くの苦しみをもたらした。
 それでも人々は、文明の発達を望み、共に歩んできた。
 それゆえにこそ、また人々には聖典の宗教が必要となった。
 人々が都市に住み、文明を有する限り、聖典の宗教は確かになくならない。

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● 聖典の宗教と文明の衰退

 聖典の宗教が
強くなりすぎる事は、ある1つの大きな問題も生み出した。
 文明の中で生きる人々の苦しみを救済した聖典をもつ宗教であるが
 聖典の教えが、多くの人々に浸透すればするほど、文明は衰退を引き寄せた。

 なぜならば、聖典の宗教は、人々の内面に発生した苦悩を解消し、人々を
 救済するが、聖典の宗教は目の前にある全てのものが流れいくものであり
 それには本当の実態がないとする考えを持っているからだ。
 その考えによってこそ、救済があるのだ。

 それゆえに、聖典の教えが人々に深く入りすぎると文明そのものを衰退させる
 要因にもなった。
 文明の衰退は、世界各地で頻繁に起こった。

 中世ヨーロッパの衰退がそれを強く物語る。
 中世ヨーロッパにおいて、文化が衰退したのは、つまりはそれだけ当時の人々
 がキリスト教の教えに真剣に向き合ったことを物語る。

 ヨーロッパの人々が、キリスト教の教えに埋没すればするほど、ますます
 ヨーロッパの文化は衰退することになった。

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● 為政者 VS 聖典の教え

 時の為政者は、聖典の宗教の必要性は感じながらも、時にそれを遠ざけた。
 当然といえば当然である。
 
 若く優秀で力も強い若者の多くが、仏教やキリスト教に帰依するような事は
 国家の軍人を強くする上では、どれほどマイナスかは語るまでもなかろう。
 
 さらにいえば、国家は多くの優秀な政治家や役人を必要ともした。
 真に優秀な若者が、仏門に入るのは、国家の損失以外の何ものでもなかった。

 それゆえにこそ、意欲的な為政者が現われると露骨に聖典の宗教を排斥した。
 中国において、仏教が入りすぎて国力を弱めていることに気付いた皇帝の
 多くが仏教をたびたび排斥した。
 その中でも、もっとも強烈な廃仏毀釈を行った北魏の太武帝、北周の武帝
 唐の
武宗、後周の世宗の4人の皇帝による仏教に対する大弾圧である。

 世に知られる”
三武一宗の法難”である。

 時の為政者は、聖典をもつ宗教の必要性は認めていたが、聖典をもつ宗教
 はお嫌いであるものが多く存在した。
 もちろん、表向きは保護しているように見せていてもある。

 むろんそこらへんのことは、宗教指導者層も良くわかっていて、国家の衰退の
 要因にならぬように、人々と聖典の宗教にも距離を持たせた。
 また国で出来ない役割をカバーすることに徹しようともした。
 
 時の為政者も、聖典をもつ宗教が民衆に強い影響を及ぼすことを理解して
 いたからこそ、自らもその熱心な信者となり(=みせかけて)、聖典の宗教の
 力を十二分に利用した。
 時の為政者と、宗教指導者は、互いにもちつもたれつの関係を築いてきた。

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● 聖典の宗教が消えてしまった国

 聖典の宗教と国家とのもちつもたれる関係が維持できなくなると
 聖典をもつ宗教は追い出されることになった。

 それゆえインドでは仏教は消えたし、また中国でも仏教が消えることになった。
 仏教が盛んであった中国においてもそれを感じ取った優れた仏僧がいた。

 
恵果である。
 それゆえに恵果は、仏教の教えを全て日本の学僧の1人に授けた。

 日本ならば仏の教えが永遠に生き続けるだろう事を恵果は誰よりも
 直感してしたし、理解していた。
 むろん、その日本の学僧こそが、
空海という天才であればこそ恵果は
 もてる仏の教えを空海に伝授した。
 短期間に空海は、恵果から全てを受け継いだ。
 それを見届けた恵果は安らかに仏のもとへと旅立った。

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● 西洋にキリスト教が残った理由

 それでは、ないゆえに西洋では聖典の宗教であるキリスト教が廃れずに
 残り続けたのであろうか?
 大きくは2つなのだが、細かくいうと3つの要因とある。

 1つは西洋人がキリスト教の教えに熱心ではないこと。
 もう1つはユダヤの血を受け継いでいること。
 (これが科学と資本主義を生み出す遠因になっている。)
 最後の1つが実際に、科学と資本主義が発達したことである。

 西洋人は、キリストの教えに熱心に取り組んでいるように見えるが、
 近代に入ってからは見かけとは裏腹にそう熱心でもない。
 教会のミサに行く者も、礼拝しにいく者も、そこで祈りを捧げるものも多いが
 本当に神を信じているものはそれほど多くない。
 
