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 日本とユダヤの未来。19世紀の荒波が20世紀にユダヤの国家をもたらした。
なれどその背景には多くの意味がある。その後ろに太古の神々の復活があり
21世紀の現代のユダヤ人の多くはそれに気付いていない。

 
● 神なる教えの復活宣言

 明治25年(1892年)、
出口なおにより神なる教えの復活宣言がなされた。

 『 三千世界一度に開くの花、艮の金神の世に成りたぞよ。
   梅で開いて松で治める、神国の世と成りたぞよ。』

 世に知られる大本(教)のお筆先(=大本神諭)である。
 この三千には2つの意味がある。
 
世界各地という意味と三千年という意味である。

  
   
出口なおお筆先。    ここから神の世が始まる宣言がなされた

 19世紀後半から数えて三千年前、つまり紀元前12〜11世紀頃に世界各地
 から太古の神々は、続々と姿を消した。

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    紀元前12、11世紀  〜  19世紀後半(1892年)


 聖典の宗教に押されて姿を消したのだ。
 紀元後に入ると、世界の中心の教えは仏となった。

 生きんとする意志を肯定する神々は消えうせ、生きんとする意志の否定に
 こそ救いの世界がある述べた仏の教えが人々を魅了した。
 
文明と聖典の宗教は相性が良いのだ。

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● 神なる教えに化粧を施した者達

 太古の神々の中から一神を選び、その神に絶対者の衣をかけた者達がいる。
 それがユダヤ民族である。彼らは絶対者の化粧を施した。
 太古のユダヤの神なるものと、現代のユダヤが掲げる神なるものはそれゆえ
 に大きな隔たりがある。

 神なるものと共に、文明を去った者達も多く存在した。
 そえらの者達は、未開の森へと消えていった。
 多く者達は、文明の発展を受け入れ、同時に聖典の宗教を受け入れた。
 現在の地上では、聖典の宗教が圧倒的である。
 
 紀元前12〜11世紀に世界中から消えた太古の神々。
 あれから三千年、再び太古の神々が蘇る。
 世界各地で蘇る。それは22世紀にもっとも最盛期を迎える。

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● 19〜20世紀の世界の不安

 19世紀末に神なる教えが復活することを述べたのが出口なおのお筆先である。
 その壮大なる意味に、気づいた者はほとんどいない。

 神なる教えが降りる以前に様々な変化が各地では起こっていた。
 19世紀には既にヨーロッパ中で資本主義がその圧倒的な力を奮っていたし
 同じく、共産主義、社会主義の出現もこの時代であった。
 資本主義も共産主義、社会主義もつまりは、ユダヤ的世界観の子供であり、
 神なる教えが降りていることに、敏感に反応したユダヤ的世界観が動揺して
 それらの子供を世界中にばら撒くことになったのだ。
 19〜20世紀は、世界中が不安定になり、荒波の中に飲み込まれていった。
 ユダヤも日本も例外ではなかった。


 ● 世界第一等の神霊家の登場

 大本(教)の出口なおに艮の金神(国常立尊)がおかかりなりお筆先を書かせた。
 出口なおの宣言をもって、神が世界中に現れることが宣言された。
 なれど、始まったばかりである。
 何はともより、神なるものを天から降ろす事が可能となった。
 その為にこそ、もっとも優れたる者の登場が必要不可欠であった。

 そして
出口王仁三郎が大本に現われた。
 彼こそ日本が生んだ世界第一等の神霊家である。
 彼に匹敵する神霊家を西洋で探すならば、スウェデンボルグである。

     
出口王仁三郎
  

  
  
書も達筆であり、芸術にも慣れ親しんだ出口王仁三郎

 出口王仁三郎の並々ならぬ洞察力と、未来を適確に見通す力、
 あらゆる面において他の神霊家を圧倒するほどの力量を兼ね備えていた。
 出口王仁三郎が神なる教えを続々と日本に降ろし始めた。

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● 激動の19世紀@

 19世紀の取り巻く環境は、実に色々なものが混じりあっていて複雑である。
 19世紀の後半には、大本が立ち上がり、出口王仁三郎がいよいよ神々の復活
 に備えて神なる教えを続々と降ろしていた。

 それでいて19世紀前半のヨーロッパでは資本主義が急速にヨーロッパの田舎
 までも広がり、ヨーロッパの街並みを作り変えていった。
 その当時に、ヨーロッパで過ごした少年達は皆、資本主義が街並みを変え、
 人々を変えていく様に驚いた。
 これらの少年の中から、後のマックスヴェーバーやマルクス、ニーチェや
 トルストイ、ドストエフスキーらが生まれた。
 彼らが生涯、忘れることができない資本主義との最初の対面であった。
 これらの者達の幾人かは、神なる教えが降りていることを意識しなかったが
 何かを感じていた。特にユダヤ的なものが、ざわついている事には、反応した。

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● 激動の19世紀A

 19世紀の後半、既にユダヤ的世界観は活発に動きだしていた。
 いずれ遠くない未来に、ユダヤ人自身の国家がもたらされることを感じて
 いた敏感なユダヤ人の者達もいた。

 資本主義によって経済が活発になることは彼らユダヤ人の経済的才能を
 生かせる場を増やしたした。
 何よりも資本主義は、ユダヤ的な匂いを醸し出していた。
 資本主義とは、ユダヤ的世界観から生まれた子供なのである。

 資本主義をもたらしたプロテスタント系のカルヴァン主義者は、もともと経済的
 な富などまったく無関心であった。
 そんな彼らから資本主義の萌芽が偶然に生まれた。

 この地上に楽園をもたらすことという意味から、合理的な精神をもって
 取り組むという姿勢こそが、資本主義の成功者のモデルになった。
 神に応える為にどこまでも合理的に行動して働く彼らには、疲れという言葉は
 一切なかった。神に遣われるという喜びがあった。

 科学の発展も著しい17世紀と、これらのカルヴァン主義者の精神が出会い
 さらにその他の要因が偶然、揃って資本主義はもたらされた。
 これらのカルヴァン主義者の根幹には、ユダヤ的世界観が流れている。

 19世紀に大輪の花を咲かせた資本主義の登場は、ユダヤ人を非常に
 活気づかせていた。この時代にユダヤ人国家の再建を願うシオニズム運動が
 盛んになったのだ。


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● 青春と資本主義@

 資本主義は、ユダヤ的世界観から生まれた。
 19世紀にはまだまだ中世的な面影を残していたヨーロッパの街並みを
 資本主義は、根こそぎ変えてしまった。
 街だけではなく、人々の価値観をも根こそぎ変えてしまった。
 先月まで食事の前に、神に祈りを捧げていた人々が、現在は食事の時間に
 投資話に花が咲く状況になっていた。

 この時代に青春を過ごした若者の多くは、生涯、資本主義から離れること
 ができなかった。それだけ人々に強い影響を与えた。

 この時代に青春を送った者達には、マルクス、ニーチェ、マックス・ヴェーバー、
 トルストイ、ドストエフースキーなどいた。
 彼らは、生涯、資本主義とかかわり続けた。

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● 青春と資本主義A

 
マルクスは、資本主義によって人々をボロ雑巾のごとくに打ち捨て
 られない為には、資本主義の正体を知るべくと彼は資本主義を分析した。

 
マックス・ヴェーバーは、資本主義が何ゆえ生まれたかの
 原因を探った。それにより資本主義により良く対処できると彼は考えた。

 
ニーチェは、資本主義によって人々から本来の人間のあるべき姿が
 失われていくを感じ、いずれ人々の目を覚ます超人が現われる事を予感した。

 
トルストイドストエフスキーは、資本主義下で
 生きる人々が、中世的な信仰心に触れた時に内面で巻き起こった心情を描き、
 人間本来の姿とは何かを模索して表現した。

 皆、それぞれがそれぞれのやり方で資本主義と向き合った。

      
   
  マックス・ヴェーバー   カール・マルクス     フリードリヒー・ニーチェ
  彼らは皆、青年時代に資本主義の流入により強い衝撃を受けた。
   彼らは各自が
自分の専攻する学問において、資本主義と真正面から向き合い続けた。


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● 資本主義とマルクス、そしてユダヤ@

 ユダヤ的世界観からもたらされた資本主義。
 資本主義のあまりの力強さは、ユダヤ人社会をも飲み込む可能性があった。
資本主義の力は強く、ユダヤ人の中からさえも、神を忘れ、経済的利益のみ
 に邁進する人々を生んでしまう危険性が出てきた。
 
子が親に噛み付く可能性があった。

 それゆえにこそユダヤ人は、資本主義が何ものであるかを徹底的に理解
 する必要に迫られた。ユダヤ人でその役目が与えられた者がいる。
 それがマルクスである。
 マルクスは徹底的に資本主義の正体を暴こうとした。
 マルクスは
ユダヤ社会を資本主義から守る為にこそもたらされた。

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● 資本主義とマルクス、そしてユダヤA

 もちろん、マルクスに、あなたの資本論は、ユダヤ人の為に書いたなど
 といえばマルクスもきっと怒ることだろう。
 なれど、マルクスはユダヤの為にその本を書いた。

 マルクスは生涯、貧乏の中で生きた。 
 彼は、己のことよりも多くの人々の行く末を真剣に考えた。
 人々が資本主義によってボロ雑巾のごとくに働かされて、疲弊しない為に
 人々を資本主義から守る為にこそ、資本主義を徹底的に分析した。