そう見えることと、そうであることは大きな違いがある。

 さらに言えば、キリスト教にはユダヤの血が流れていて、それゆえにこそ
 科学的思考が生まれる事にもつながったことである。
 そうして実際に近代科学が生まれ、産業革命に結びついたことは大きい。
 またユダヤ的思考は、資本主義を生み出すことにも密接に関係している。

 聖典の宗教が入り込みすぎれば、国家を衰退させる要因にさえなるのだが
 科学の発展と資本主義の普及がそれらの衰退をカバーしてヨーロッパの国々
 を強国へと押しあげた。
 この影響は非常に大きい。

 今後21世紀、22世紀においてヨーロッパが科学の優位性を保てずに
 さらに資本主義におる経済的な優位性も確立されなければ、ヨーロッパの人々
 がキリスト教に入り込みすぎば、時の為政者との間がギクシャクした関係
 が生まれることになるのだ。
 近代のヨーロッパにおいて、あれほどキリスト教が力を保持できたのも、
 その対極に存在する科学と資本主義による国家への貢献が大きいのだ。

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● 日本に仏教が残り続けた理由

 聖典をもつ宗教、つまり仏教が日本において、残り続けたことは、特に特記
 すべきことである。
 この詳細は『日本の対処』の項目で詳細に語ることにするが
 簡単にいえば
神なる教えの神道があったからである。
 同様に神道が消えずに残ったのは、
仏教が存在したからである。

 日本の特記すべきことは、
神仏習合ではない
 神仏習合は、聖典の教えが入り込んだ世界各地で起きている。

 そうではなく、日本の特記すべき点は、
 
神道は本来の神道の形を保ち、仏教は仏教の真髄を残している事だ。

 もちろん日本においても神仏習合はたくさん存在した。
 それは民衆の上にこそ存在したのだ。
 民衆は神仏の習合を好んで、仏と神を大切にした。

 日本の優れた点は、その上で神道は神道本来の姿で有り続けた。
 さらに言えば、仏教は多くの戒律を無視はしたが、釈尊の真髄は残し続けた
 ことにあるのだ。この視点こそが重要である。

 この意味が理解できなければ、日本の優れた者達による偉大な業績と
 それに伴う圧倒的な洞察力を、まるで理解できないからである。

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● 宗教の普及と様々な問題

 聖典をもつ宗教が、人々の日常に入り込みすぎると大抵、さまざまな問題を
 引き起こすことになった。
 なぜなら、人間などそれほど立派なものではないからである。

 信仰に生きれる人は少ないのである。
 それが国家を挙げて上から下までも信仰に熱心になると、それらの信仰とは
 無縁な人々にとっては窮屈極まりなくなり、その反動で悪が顔を出すようになる。
 
 国家をあげて皆が、聖典をもつ宗教に傾き始めると、重要なのは信仰となり
 今まで、人間の中の欠点や悪を抑えてきた文明が軽んじられることになる。
 文明の歯止めが取れた国家は、問題が噴出する。

 それがまさに現実になった。
 中世ヨーロッパでは、多くの人々は確かに信仰に生きた。
 信仰に生きて、信仰の一生を送り、信仰に包まれて死んだ熱心な人々も
 たくさん存在した。
 なれど、その反面、文明の力は弱く、
悪は野放しにされた。

 中世ヨーロッパでどれだけの悪が生まれ、残酷な事が行われたかは、
 ヨーロッパに生まれた者達なら誰でも知っているだろう。
 真剣に真理を探究する科学者達は、それが聖書の内容と違うというそれだけ
 の理由で牢に監禁され、宗教裁判をかけられた。
 自分の誤りを認めなければ死を先刻させられた。

 16世紀を代表する知性、ジョルダーのブルーノは、それゆえに火刑で殺された。
 真摯な探究者バニーニは、舌を抜かれた上で、火刑によって殺された。

 神の名のもとに十字軍という軍隊を組織し、中東にいる人々を惨殺した。
 異教徒は、同じ人間ではないという信念によって組織された十字軍の残虐ぶり
 は良く知られる。

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● 古代人と中世、近世との大きな違い@

 近世のヨーロッパでは、白人は有色人種、また黒人を動物に近い何ものかで
 あると認識し、見下していた。
 中世においては、異教徒は同じ正常な人間ではないとさえ考えていた。
 自分達の抱える神を掲げない者は、頭がおかしい者達であり殺して構わないと
 さえ考えていた。
 それゆえ十字軍の残虐ぶりはすさまじく、凄惨を極めた。