 マルクスの資本論にも、確かに直すべき箇所はいくつかある。
 確かに欠点もある。
 それでもマルクスは資本主義の一面を適確に見抜いた。
 本格的なデフレ経済に入った21世紀の姿の一面を適確に捉えている。

      
マルクスの労作『資本論
  
 その内容が全て正しいとは言えないが、それでもマルクスは良く書き上げた。
 
人々を資本主義から守りたかったマルクスの懸命さは良く伝わる。

 
ただしマルクスは、決して頭の良い方ではない。
 どちらかといえば、頭は悪かった。
 なれど彼は真剣だった。それゆえ現代でもマルクスを愛する人々がいる。

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● 国家を欲したユダヤ

 神の教えが降りる事を予感したユダヤは、それゆえにこそ国家を欲した
 神なる教えがいずれ降りてくることを無意識にでも予感したユダヤ人達は
 その前に、ユダヤの国家を建設することを欲した。
 ユダヤ国家再建のシオニズム運動の原動力となった。

 その為にこそユダヤは無意識でも協力しあった。
 ユダヤ人のマルクスは、ユダヤから遠ざかろうとして、ユダヤを批判したが
 なんてことはない、彼の頭の中はまさにユダヤ的世界観そのものであった。

 マルクスの著書を読めば、どんなに王と国民が仲良く暮らしている国で
 あっても資本家と労働者という2つの対立する意識を植えつける。
 国を二分させて争わせることにつながる。
 共産主義思想が広がると、多くの国家で王と国民の間が悪くなった。
 それがどれほど、ユダヤ人を益するかを、多くのユダヤ人は理解していた。

 お筆先(1892年)が降りた後、ユダヤも連動するかのように
 
第一回シオニスト会議(1897年)が開催された。

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● 予感した者達

 神なる教えの世になることを直感した者達がいる。
 いずれ神の教えが開き、続々と降り始めるのを予感した者達がいる。
 以下の者達である。

     @ 
日本の神霊家如来/黒住/天理/金光)
     A 
西欧の資本主義下の青年ニーチェ/マルクス)
     B 
ユダヤの探究者(フロイト)
     C 
オペラの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ
     D 
日本の漫画家風の谷のナウシカ/宇宙戦艦ヤマト)


 まずなによりも迅速に反応したのは、日本の神霊家達である。
 既に江戸時代に反応していた。

 神なる教えが登場の対する予兆は、日本各地にあった。
 いずれ神なる教えが開くことを直感した彼らは、宗教の一門一派を形成した。
 江戸時代末期、後に新宗教と呼ばれるものが続々と創設され始めた。

 その中で特に代表的なもので天理教、黒住教、如来教、金光教などがある。
 如来教きの    (1756〜1826年)
 
黒住教黒住宗忠 (1780〜1850年)
 
天理教中山みき (1798〜1887年)
 
金光教赤沢文治 (1814〜1883年)

 そうしてそ後に大本(教)の出口なおが登場した。
 お筆先によって神なる世に始まりが告げられた。

 日本での新宗教の盛り上がりが、西洋社会では資本主義の盛り上がりと
 重なっている。何度もいうが資本主義もユダヤ的世界観が生みし子である。

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● 資本主義下の青年@
 
 19世紀に西欧諸国に、大きく広がった資本主義によって、ヨーロッパ人の
 価値観が激変し、社会が大きな混乱が起こった。
 資本主義の流入こそが、マルクスを生み、マックスヴェーバーを生み、
 ニーチェを生み、トルストイ、ドストエフスキーを生んだ。

 資本主義によって人々が工場で、ボロ雑巾のように使われてしまわないように
 マルクスは資本主義のもつ本性を見出そうとした。

 資本主義は、果たしてどこから生まれたのか、何ゆえに現在に生まれたので
 あろうかをマックス・ヴェーバーは追った。

 資本主義の流入によって町の姿は一変し、人々の価値観も一変した。
 先月まで”天にまします我らが父よ!”と口癖のように言っていた人が、今では
 経済の投機、相場に一喜一憂する始末。
 ニーチェ叫んだ!
神は死んだ!

 ユダヤ的世界観の子供である資本主義。
 資本主義の登場により、人々の価値観は大きく揺さぶられた。
 神との日常は消えうせた。人間とは何であるのかさえ、人々はわからなくなった。
 ドストエフスキー、トルストイは、そのように、人々の価値観が揺らぐ世界に
 おいて、彼らの理想の人間像を描きあげた。

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 ● 資本主義下の青年A

 この激動の中でマルクスがあれほど人々から熱狂的に迎え入れられたかと
 いうとマルクスの頭の中を支配していたのがユダヤ的世界観であったからだ。
 ユダヤ的世界の衝動がほとばしる時代だからこそ、その体現者のマルクスは
 人々の注意を惹いたのだ。

 資本主義下で青春を過ごした若者の中で優れた者たちは、資本主義とは
 何かを模索して、その影響と姿を様々な分野で表現した。
 ある者は社会学で、ある者は経済学で、ある者は文学で表現した。

 これらの若者の中でもっとも鋭敏な者がニーチェであった。

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 ● 超人を誕生させたニーチェ

 19世紀の資本主義下において多くの優れた若者達が刺激された。
 その中で、ニーチェはもっとも鋭敏な若者であった。

 彼はこの資本主義が世に広まれば広まるほど、人間の本来の生きる姿が
 失われていき、資本主義下によって作られた価値観に人々は埋没してしまう
 ことを認識した。

 そしていずれそれらの人々の目を覚ます者が現われることを予感した。
 それが超人の誕生である。
 さらにニーチェは、19世紀の西欧に漂うものがユダヤの衝動である事を
 無意識ではあるが感知していた
 
 だからこそニーチェは、その超人を『ツァラトゥストラはかく語りき』という物語に
 登場させたのである。
 ツァラトゥストラは、
ザラスシュトラのことであり、ユダヤ教の母体
 なった
ゾロアスター教の開祖である。

 19世紀を覆うユダヤの衝動にニーチェは敏感に反応した。
 ニーチェには何らかの予感があった。
 それゆえにこそゾロアスターを登場させた。

             いずれ現われる超人の中に、ザラスシュトラをみた。
            
神の教えの体現者の登場を予感したニーチェ
                  
                 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

 ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』を書き始めたときは、意図をもって
 書き進めていたが、そのうち霊感に包まれ始めた。
 最後には、ニーチェ自身がこの物語の中に飲み込まれた。
 ニーチェの中の思想もこの時期を境に醸造され始めた。

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 ● ユダヤ人の予感

 神なる教えが広がることの予感は、当然ユダヤ人を活気つかせていた。
 ユダヤの探究者の多くのそれを感知していたが、その中にあって一番
 鋭敏であったのは、精神分析学の父であるフロイトである。

 ユダヤ人フロイトは、古代の紀元前14世紀において
 一神教が生まれた背景への興味を示していたことは既に述べた通りである。
 フロイトは、紀元前14世紀頃に世界中で起きた一時的に一神教が起きた
 背景の中に、現代のユダヤがもたらされた要因と同じものがあることを
 感じ取っていた。


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 ● 神の教えが広がる前の準備

 蝶々が蛹から脱皮(羽化)する時には、じっと動かずにその場に留まる。
 力をぐっと蓄えて、その力によって脱皮して、蝶は天高く羽ばたく。

 同様にユダヤにも神の教えが広がる前に力を蓄える場所が必要であった。
 22世紀に世界各地に、太古の神々が復活するまでに、ある一定の力を
 蓄えておく必要があった。
 神の教えの世となる宣言がなされる以前から、それに対する準備がユダヤ人
 の間で模索された。
 世界中を放浪し続けてきたユダヤにも、留まれる場所が必要であった。
 ユダヤの国家を建設することは、必要不可欠な事項となっていった。 
 大本のお筆先より数十年をして、ユダヤは安住すべく国家イスラエルを得た。

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 ● 神なる教えの復活を感じとった作曲家

 神なる教えがいずれ降ろされることを感じた江戸時代の日本人の中から
 後に新宗教と呼ばれる人々が登場した頃、ヨーロッパにも同様に神なる教え
 がいずれ開くことを直感した人物がいた。

 その名は、
ジュゼッペ・ヴェルディ。 (1813〜1901年)
 イタリアのオペラ作曲家である。

 日本各地に新宗教が登場した時代に、西洋でもジュゼッペヴェルディが神なる教えの復活
 
を感知して名作ナブッコを書いた。もちろんヴェルディには明確に意識はなかった。
              
                
ジュゼッペ・ヴェルディ

 ヴェルディは、神なる教えがいずれ地上に広がっていくことを無意識に感じた。
 ヴェルディに、そして、あの名作『
ナブッコ』を書いた。(1842年)
 上演されるやいなや、人々から熱狂をもって迎えられた。

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 ● 美しき壮大な都市バビロン@

 物語ナブッコの主人公は、ナブッコことネブカドネザル2世である。
 彼は、あのユダヤ人をバビロン捕囚を実行した王であり、彼がどういう人物で
 あったかは未だに不明なところもある。彼は後に発狂したとも伝わっているが
 確かではない。
 なれども、彼は紛れもなく
偉大な王でもある。