 確かに古代の人々も様々な戦争をした。
 だが古代人と中世、近代の人々において大きな違いがある。

 古代人は、敵同士であっても同じ人間であることは当然理解していた。
 また古代人は、目の色や肌の色、髪の色の
体の単なる違い
 によって相手を見下すことなど、まったくなかった。

 それらは天の神々が与えたものであるからこそ、それを卑下することは
 つまりは天と大地の神々を侮辱することにつながる。

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 ● 古代人と中世、近世との大きな違いA

 古代人が気にしたのは、それが
尊敬に値するかどうかである。
 その学問が尊敬に値するか、その芸術が尊敬に値するか、
 その教えが尊敬に値するか、その生き方が尊敬に値するか、
 その国家の有り様が尊敬に値するかである。
 それこそが尊敬の対象になるかどうかの重要な基準であった。

 だから儲けることばかりに執着するカルタゴ人は、古代ローマ人からとても
 嫌われた。もちろんそんなカルタゴにだって名将ハンニバルがいる。
 何度でもいうが、もちろん古代人も多くの戦争をした。
 
 相手の兵士も倒して殺した。
 なれども敵国の兵士が同じ人間であることは、当然、理解した。
 敵国の兵士だからといって、残虐に扱えば、人道にもとることは古代人の
 多くが理解していた。

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● 生きんとする意志の肯定と否定

 文明史を語る上で、外せない点こそが
生きんとする意志の存在である。
 その意志の肯定と否定の間で、人間はたえず揺れ動いてきた。

 都市に暮らし始めた人々の欲求がぶつかりあり、多くの問題が顕在化した。
 文明の中で人間が暮らすことは、多くの苦悩がもたらされた。

 苦悩ゆえにこそ人類は救いを求めた。
 そうして聖典をもつ宗教が誕生した。

   生きんとする意志      
肯定 ⇔ 否定
 -----------------------------------------------------
   人間の欲求     
素直に    ⇔  禁欲
   理想世界       
自然     ⇔  苦のない世界(=涅槃)
   神           
太古の神々 ⇔  聖典の宗教
   理想像        
神なるもの  ⇔  仏なるもの

 世界の歴史をつぶさに眺めれば、生きんとする意志の肯定と否定との間で
 人間が常に揺れ動いたことがわかる。

 世界中の人々が影響を受け続けてきた。
 つまり人間が常に揺れ動いてきたからこそ文明のありようも影響を受けてきた。

 人間は、生きんとする意志の肯定と否定の間で揺れ動いてきた。
 その苦渋の選択が、人類の歴史に大潮流を幾度ももたらしてきた。

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● 歴史の大潮流

 再度述べる。
 歴史の潮流に決定的な影響を与えたものは、自然の奥に存在する生きんと
 する意志に対して、人間がその意志の肯定と否定の間で揺れ動いた事にある。

 生きんとする意志
肯定こそが、太古の神々の教えである。
 生きんとする意志
否定こそが、聖典の宗教の教えである。

 人類は、この2つの間で揺れ動いてきた。
 いかなる文明も、この2つのバランスの上に立っている。
 もちろん、ある国には神なるものが失せてしまったところもある。
 聖典の教えしか残っていない国もある。
 なれどもまた我々人間の内に神なるものは、有り続ける。
 我々はまた自然の子供である。

 壮大な文明史を語るとは、この意志の肯定と否定の2つについて語る事になる。
 この上で人間は、揺れぶられてきた。
 このバランスが崩れた時に、文明も大きく影響を受けた。
 文明が発展することもあれば、衰退したこともある。
 宗教が人々に熱烈に求められることもあれば、遠ざけられることもあった。

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          稲穂黄金の未来の文明へ


 
● 神々との約束@

 世界各地に、聖典の宗教が入り込んだ。
 芸術と学問の力によって、聖典が不要であった偉大な文明においても
 最終的には文明が衰退することで、聖典をもつ宗教がその地域に根付いた。

 古代エジプトも古代ペルシャも古代ギリシャも、既にこの地上はない。
 最後の砦であった古代ローマも、滅びるときがきた。
 古代ローマ人が本来の芸術の技を忘れ、本来の力を失い聖典の教えで
 あるキリスト教に頼らざるえなくなった。

 世界各地に存在した太古の神々は続々と姿を消した。
 もちろん、太古の神々と共に生きることを選択した者達はいた。
 それらの者達は、文明を捨て未開の森へと消えていった。

 文明が届かない未開の地で定住した者達は、太古の神々と共にいた。
 神なる教えは、幾千年と静かに受け継がれた。
 21世紀の現代においても、未開の森に人々は神なるものを祭る。
 その形は、地域ごと、部族ごとに千差万別であるが、太古の神々を祭っている。