 というのも、キュロス大王によってバビロンから解放されたユダヤ人の多くの者
 がバビロンを離れずに、バビロンに留まったからだ。
 本当に酷い目に合って、嫌な者達に統治された記憶があるならば、
 どんな理由があろうがそんな地に留まらずに、故郷に帰るものである。
 なれど多くのユダヤ人は、バビロンに留まった。

 さらには、神を愛するあのユダヤ人が、自分達の聖地に帰えれるのに帰らずに
 バビロンに留まった意味が、ネブカドネザル二世の偉大さを物語る。

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 ● 美しき壮大な都市バビロンA

 ネブカドネザル二世の治世下でバビロンでは大規模な建設事業が行われ、
 大宮殿が作られた。ネブカドネザル二世は都市バビロンの整備に尽力した。
 世に名高いイシュタル門もこの時代に作られた。
 その装飾の鮮やかさから都市バビロンの文化の高さは推測できよう。
 ネブカドネザル二世の治世下において、優れた文化が花開いた。

         美しきバビロン。神々と共にいたバビロン。
         
      都市バビロンは、神々へと通じることができる都市、神々の門と呼ばれた。

 聖書において、あれほどバビロンが忌み嫌われるのもバビロンに捕囚
 された
ユダヤ人の多くが都市バビロンに魅了されたからに違いない。

 多くのユダヤ人が捕囚解放後も、都市バビロンに留まった。
 ユダヤの指導者がユダヤの故郷に帰ろうと何度主張しても、ほとんど多くの
 ユダヤ人はバビロンに留まった。
 ユダヤの故郷に返った少数のユダヤ人達、つまりはユダヤの指導者層は
 それゆえに
バビロンを最悪な都市として強調する必要に迫られた
 後の世において、バビロンを最悪の都市として聖書に追記することになった。

                            古代文明ビジュアル ファイル』より
    
    都市バビロンは、多くのユダヤ人を魅了した。彼らの多くは都市バビロンに留まった。
    それゆえ、後に聖書では
バビロンを退廃と邪悪の都市として描く必要性に迫られた

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 ● 神なる教えの復活を示しているナブッコ物語@

 ナブッコの物語は、ナブッコ(ネブカドネザル二世)が聖典の教えに傾注して
 太古の神々を重んじなくなり、自然崇拝する者達を遠ざけた事から始まる。

 ナブッコは、さらに聖典の教えに、のめり込み、自然の生きんとする意志を
 尊ぶ者達を排除した。
 そうして、ナブッコはエルサレムの神殿を破壊した。
 この話の神なる民とはユダヤ人のことである。

 最初は、ナブッコはユダヤ人を攻撃して、宮殿まで破壊した。
 ナブッコは自らを神と宣言した為、天上の神々の逆鱗に触れ、ナブッコの頭上
 に雷が落ちて、彼は精神錯乱状態なった。
 そうして王女が権力を手中にした。
 ナブッコは王の位を失い、何もかも失った。
 ナブッコは悔いて、ユダヤの神ヤハウェに許しを請うた。
 
 ナブッコの後に権力を手中にした王女は、ユダヤ人を捕まえ、まさに処刑
 のその時に、ナブッコが登場し、ユダヤ人を救った。
 ユダヤ人は解放され故郷に戻ることができた。

 まさにこれは古代において、太古の神々と聖典の宗教がぶつかりあった事を
 述べている。そうして聖典の宗教が勝利して、太古の神々の力が弱まりまさに
 絶体絶命の時に、神なる教えを体現する者が登場することを暗示しているのだ。

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 ● 神なる教えの復活を示しているナブッコ物語A

 ナブッコの作中で歌われた合唱で、人々の心を捉えたものがある。
 それが歌の中の以下の言葉である。

 『 行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って 』
 この合唱は、当時のイタリアの人々を大熱狂させた。

 この黄金の翼とは、まさにゾロアスター教のシンボルで羽を広げた
フラワシ
 象徴している。この歌は、ゾロアスター教が勝利したことを表している。

           
             
   ゾロアスター教のフラワシ

 太古の神々が聖典の教えに押され、神なる教えは消えかかっていたが
 最後には神なる教えが復活し勝利する。
 これは人類の歩みそのものを予感してさえいるのである。

 3000年前にこの地上から消えていった神なる教えが、3000年の時を経て
 これから神なる教えが広がっていく事を暗示している。

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 ● 何かを予感する漫画家@

 神なる教えが世に広まることを感じ取った者は、探究者、作曲家に限らずに
 漫画家にもいる。20世紀の漫画家にも神なる教えが復活させる事を
 無意識ではあるが感じた漫画家も幾人か存在する。

 その中の一人が宮崎駿である。
 宮崎さんの代表作『
風の谷のナウシカ』である。

 ナウシカは
青き衣をまとっているが、この鮮やかな青色はまさにバビロンの
 装飾と同じである。
 ナウシカが移動する時に使う
飛行機メーヴェは、ゾロアスター教のシンボル
 である
フラワシを思わせる。

     
     独特な世界観を醸しだしている。
       
        
風の谷のナウシカ

 ナウシカの話の全体像は、太古の神々と聖典の宗教との関わりを代弁して
 いるようにさえ見える。

 文明を極限まで発達した人類は、「火の七日間」と呼ばれる世界大戦争を
 引き起こし、有毒な瘴気が充満する腐海と呼ばれる世界が発生した。
 腐海からは、菌類の森が生まれ、馬鹿でかい獰猛な蟲(むし)が発生した。

 文明を発展させ続けた人類は、とうとう世界戦争を起こし、その愚かさゆえに
 この地球を腐海で覆ってしまったのだ。

 ここで文明とは、聖典の宗教ととれる。
 聖典の宗教にのめりこみ、太古の神々=神なる教えを忘れた人類は
 大規模な宗教戦争を起こし、人類は滅亡するとでも言えようか。

 ナウシカの物語が面白いのは、腐海の森は有毒な瘴気を発生させているが
 その底では、自然の力によって綺麗な水や空気が保たれていることだ。

 その腐海の主で、蟲(むし)の中で最強を誇るのが
オームである。

         
人間が地球環境を破壊した結果、もたらした巨大な昆虫
 
        
腐海の主オーム

 その呼び名は、聖典ヴェーダとも密接に関わる
インドの聖音om(オーム)
 と同じであり、腐海の森の主に名づけられたのだから、実に興味深い。


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 ● 何かを予感する漫画家A

 風の谷のナウシカの話の全体像は、先ほど述べたナブッコと似ている。
 最初は聖典の宗教(文明)によって地上は支配され、太古の神々(自然)は
 消えかかってしまうのだが、いずれ太古の神々が復活してめでたしめでたし
 となるのだ。

 ナウシカの青き衣は、バビロンを象徴し、空を飛ぶ飛行機はゾロアスター教
 のシンボルをイメージさせ、さらにナウシカがオームの暴走を止めるときに
 大ババ様が述べた『青き衣をまといしもの、金色の野に降り立つべし』
 いう言い伝えは、まさに古代バビロンの
イシュタル門をイメージさせる。

 ナウシカの部族は、自然の神なるものを大切する少数部族である。

     
         自然の生命力、美しい自然の姿に感動する部族

 さらに驚くことに、宮崎駿さんは風の谷の想定場所を
 「
中央アジアの乾燥地帯 」と発言していることだ。

 ペルシャもゾロアスター教も発祥地は中央アジア近辺である。
 さらにナウシカの原作に登場する風の谷は、
エフタルの民である。

      
イシュタル門                 バビロンの都市
     
     
      
       フラワシ           『古代文明ビジュアルファイル』より

 この
エフタルは実際に存在した。
 5世紀中頃から6世紀中頃にかけて、中央アジアにエフタルという国家が
 存在して大きな帝国を築いた。エフタルは、遊牧民国家である。
 なれど突厥とサーサーン朝ペルシアに攻撃され地上から消えた。

 神霊家が感じ取るものとまさに同じものを、漫画家も感じ取るのだ。
 もちろん、それらについて当の漫画家は明確な意識などまったくない。
 なれども、締め切り間近の緊迫感と熱中さが、漫画家に何かをもたらす。


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 ● 宇宙戦艦ヤマト@

 風の谷のナウシカ同様に、神の教えの復活を感じとった名作アニメが存在する。
 それが
宇宙戦艦ヤマトである。

 この作品は、原作者が存在しない。
 多くの人々のアイディアと協力により製作された。まさに感動アニメの金字塔。
 この作品は、いずれ神の教えが復活する過程が見事なまでに展開されている。

 
アニメ宇宙戦艦ヤマトは、子供達に熱狂的に迎えられた
              (放映期間:昭和49年10月〜50年3月)

 
      
昭和52年発売 『ロマンアルバム宇宙戦艦ヤマト』より

 敵である
ガミラスから、いくつもの遊星爆弾が地球の上に降り注いだ。
 放射能によって地球の
緑は枯れはて、地球は赤茶けた色に覆われた。

    
⇒ これは地球の民が、自然崇拝を忘れ、聖典の宗教に
      傾いたことを象徴する。

      
    地球を覆っていた青々とした森、水、つまり自然が破壊された。
    聖典の宗教に傾き、自然の奥に神を見なくなった世界の人々。

 
ガミラスからの遊星爆弾によって地球がまさに滅びそうになった時に、かつて
 大東亜戦争によって海に沈んだ戦艦大和が復活する。
土に埋もれた中から復活する戦艦ヤマト。地球に緑を取り戻すべく宇宙に旅立つ。

    ⇒ これは神の教えが聖典の宗教により押されて、まさに地上から
      消えかかろうとする時に神の教えを救うべく、神を尊ぶ民(
日本
      が立ち上がるという意味を象徴する。

  
 聖典の教えが圧倒した現代において、自然の奥に神々をみる民(日本)が立ち上げる。


 宇宙戦艦ヤマトは、かつてのように青々した地球を取り戻すべく、放射能を
 除去する装置を求めて、遥か彼方のイスカンダルへと向かう。
 なれど事は容易ではない。次々とガミラスからの攻撃に行く手をさいなまれる。

    ⇒ これは21〜22世紀に神の教えを復活する時に多くの困難
      見舞われることを象徴する。

         
         宇宙戦艦ヤマトは様々な妨害を経てイスカンダルへと向かう。
         神の教えを尊ぶ民(日本)もまた多くの難題が降りかかる。


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 ● 宇宙戦艦ヤマトA

 ガミラスからの執拗な妨害に負けずに、イスカンダルへと到達した戦艦ヤマト。
 驚くべきことに、イスカンダル星のすぐ近くにガミラス星が存在した。
 イスカンダルとガミラスは
双子星であった。

    ⇒ これは二面性をもつユダヤを象徴している。

 温厚で優れた精神性を有するイスカンダル星の人々と地球の自然を破壊して
 地球に移住しようするガミラス星の人々。

    ⇒ これは神の教えを守り続けてきたユダヤの民の側面と
      神の教えを守る為に教えを一神教化し、さらに
絶対化して
      
ユダヤ的世界観が登場してしまい、それにより地上に地獄
      もたらしてしまった側面の
二面性を象徴する。

   
イスカンダル = 神の教え尊ぶユダヤの民
   
ガミラス    = 地上に地獄をもたらしてきたユダヤ的世界観

 戦艦ヤマトは、ガミラス星を滅びして放射能除去装置を地球に持ち帰り
 地球はかつてのごとく青々とした星へと戻る。

     ⇒ 神の教えを尊ぶ民(日本の民)が、ユダヤ的世界観を無効化
       して解消し、ユダヤの民に本来の神なる教えのみを展開させ
       この地上に
自然を尊ぶ教え太古の神々を復活させる。

 古代の人々は、自然崇拝であり自然の奥の生きんとする意志を尊んだ。
 紀元前以前の多くの国々では自然崇拝が多く残っていた。
 特に紀元前12世紀以前は、自然の奥の生きんとする意志を肯定することが
 当然のごとくであった。

 ⇒ 驚くべき事に宇宙戦艦ヤマトの主人公の名は古代守古代進である。
   
古代
の教えをり、める(発展させる)意味がそこにはある。

 さらにヤマトの意味は、古代ヘブル・アラム語で『
ヤー・ウマト』と書いて
 『
ヤー・マト』と発音する。 その意味は、神の民の意を表すという。
 まさにドンピシャ!というところか。
         
         
2010年実写版『SPACE BATTLE SHIP ヤマト』(木村拓哉主演)
          早速、稲穂黄金も映画館で見てきた。躍動感溢れ、実に面白かった!


 宇宙戦艦ヤマトのアニメ作品は、実に驚くべき作品である。
 1970年代の若者の心を捉え、異様な熱気と共に宇宙戦艦ヤマトは発進した。
     
           
宇宙戦艦ヤマト上映時の人々の熱狂振り

 宇宙戦艦ヤマト、風の谷のナウシカ(宮崎駿)の以外にも、何らかの予感を
 感じ取っている漫画家は日本に多く存在する。
 その点について解説すると長くなるので、この辺にしておく。


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 ● 21世紀の100年@

 21世紀の100年間、世界各地で同様が起き揺れ動く。
 というのも、太古の神々の登場の準備が始めるからである。

 22世紀において、本格的に世界各地で太古の神々が復活する。
 その予兆が21世紀の世界各国で起こるのだ。
 21世紀の100年におこる大きな出来事は以下である。

   @ 神なる教えの大成
   A 
資本主義の衰退
   B 
西欧社会におけるユダヤ的世界観との別離
   C 
どこまでも追い詰められる日本


 ユダヤ的世界観が流入しているキリスト教圏のヨーロッパは大きく動揺する。
 キリスト教は内部にユダヤ的側面と仏教的側面の2つが入り込んでいる為だ。
 その内の1つであるユダヤ的側面が、神の教えの登場に敏感に反応する。


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 ● 21世紀の100年A

 さらに21世紀半ば以降から、徐々に資本主義が衰退を始める
 もちろんその衰退は、まったく見えない。
 なれど、21世紀の中盤以降から、徐々に資本主義は衰退し始める。

 資本主義の衰退が目に見えるようになるのは22世紀に入ってからである。
 そうして22世紀中に、資本主義は完全に消滅することになる。
 資本主義の衰退、消滅はユダヤの人々に強い衝撃を与える。
 なぜなら資本主義は、まさにユダヤ的世界観がうみし子供であるからだ。

 21世紀の中頃から資本主義が衰退するといっても、もちろん見た目には
 まったく衰退しているようには見えない。
 反対に、資本主義はますます激しさを増していると人々は思うだろう。
 見た目には激競争が繰り広げられる。なれどその裏では衰退へと一歩一歩
 近づいているのだ。

 もちろん
資本主義は21世紀に消滅などしない
 21世紀も資本主義の世紀である。 実際に資本主義が目に見えて
 衰退していると確認できるのは22世紀に入ってからである。

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● 日本に襲い掛かる大波=21世紀

 日本の国は、真に神々に愛されている。
 だからこそ、21世紀に日本には大波が襲い掛かる。

 22世紀に世界各地で起こる大波に備えて、日本は現在
予行演習
 させられている。21世紀中にあらゆる予行演習が行わされる事になる。
 全ての予行演習をやらされるから、さあ大変である。

 ユダヤ人は、2000年以上の時を、ユダヤの教えと共にあった。
 ユダヤ人が、ユダヤの教えから離れるなど、ユダヤ人は想像したこともない。
 なれどその出来事が22世紀におこる。

 その出来事が、どだれけユダヤの人々を不安を与えるかは予想できない。
 規範が崩れてアノミー(無連帯)が吹き荒れ、ユダヤの人々は苦しみ
 のたうち回るやもしれない。

 その苦しみと痛みを理解し和らげる者は、また同じ体験をした者だけである。
 20世紀、21世紀を通して日本は、それを徹底的に味わうことになる。

 21世紀の日本はどこまでも無縁社会と化す。
 既に無縁社会は、20世紀の大東亜戦争の敗戦から始まっている。

 日本人自身が共通の連帯感を失っている。
 無連帯があらゆるところで起こり、人々の孤独は、悲鳴のごとくとなる。

 近くに住むお年寄りが部屋で亡くなっていても、誰も気付かない。
 ようやく半年が過ぎてから気付いたりする。
 お年寄りだけではない、若者の間にも無連帯が急速に広まっている。
 気付けば日本は無縁社会となっている。

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● 日本に刺さったユダヤのトゲ@

 戦前の日本には存在した人々の連帯感。
 この日本に生まれたという意味、日本人の意味を意識していた戦前の日本。

 なれど戦後の日本は、それらを悉く破壊された。
 多くの学者が述べているように、アメリカのGHQによる占領政策は、日本に
 根深い傷を残した。21世紀の現代でも癒されない。
 なにゆえかといえば、これは
ユダヤ的な策略があるからである。
 アメリカは、日本が二度と刃向かってこないないように、日本人の骨抜きの
 教育を行った。

 その為に東京裁判、日本国憲法をもたらした。
 これらが日本に及ぼした悪影響はいくらいっても言い足りない。
 なれども、これらの全て政策の背後にはユダヤ的世界観が横たわっていると
 いう事実を忘れていけない。

 ユダヤ的世界観の視点を忘れて、単に東京裁判史観の悪影響のみを指摘
 しても日本に刺さったトゲは取れない。トゲは、引っかかったままである。
 何が物事の本質かを深く見抜くことが必要がある。

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 ● 日本に刺さったユダヤのトゲA

 仮に、ユダヤ的世界観の存在を指摘せずに、東京裁判史観のみを訴えれば
 どうなるだろうか?
 下手をすれば、日本を二分させて国家をバラバラの方向に動かすことになる。
 なぜならば本当のトゲを抜かずに、そのトゲから出ている小さいとげを抜いて
 も決して痛みは取れなずに膿は増すからだ。

 大事な事は以下を明確に認識することである。
 
日本にはユダヤのトゲが刺さっている

 このトゲを抜くためには、これらの政策の背後にユダヤ的世界観が潜んで
 いることを見抜くことである。

 日本とユダヤは共に神なるものを大切にしてきた民族である。
 それゆえ、神なるものを知悉するユダヤ人による日本の骨抜き政策は
 見事に当てはまり、日本は完全に骨を抜かれ、屋台骨がぐらぐらになった。

 神なるものを共に大切にしてきた兄弟に対して、これらのユダヤ人が
 日本憎しの思いで政策を実行した事は、
 まさに、現代版の
カインのアベル殺しである。

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 ● 浮き草のごとくに漂う日の本の民

 戦後の日本に生きる日本人は、浮き草のごとくに漂っている。
 
日本民族としての一体感が雲散霧消した
 国家として見るべき大きな夢を失った。

 国民全員で共通の大きな夢を見れなくなれば、その国に訪れるのは
 小さな小さいな夢である。

 1兆円の企業を作るとか、お客様満足一番の会社とか、自己実現とか、
 年収一億円とか、資産100億円とか、まあそんな小さいな夢ばかりとなる。

 大きな夢がなくなれば、各自がバラバラな小さいな夢を見る。
 小さい夢とはだいたい個々人の経済的利益となる。
 そういう夢ばかりになると、時おり、むなしい風がこの大地に吹き付ける。