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● 神々との約束A

 文明の発展を放棄せずに、太古の神々と共に生きんとした者達もいる。
 自然の奥に存在する神々と約束をした者達がいるのだ。
 その者達は、神々と以下の3つの約束をした。

   @ 
自然の奥にある生きんとする意志を肯定すること
   A 
聖典の宗教に埋没しないこと
   B 
文明の発達を喜び、文明と共に生きること

 どれほど文明が発達しても、生きんとする意志の存在を忘れぬこと。
 文明を捨ててはならないこと。
 聖典の教えを取り入れても良いが、それに埋没せずに、生きんとする意志
 を肯定する意味を忘れないこと。
 人間が、自然の子供であることを忘れないこと。
 これらの約束を神々交わし、数千年間生きる者達がいる。

 ユダヤと日本は、2000年以上の時を、このことを守り続けている。

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● 全てはここから始まった

 世界の文明は、太古の神々と聖典をもつ宗教との間で揺れ動いてきた。
 人間自体がその2つを常に求めてきた。

 すべてはここから始まった。
 人類は、生きんとする意志の肯定と否定の間で揺れ動いた。
 文明が始まってから、特にその間で揺れ動いた。
 世界中の人類が歩んだ歴史も、これと密接に関連する。

 このサイトで詳しく述べたいことは、
 
神々と約束をした者達の歩みについてである。

 生きんとする意志の否定にこそ人類は救いを見出した。
 多くの国々で聖典をもつ宗教に傾いた。

 しかし、そんな中にあっても太古の神々を捨てずに進んできた者達にこそ
 スポットを当ててこのサイトでは語ることにする。
 
神なる教えをひたむきに守り続けた者達に焦点を当てる。

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● 神々と約束した者達@

 神々と約束した者達がいる。神々と共に歩んだ者達がいる。

 文明を捨てて森の中に消えるのではなく、文明と共にありながら、それでいて
 神なるものを携えていき続けて者達がいる。
 彼らは数千年、神々との約束を守り続けている。
 以下の
3つの民族がその道を歩んだ。

       @ ゾロアスター教徒
       A 
ユダヤ民族
       B 
日本民族


 この3つの民族が歩んだ経由は、まさに
三者三様である。

 ゾロアスター教徒は、素直に自分達の信じる神を聖典化した。
 そうして自分達の神なるものをゾロアスター教徒は聖典化したけれども、
 常に他の聖典の宗教との競争を余儀なくされたのである。

 他の聖典をもつ宗教が幾度も彼らを中に入り込んで、時に彼の行く手を遮り
 彼らの信仰を妨害した。
 他の聖典の教えを寄せ付けずに歩む事は困難を極めた。
 
ゾロアスター教徒の歩んだ道は非常に険しいものとなった。

 様々な苦難を乗り越えてきたゾロアスター教徒。 なれど現在、ゾロアスター教を
 信奉する者は全世界合わせても数万〜10万人程度と少ない。
   
           
ゾロアスター教徒

 その為、現在ゾロアスター教徒は世界に散らばってはいるが、数万から10万人
 程度の少数の人々によって受け継がれているに過ぎない。
 ゾロアスター教の歩んだ歴史は、まさに過酷を極めた。

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● 神々と約束した者達A

 ゾロアスター教の他に、神々の教えを残しながら文明の中で生きる決断を
 した2つの民族がある。

 
ユダヤ民族日本民族である。
 ユダヤ民族と日本民族は、一定の勢力を保って神々と共にいることができた。
 日本とユダヤの民族は、生きんとする意志の肯定をやめる事はなかった。
 日本とユダヤの数千年の歴史も、全ては神との約束から始まった。

 日本とユダヤが命を懸け守ってきたものこそが、自然の奥に潜む意志であり、
 生きんとする意志の肯定である。
 その点においてユダヤと日本は共通する。
 日本民族もユダヤ民族も、本来はバリバリの自然崇拝の者達である。
 なれど、
ユダヤと日本の歩んだ道は、あまりにも大きく異なった

 彼らを取り巻く環境がまるで異なっていたからである。
 特にユダヤ民族がおかれた環境は、ゾロアスター教徒同様に厳しいものだった。
 ユダヤ民族が国家を失ったということも、ユダヤのあり方を決定づけた。

 ユダヤも日本もまたゾロアスター教徒もその歩んできた歴史も、現在の有り様
 も大きく異なる。
 なれどもこの三者は、それでも神々との約束を今も守り続けてきた。
 ユダヤも日本もゾロアスター教徒も、神々との約束を守り続けている。

 この三者が神々を守り続けたからこそ、22世紀には、世界各地で太古の神々
 が復活し、その姿を展開することになる。
 神々との約束を守り続けた民に幸いあれ。


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