 大きな夢の存在を忘れて、小さいな夢ばかりに見ていると、国家を平気で
 売る人間も出てくる。経済的損得でしか物を見なくなるからだ。
 そうして政治家は、内部では、自分の地元に経済的利益をもたらす事だけに
 奮闘し、外では強国におもんばかるようになる。

 人心は政治家から離れ、国家から離れ、国家はその牽引力を失い、いずれは
 バラバラとなる。そして気付いた時には雲散霧消して国家を失っている。
 失った後で、その存在のあまりに大きな意味に気付かされる。
 なれどそうなった時には、もう遅い。その時はどうしようもなくなっている。

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 ● どこまでも追い詰められる日本@

 大東亜戦争による日本人としての自信の喪失。
 日本人であるという一体感を失った日本。
 日本とは何であるかがまるで理解できなくなった日本。

 GHQの政策によって、戦前の日本そのものが全否定され、それを自虐史観
 の日本人が片棒を担ぐ以上に担いで、宣伝しまくるだけ宣伝した日本。
 自分達の先祖が歩んできた偉大な道を忘れた日本。

 神と仏の教えを捨て去った日本。
 その後に登場した戦後民主主義者の無知な者達、進歩的文化人などという
 まったく至らない馬鹿者達、それらの者達の話が溢れる日本。

 20世紀においても日本は経済的発展の裏側で追い詰められてきた。
 本当に日本は、ぐにゃぐにゃになっていた。


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 ● どこまでも追い詰められる日本A

 なれど21世紀に入ると、頼みの経済も期待ができなくなった。
 経済発展どころか、反対に徐々に衰退し始めた。

 あちこちに無縁社会、無連帯、孤独が迫ってきた。
 もともと、それは20世紀の半ばから存在していた。

 日本国民が全員で、経済的発展に浮かれて見ないようにしてきただけの事だ。
 なれどそれも、21世紀には通用しない。

 日本の今ある現状の姿が、そのまま表に現れてくる。
 あらゆるところで人々の連帯の無さを思い知らされる事になる。

 始めはお年寄りから、最後には若者世代にまで孤独と無縁社会が迫ってくる。
 自分達、日本人が何者で、日本が何であり、何を大切にして、何を受け継いで、
 何を未来に伝えるべきかの意味を失った現代の日本人。

 これから21世紀の100年間で
日本は徹底的に追い詰められる
 1人1人がその意味に気付くまで徹底的に追い詰められる。そう徹底的にだ。

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 ● 神なる教えの大成

 21世紀に起こることでもっとも重要な事が神なる教えの完成である。
 神なる教えの大成といっても良い。
 出口なおがお筆先で神の教えを降ろし始め、それを引き継いだ出口王仁三郎
 が続々と神なる教えを地上に降ろした。
 既に100年以上の月日が経った。
 なれど神なる教えはまだ全て降りきっていない。
 それは21世紀の間に全ての神の教えが降ろされることになる。
 この意味はとても大きく重い。
 後で詳細に述べるので、話を先に進んで欲しい。


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 ● 22世紀の100年

 22世紀には世界各地に大波が襲う。
 なぜならユダヤ的世界観が、人々から、国家から離れていくからだ。
 ユダヤ的世界観は、居場所を求めて世界中を駆け巡る。
 人々の不安も増大の一途となる。
 22世紀の100年におこる大きな出来事は以下である。


  @ 太古の神々の復活
  A 
資本主義の消滅
  B 
ユダヤが絶対者の衣を脱ぐ(=ユダヤ的世界観との別離)
  C 
ユダヤ的世界観と神なる民の攻防

 今まで人々から生まれたユダヤ的世界観が、居場所を失い、ユダヤの元に
 戻ってくるだろう。その時にユダヤを襲う荒波たるやすさまじい。

 ユダヤ的世界観の悪は、神々が生み出したものではなく、人間が生み出した
 ものである。ユダヤ的世界観によってどれだけの血がこの地上に流されたか。
 世界中の人々からユダヤ的世界観から距離を取り始めた時期に、ユダヤ的
 世界観は居場所を求めて世界を行き来する。

 そうして、元いた場所に戻ってくるのだ。
 つまりユダヤに戻ってくる。
 正確にはユダヤだけではない、神なるものを守り続ける民に戻ってくる。
 ユダヤ的世界観は、日本にも大量に流入する。


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● 資本主義の衰退と消滅の影響

 22世紀になると資本主義は目に見えて衰退する。
 そして22世紀中に資本主義は消滅する。

 資本主義の衰退と消滅は、世界中の多くの人々に強い衝撃を与える。
 21世紀の現在、世界中のあらゆる地域に資本主義は入り込んでいる。
 資本主義は、人々の価値観までも形成し、社会制度や政治制度にも強い影響
 を及ぼしている。

 その資本主義が22世紀には消滅するのだ。
 人々が影響を受けないはずはない。
 資本主義が影響を与えてもたらされた価値観が、社会のあちこちに
 入り込んでいる。人間の内面の道徳観念にも強い影響を与えている。

 資本主義が消滅すれば、それらの価値観も姿を消していく。
 そこら中に穴が開き始める。
 人々の内面の価値観にも穴が開き始める。

 19世紀の資本主義の流入がニーチェやマルクス、マックス・ヴェーバーに
 強い影響を及ばしたように、22世紀の資本主義の衰退と消滅は、
 同じように人々に強い影響を及ぼす。
 資本主義の衰退と消滅の出来事は、無視できるようなものではない。

 19世紀にニーチェはこう述べた。
 
神は死んだ!と。

 なれど22世紀に人々はこう述べる。
 
神は復活した!と。

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● 大きな波

 資本主義の衰退と消滅による人々に強い衝撃を与える。
 
 なれども22世紀において、世界中の人々からユダヤ的世界観が
 離れる出来事によってもたらされる衝撃たるやすさまじい。
 資本主義の衰退や消滅など、まるで比べ物にならない程の衝撃を与える。
 
 その出来事は、21世紀後半から始まる。
 西欧社会、つまりはキリスト教圏の地域の人々は、ユダヤ的世界観から
 離れる事態となる。

 その出来事が西欧社会に与える影響たるやすさまじい。
 キリスト教内部におけるユダヤ的な側面と仏教的な側面がぶつかりあうこと
 にもなるからだ。
 なれど西欧社会では、21世紀後半の科学の発展と神なる教えの誕生を
 感知した人々により、キリスト教の内部からユダヤ的な側面が取り除かれる
 動きが発生する。つまり脱ユダヤ的世界観の動きが起こる。
 もちろんユダヤ的世界観の反発も強く、一筋縄ではいかず、様々な影響を
 西欧社会に与える。

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● 想像を越えた、すさまじい波

 ユダヤ的世界観との分離が、西欧社会で本格的な活動を行うのは
 22世紀においてある。なれども既に21世紀後半から西欧社会はその点に
 関して落ち着かない状態となる。
 
 なれども、この時点でユダヤ社会は反応しない。
 ユダヤ人は、神なる教えの登場に強く反応するが、ユダヤ的世界観と
 別れることなど、まるで思わない。

 なれども22世紀になるとユダヤ社会もそういうわけにはいかなくなる。
 西欧社会では、既に脱ユダヤ的世界観に活発に動いている
 さらに、ユダヤ人の中にも、神なる教えの登場を感じる者達が増えてくる。
 神なる教えに敏感なユダヤがいつまでも我慢できるはずがない。
 
 そうして22世紀のある時期を境に、ユダヤは2000年以上共に歩いて
 きたユダヤ的世界観と別れることになる。
 ユダヤ人が絶対者の衣を脱ぐときが来たのである。
 と同時に、世界中に嵐が吹き荒れる。
 居場所を失ったユダヤ的世界観が、居場所を求めて世界中を駆け巡るからだ。
 この時に世界中に起こす波風は、とてつもなくすさまじい。

 現在において、どれだけのことを想像しても、その想像以上の波が幾重にも
 襲うことになるだろう。

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● ひとたまりもない

 もし22世紀に吹き荒れる波を、21世紀に生きる現代の我々が受けたら
 どうなるだろうか?
 答えは、ひとたまりないである。
 あっという間に飲み込まれて終わりとなる。

 21世紀の現代の人々の力は弱く、さらに学問も芸術も貧弱そのものである。
 どの分野においても優れた洞察が感じられない。

 現代のレベルのまま22世紀に突入すれば、大波に簡単に飲み込まれる。
 ユダヤ的世界観は、決してなめてはいけない。
 22世紀の大波は、現代の我々の想像を遥かに超える。
 この大波を起こしたのは神でもなく仏でもなく、人間自身である。

 ユダヤ的世界観は人類が生み出したものであり、そこに含まれる暴力、野蛮、
 残虐さ、などはつまりは人間自身が生み出したものに過ぎない。


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● 全てを受けて対処する日本=22世紀

 22世紀において神と共にいた民にユダヤ的世界観が襲いかかる。
 神と共にいる民とは、ユダヤ民族、ゾロアスター教徒、日本民族である。

 居場所を失ったユダヤ的世界観は、これらの神なる民の所に舞い戻る。
 ユダヤ的世界観が、これらの国を容赦なく襲うのだ。

 
ユダヤとゾロアスターを襲う大波を防ぐ役割が日本にはある。
 前面にたって彼らに降りかかる災いを振り払う役割がある。

 ユダヤは日本であり、また日本はユダヤである。
 ゾロアスター教徒は日本であり、また日本はゾロアスター教徒である。

 数千年間、共に神なるものを大事にしてきた
兄弟である。
 兄弟に降り注ぐいかなる災難も、振り払う役目が日本にはある。
 そして日本にはそれだけの力がある。

 その為にこそ20〜21世紀の日本の悲しみがあり、苦悩があった。
 これらの全ての悩み苦しみは、22世紀において神なる民の兄弟を守る為に
 こそ生かされる苦い苦い経験である。

 少数になってしまったゾロアスター教徒も日本の兄弟である。
 彼らの苦労を理解し、真に共感する者は日本をおいて他にはない。
 
 絶対者の衣をまとい、とても頑固になったユダヤ民族も日本の兄弟である。
 彼らの苦労を理解し、真に共感する者は日本をおいて他ははない。
 共に神なるものを保持し続けてきたものである。

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● 仏の教えの大成者

 
仏の教えの大成者とは誰あろうか?

 これは誰もが知っている人、つまり
釈尊である。

 釈尊はあらゆる仏の教えをこれでもか!これでもか!と言うぐらい降ろした。
 インドで生まれた聖典ヴェーダ。
 その聖典の教えを大成させたのが、天才・釈尊である。
 釈尊の教えは、世界中に広まった。
 釈尊の教えを知った
イエス・キリストは、まさに釈尊に近づき、
 釈尊のごとくに生きよう欲した。そしてイエスは、まさに釈尊のごとく愛に生きた。
 イエスは、間違いなく釈尊の弟子である。

 釈尊の教えを真に理解したイエスによってキリスト教は花開き、ヨーロッパの
 人々の心支え続けた。
 現代の21世紀においてもヨーロッパの人々の心の支えである。
 
 日本においては
最澄空海という2人の天才によって仏教が文明の
 中で生き続けることが可能となり、平安時代において日本史上最高の文化が
 花開き、400年も続く美しい時代をもたらした。

 釈尊の教えが深ければ深いほど、広ければ広いほど、仏の教えは世界中に
 
広く伝わり、遠い未来までも教えが届いた。

 釈尊が誕生してから
2500年以上の月日が経っているが、
 その年月を越えて現代にも釈尊の教えが伝わった。

 釈尊のその圧倒的な力量によって、あらゆる法をこの世界に降ろしたからこそ
 聖典の教えは世界中に広がり、2500年以上長きに渡り、人々を支えた。
 それもこれも、釈尊が偉大であり、その教えが広大であり深いからだ。

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● 神の教えの大成者@

 それでは、
神なる教えの大成者とは誰であろうか?

 それが
深見東州である。

 神の教えが降りることの宣言をした出口なお。
 神の教えを続々と降ろし始めた出口王仁三郎。
 そして、あらゆる神の教えを降ろし、大成する深見東州さん。

  現代の新興宗教の教祖の人たちのほとんど多くは対したことはないのだが、
  
深見東州さんだけは例外である。この人はまさに別格である。
                 
                    
深見東州さん
  東州さんは、21世紀の世紀を代表して他の世紀の賢人、偉人と競い合っている。

 東州さんが神なる教えを、どこまでも広く、どこまでも深く降ろすことで、
 人類は文明を発展させながら神なる教えと長く長く共にいることができる。

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 ● 神の教えの大成者A

 仏の教えの大成者の釈尊であり、神の教えの大成者が深見東州さんである。
 深見東州さんが、これから神なる教えを次々に降ろして、これでもかこれでもか
 というぐらいに、降ろしきれないと思うほど、降ろして大成させた暁には、
 神なる教えは、数千年先まで長く長く続き、人類は文明の発展と共に
 神なるもの祭り、文明と神々が共に生きることが可能となる。
 深見東州さんの存在の意義とその使命の大きさは、計り知れない。

 古代エジプト文明が世に興る時にも、神なる教えの大成者が存在したはずだ。
 もちろん現代にその名は伝わっていないが・・・・・。

 神なる教えが古代エジプトに、降りて大成したからこそ、エジプト文明は
 長きに渡り栄えに栄えた。
 特に紀元前4000年〜紀元前1000年頃まで
3000年間は、エジプトは
 まさに世界の中心であり、人類の文化の象徴であった。
 人間と神々が共に過ごした
黄金時代であった。

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 ● 神の教えの大成者B

 現代の21世紀もまた同じである。
 出口王仁三郎が神の教えを続々とおろし始め、さらにそれ以上の神なる教えを
 深見東州さんが降ろし、神なる教えが大成された暁には、エジプト文明が栄えた
 期間以上の長さが続くことになる。

 つまり3000年、紀元後
50世紀まで、人類は文明を発展し続けながら
 神々と共にいる事が可能となる。
 さらにいえば、その可能性は3000年といわずに、ず〜と先の未来まで続く事
 だって起こりうるかも知れない。

 というのも出口なおのお筆先にそう記載されているからだ。
 『 三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。
   
梅で開いて松で治める、神国の世と成りたぞよ。』
 
 
とは、寒い冬にこそ咲く、神なる教えを象徴する。
 
とは、冬でも青々として不老長寿の象徴として好まれてきた。

 梅で開くとは、神なる教えを降ろし始めた出口王仁三郎を意味する。
 松で治めるとは、神の教えを未来永劫まで残り続けるべく、神なる教えを
 大成すべく挑戦し続ける深見東州さんを意味しているのだ。

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● 東州さんの超重要性

 深見東州さんの役割・使命は
人類史上最高位にある。

 
仏の大成者である、あの釈尊に匹敵すると言える。
 なぜならば、深見東州さんこそが神なる教えの大成者であるからだ。

          
     
   仏の教え大成者=釈尊   神の教え大成者深見東州さん

 東州さんの教えが深ければ深いほど、広ければ広いほど神なる教えが数千年、
 数万年、下手をすれば未来永劫続く事を意味する。

 釈尊の教えがあまりに偉大であったからこそ、仏の教えは2500年以上の長き
 に渡り、現代まで脈々と続いている。
 釈尊の教えである仏教は、全アジアに届いた。
 ヨーロッパにはイエス・キリストを介してキリスト教という名で伝わった。
 聖典の教えの大成者である釈尊の教えは世界中に広まった。

 それゆえ神なる教えの大成者である深見東州さんの役割の重さとまた
 その偉大さもわかることだろう。

 現在のところ深見東州さんの真の意味に気付く者は極めて少ない。
 近代、現代の人々は、古代人に比べて遥かにその力を失っているからだ。

 なれども人類が22世紀に入れば、東州さんの真の意味に気付き、23世紀に
 入れば人類は深見東州の名を忘れえぬものとして記憶する。
 アジアの人々が釈尊のその名を知るように、ヨーロッパの人々がイエスの
 その名を知るように、全世界の人々が深見東州のその名を知る事になる。

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● その姿に神々が現われる

 あらゆる神々が深見東州さんのもとに結集している。
 世界中の神々が結集しているのだ。
 古代エジプト、古代ペルシャ、古代ギリシャ古代インド、古代中国、そして日本
 とまさに世界中の神々が深見東州さんのもとに集まり、深見東州さんを通して
 太古の神々の教えが続々と降ろされている。

 神の教えを大成する為に、天の神々、大地の神々が施す教育は半端なもの
 どころではない。天の神々、大地の神々はどのような人間をも愛するが、
 つとに、東州さんを愛する事は半端ではない。
 至誠が天に通じているからだ。
 あらゆる神々は東州さんを愛するがゆえに、時に無茶苦茶な要求をする。

 あらゆる芸術に挑戦し、芸術に通じる深見東州さん。
 

 

 
東州さんは好き嫌いなどという次元でやっているのではない。 芸術が神に通ずるものが
 あるからこそ、さらに
本来の人間の有り様を知らせる為にこそ彼は挑戦し続ける
 
21世紀の現代において、あの古代ローマ人が諸手を挙げて出迎える人が彼である。

 深見東州さんが若い時から、学問を続け、絵を描き、書を書き、オペラを
 で歌を歌い、会社を経営して、若い人々を育てるのも、つまりは神々が
 あらゆることを深見東州さんにさせる為である。
 ほとんど、24時間ぶっとうしで、起きている時には、少しの合間に絵を描き、
 歌を練習し、休まずにひたむきに神の御用をこなしてきた。

 まさに
超人である。
 100年以上も前に
ニーチェが予感した超人こそが深見東州さんである。

 東州さんの姿を通して、神々がそこに現われる。
 その姿の1つ1つに神々が現われて、人間のもっとも上なる部分を知らせる。
 その姿こそが、偉大な文明を築いた古代人の姿でもある。
 偉大な古代の人々は、それらの意味を真に理解していて、だからこそ
 あれだけの文明を築けた。

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● 狼煙は上がった

 深見東州さんがあの出口王仁三郎を越えて、神の教えの大成者として
 進むことが、天上の神々、大地の神々に承認され宣言された出来事がある。

 それがジュゼッペ・ヴェルディの『
ナブッコ』のオペラにて
 深見東州さんが、主人公ナブッコを演じたことである。
 2010年9月24日・26日に上演された。

  深見東州さんがナブッコを演じた事の真の意味を知れば、その重要性がわかるだろう

 
(オペラ『ナブッコ』・我が愛する地球よ!)より

 ナブッコの物語の中で、ナブッコ(ネブカドネザル二世)は、聖典の宗教の世から
 太古の神々の世へと開かせることを意味した。
 そのナブッコを東州さんが演じた。

 天の神々が演じさせた。
 つまりは、この実際の地上で神なる教えを開かせる時がきたことを知らせる。
 神の教えを大成するものが羽ばたく時がきた事を知らせたのだ。

 神なる教えの大成者こそが深見東州さんであり、神なる教えがいよいよ大成
 する道へと邁進していくことを示す狼煙である。

 ここで敢えて述べておくが、稲穂黄金は神霊世界のことなど見えないし、
 見たこともないし、別に見たいなどと思ったこともない。
 だから上記の事について、それが真実であるなどと大声で言うことはしない。
 ただ稲穂黄金は、そう強く確信している!ということである。

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● 師であり友であること@

 東州さんは、起きている時はほとんどぶっとうしで神なるものを行じている。
 本来の人間としての姿を体現している。
 神と共に過ごしていた古代人の姿がそこにはあり、神々と共に生きる姿を
 現代の我々に見せている。

 その意味で深見東州さんは、あらゆる
人類の師である。
 多くの神なる教えが深見東州さんの上に降りている。

 だからといって我々は、以下のような
冷たいことを言ってはいけない。
 ”全てを深見東州さんに任せておけば大丈夫!”とか
 ”東州さんをあがめて、拝んでおけば良い” とか
 ”東州さんに任せておけば、それで事が足りる” などなど

 我々はそんな冷たいことを言うものでないし、思うものでもない。

 深見東州さんも我々と同じ人間である。
 体も同じように作られている。頭も同じように作られている。
 同じ人間なのだから長所もあれば欠点もある。
 できることもあれば、できないこともある。
 釈尊もイエスも最澄も空海も、皆、我々と同じ人間であり、うまくいく時もあれば
 失敗する時もある。同じ人間なのだから当然である。

 だからこそ、我々はこう思う必要がある。
 これらの偉大な者達を、我々は師と尊敬する。そして同時に
でもある。
 共に、この大地を生きる友である。
 釈尊もイエスも最澄も空海も我々人類の師であり友である。
 同様に深見東州さんも我々の
人類の師であり友である

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 ● 師であり友であることA

 ある人物を崇めるだけの人間は、愛が欠けている。
 ある人物を尊敬し師と思い、この大地を生きる友と思うこと。
 それが大切である。

 そうすればこそ、偉人賢人の苦労もわかる。
 釈尊にもイエスにもできる事があり、できない事がある。

 我々は彼らが何でもできる
スーパーマンであるから尊ぶのではない

 彼らが、我々と
同じ非力な人間でありながら、それらを越えて
 生きる姿を我々に見せるから、我々は涙を流し、我々の魂は感動し、
 彼らを忘れないのだ。

 人間1人1人がなんらかの役割がある。
 1人1人にやれる内容があり、範囲がある。
 その範囲で、進むことである。
 特に現代の日本人1人1人には多くの役割を問われている。
 世界の中で神なる教えの原型を残し続けた日本。
 仏の教えの真髄を残し続けた日本。
 その経験こそが21世紀、22世紀の世界が必要とする。

 その日本の神なるもの、仏なるものが弱まっている。
 それを復活させることも日本人1人1人に託されている。
 神も仏も己の内にこそ発見できる。その神や仏に気付くとき、天上に神々が
 いることを感じ、この大地に仏の慈悲が降り注いでいることに気付く。

 多くの日本人がそのことを忘れてしまった。
 それを復活させる役割を日本人1人1人がもっている。

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● 日本人1人1人の役割の重要性

 21世紀、22世紀の時代において、日本人1人1人の役割はとても重要である。
 大きな以下の役割があり、それに関連して人々は様々な役割にわかれる。

    @ 
神なる教え、仏の教えの復興
    A 
学問・芸術・文学の復興
    B 
神なる民を襲う大波をことごとく払う
    C 
文明の発展と神々との両立
    D 
未来社会への挑戦

 22世紀に太古の神々がに各地が復活することは何度も述べてきた。
 そして真に神なる教えが降りるということは、仏の教えも真に現われることを
 意味する。神なるものがなければ、仏なるものは存続できない。

 21世紀において成し遂げねばならない事に真に学問の復興がある。
 特に日本において学問、芸術の力が弱まっている。
 文科系の学問は、低下の一途を辿っていて残念ながら非常に貧弱である。
 見るべき成果もほとんどない。
 これらの学問の中で唯一、科学だけがそこそこ健闘している。

 日本において、なにゆえ学問がこれだけ弱いかといえば
 最初の問いの
なぜを発するべき哲学が死に絶えているからだ。
 日本の大学哲学のレベルといったら最弱である。
 ユダヤ的臭いが漂う解説に終始する大学教授も少なくない。

 この世界は自己意識の発展過程であり、世界はその発展の方向へ進んで
 いるなどという馬鹿話に熱中しては、騒ぐ馬鹿者達がいまだにいるのだ。
 その数も少なくなく結構いるのだ。

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● 学問の復興
 
 日本のあらゆる学問が至らない。
 真に学問を復興することが必要である。
 哲学、社会学、経済学、文学、歴史学などなどあらゆる学問を21世紀に
 復興する必要がある。
 
 厳しい事を言えば、
復興のチャンスはこの21世紀の百年しかない。
 学問が復興できずに22世紀に突入したとしよう。

 日本は、22世紀の大波に簡単に飲み込まれるだろう。
 大波にひとたまりもなく、飲み込まれてしまう。

 世界は自己目的だとか、意識の発展段階にあるだとか、くだらない馬鹿話
 を話してはしゃいでいる大学教授も結構いるのだ。
 とても救いがたい連中ではある。
 まあ、しかし人類の大部分は迷妄と愚鈍の内ある。
 いつの時代にもこれらのまったく至らない連中は溢れている。

 真剣に学ぶ気がまったくなく、単なる思いつきと思い込みが学問だと
 思っている連中は、いつの時代にもわんさといる。
 そういうお喋りが学問だと思い込んでいるのだ。

 今まではこれらの馬鹿者を保有するだけの余裕が日本にはあったが、
 22世紀になれば、そんな余裕があるどころか、日本人が一丸となっても
 乗り越えられるかどうかなのである。

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● 文学の復興

 学問と同様に文学を復興することも必要である。
 世界を見渡しても文学は下降の一途を辿る。
 特に20世紀に入り文学は、坂道を転がり落ちるように力を失った。

 20世紀の優れた作家と19世紀の優れた作家を比べてみると良い。
 まったく人間の力が違うのだ。
 20世紀の作品は、19世紀の作品にまるで及ばない。
 なれど19世紀の優れた作家と18世紀の優れた作家を比べても
 それ以上の差があるのだ。

 ドストエフスキーやトルストイはなるほど優れた作品を書いている。
 なれども18世紀の天才ゲーテの作品と見比べてみると良い。
 その構想力、そのリズム、その軽妙さ、その美しさ、ゲーテの作品が
 圧倒しているのだ。

   
19世紀ドストエフスキーの作品も、実に素晴らしいのではあるが
   それでも
18世紀ゲーテと比べると大きな差があることに気付く。
   ゲーテの文章の軽快さ、テンポの良さ、使われる言葉などじつに活き活きとしている。
          

        
   ドストエフスキー          ゲーテ

 芸術も見るべきものは特になくなった。
 あらゆる部分で低下が見られる。

 哲学、社会学、経済学、歴史学、などの復興は必要不可欠であるが
 それらを含めた人間の総合力は、芸術と文学ではかられる。

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● ユダヤ的世界観 VS 学問@

 21世紀の後半に世界中からユダヤ的世界観が離れ始める。
 22世紀になるとユダヤ自身からユダヤ的世界観が離れる。

 世界を襲う衝撃たるや尋常ではない。
 
資本主義が消滅することの比ではない

 あらゆるものが揺さぶられる。
 社会制度、経済制度、政治制度、文化、芸術にまで影響を与える。
 もちろん学問においても影響を免れない。

 一時、学問の中にもユダヤ的世界観が入り込むだろう。
 実際に21世紀の現代において科学の本場であるアメリカにおいて、研究の
 基礎の教育の分野に、インテリジェント・デザイン(神の意図)が入り込んだ。

 科学の基礎に超越的なものを入れてはいけない。
 科学の実験結果において、その解釈に、都合の良いものだけが
 選択されることになりかねない。

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● ユダヤ的世界観 VS 学問A

 21世紀の人々を襲う不安を、甘い汁を提供する形でユダヤ的世界観は
 ズカズカと入り込んでくる。
 人々が不安を感じれば感じるほど、そこをついて巧妙に入り込んでくる。

 なれども人間には学問がある。
 人類が受け継いできた智恵がある。
 大波に対抗する力を人間は有している。

 21世紀に打ち寄せる波は高い。
 22世紀になるとその波はさらに高さを増し、同時に分厚くもなる。
 その桁外れの力をもつ波と対峙する日はそこまで来ている。

 21世紀の100年によって、あらゆる学問を復興することができれば、
 それらの波に負けずに、人類はこの大地に立っていることができる。

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● ユダヤと共にある日本@
 
 22世紀においえユダヤに襲い掛かる様々な大難を、体を張って防ぐ役割
 を日本人は有している。

 ユダヤは日本であり、日本はまたユダヤである。
 
共に古代から神なるものを大切にしてきた
 自然のおくの生きんとする意志を肯定し続けてきた。
 世の中に、どれほど聖典をもつ宗教が広がろうと、神なる教えを手放す事
 をしなかった。
 22世紀にユダヤの民を襲うあらゆる危機に対して日本は、21世紀の内から
 楔(くさび)を打ち始める。

 ユダヤは国家を失い、それゆえにこそ神の一神教化、絶対化がぜひとも
 必要になった。その判断は確かに正しかった。
 21世紀の現代においてユダヤが生き残っている事がそれを示す。

 なれども神々の一神教化、絶対化には無理もあった。
 その無理によって生まれたものが、つまりはユダヤ的世界観である。
 ユダヤ的世界観は、世界中で悪鬼のごとく暴れ周り、地上に地獄をもたらした。

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● ユダヤと共にある日本A

 22世紀においてユダヤ的世界観の悪鬼は、世界中に吹き荒れる。
 再び、この地上に地獄がもたされるやも知れぬ。

 19世紀、20世紀にユダヤ的世界観を急速な展開がドイツとユダヤ双方に
 悲劇を生んだ。
 ユダヤ的世界観の流入に気付いた賢明なるドイツ人は、それゆえにこそ
 反ユダヤに傾かざるえなかった。
 これによりドイツではヒトラーが支持された。
 そうしてナチスによって、多くのユダヤ人が虐殺される事になった。
 真に悲しむべき出来事である。
 この点について世界中がユダヤに同情する。
 なれどまたそうせざる得ない所まで追い詰められたドイツ国民にも同情する。
 ドイツ国民の心に残った傷も21世紀の現代においても癒えていない。

 22世紀に同じ悲劇を繰り返してはならない。
 22世紀になれば、そのユダヤ的世界観が今度は、一斉にユダヤ自身に
 戻ることになる。世界中からユダヤが攻撃されない保証はどこにもない。
 
 なれど決して
そうはならない

 決してそうはさせない
 ユダヤに降りかかる火の粉を、日本がことごとく振り払う。

 
日の本の民はユダヤの民と共にある
 再度言おう。ユダヤは日本であり、日本はユダヤである。
 日本とユダヤは共に歩き続ける。
 
 
 ● ユダヤと日本が共にあることを知らしめた者

 ユダヤと日本は共にある。
 そのことを60年以上も前に、
出口日出麿が人々に示した。
 日出麿は、まさに一命を投げてうって、そのことを人々に知らせた。

   
 晩年の出口日出麿。外界とのコンタクトを取らず、その後の人生を神仙の世界に生きた。

 日出麿に対する憲兵の拷問は尋常ではなかった。常軌を逸していた。
 出口日出麿を徹底的に攻撃したのはユダヤ的世界観であった。
 ユダヤ的世界観は、神なる教えが大本(教)に登場することを敏感に感じ取り
 大本を徹底的に襲った。
 ユダヤ的世界観に取り付かれた者達が、大本に集中攻撃をした。
 とりわけ、出口王仁三郎の後継者であった出口日出麿に対する攻撃は
 凄惨を極めた。

 来る日も来る日も拷問が続き、とうとう出口日出麿の精神は肉体から乖離した。
 彼はその後、外界と二度とコントクトを取ることができなくなった。
 その後の人生を、日出麿は、神仙の世界で生きることになる。

 日出麿は、ユダヤ的世界観に反撃することを敢えてせずに全てを受け入れた。
 日出麿の体内には、ユダヤ的世界観の巨悪があり、それを体内に封じ込めた。

    これほど優れた者が、二度と外界とコミュニケーションできなくなった。
    出口日出麿は、それを
覚悟の上ユダヤ的世界観の巨悪を体内に受け入れた。
    日本もユダヤも、彼に
多くのものを負っている。
               
                  
若き日の出口日出麿

 これにより日本とユダヤが反目しあい、殺しあうことを防ぐことができた。
 出口日出麿がいたからこそ、それが可能であった。
 彼はまさに愛すべき、愛深き人物であった。

 そして出口日出麿は、命懸けで我々日本人に教えたのだ。
 ユダヤと日本は共にあると。

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● 未来を暗示するカゴメ歌

 日本とユダヤが共に歩むことを200年も前の日本人は感じ取っていた。
 19世紀初頭の江戸時代において、人々の間で、まことしやかにささやかれ
 始めた歌がある。
カゴメ歌である。

 『 カゴメ、カゴメ、籠の中の鳥は、いついつ出あう。
   夜明けの晩に、鶴と亀がすべった、後ろの正面だ〜れ 』


 この歌を多くの神霊家が様々に読み解いた。
 だいたい以下のような意味になる。

 『 神なる教えを守る民が、世界中に別れてから、だいぶ時を経た。
   ある時、世界はもっとも暗い世の中となってしまった。
   その時、神なる教えを守る日本とユダヤの民が協力して、世界の模範と
   なり世界を統べるようになった。
   そうして世界各地で、太古の神々は復活し、人類は神々と共に末永く
   歩むことができるようになった。』


 カゴメ       ・・・ カゴメ紋の意味、つまりユダヤ民族
 籠の中の鳥   ・・・ ユダヤの系列(またはユダヤの12部族)
 いついつ出やる ・・・ ユダヤ民族が世界にちりじりに別れて
 夜明けの晩   ・・・  もっとも暗い時代、世界がもっとも暗くなる時
          ・・・  丹頂鶴のごとく白地に丸い赤、つまり日本
          ・・・  亀の甲羅の紋≒カゴメ紋、  つまりユダヤ


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● 神なるものを大切にする親愛なる民へ

 世界に放たれた悪鬼のごとくに振る舞うユダヤ的世界観。
 21世紀後半に人々から離れ始めたユダヤ的世界観は、世界中で猛威を奮う。

 ユダヤ的世界観に真に対抗できるのは、世界の中で日本だけである。
 なぜならば、日本こそ神なる教えが誰よりも理解できるからだ。

 日本こそ、数千年の長きにわたり、神なる教えの原型を保ち続けた世界
 で唯一の文明国である。
 ユダヤ民族とゾロアスター教徒を守る役目は、日本をおいて他にはない。

 ユダヤの人々は100年後の22世紀の未来に不安を感じるかも知れない。
 なれど畏れることはない。ユダヤと日本は共にある。
 ユダヤと日本は共に行く。
 ユダヤに振りそそぐ大波を日の本は民はことごとく打ち払う。
 日本は大波を越えていく海の子である。

 『 我らは、
海の子の白波の〜 
   海まき上ぐる竜巻も  
起らば起れ驚かじ
   いで大船を乗り出して〜 、我は
護らん海の國
                       
われは海の子の一文より

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● さあ、一歩一歩進むのだ@

 日本に降ろされた神なる教え。
 出口王仁三郎が続々と降ろし、出口日出麿が守り、深見東州さんによって
 大成される神の教え。

   
   
  出口王仁三郎           出口日出麿           深見東州

 これらの教えは、ユダヤ(イスラエル)を通して世界に広がる。
 イスラエルからヨーロッパ、アメリカに伝わる。
 21世紀後半になると、神なる教えはヨーロッパに広く広がり、人々の意識を
 覚醒させる。
 それでもユダヤ人は頑固であり、まだまだユダヤ的世界観を手放さない。

 22世紀になると神なる教えは世界中に広がる。
 その時になって、イスラエルを揺さぶり、ユダヤも神なる教えを受け入れる。

 世界中の人々に神なる教えの存在が知れ渡る。
 地上で起こるあらゆる出来事がこれらの動きに
連動するのだ。
 まったく無関係に見えるような出来事の背後に、神なる教えの広がりがある。

 多くの人々の協力が必要である。
 優れたる人々にお任せして、後はそれでおしまいなどということではない。

 1人1人がやるべきことは無数にある。何事も地道な一歩が必要である。
 学問の復興も必要不可欠である。
 多くの人々が、真に学問の道に進んで復興する以外に道はない。
 安易な道などまったくない。飛び道具もないのだ。

 思い込みや思い付きではなく、人間の脳の根拠率を土台にして、そこから
 論理的展開によってもたらされて初めて、知的正当性を主張できるのだ。
 あらゆる学問もこの道を通る。

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● さあ、一歩一歩進むのだA

 この国には、哲学の復興は急務である。
 科学の発展もまだまだこれからである。
 新たな経済学を創設する必要性もある。
 地に落ちた文学は、まずは歩き始めるところからせねばならない。
 現代の芸術は人間の魂に火をつける意味から知らねばならない。

 圧倒的な洞察力に裏打ちされた人間の洞察が必要である。
 その洞察をもってこそ街がいき、都市が生きてくる。

 確かに人間1人1人の力はか弱い。
 なれども多くの人々が力を合わせれば大きな事ができる。
 さらに1人1人が力を増すことで、その力の結集は、なにかをもたらす。

 あせらずに一歩一歩進むことである。
 
天気どしゃぶりなれど心は晴天なり

 さあ、進もう!

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