日本の対処
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日ユの未来

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手帳の使い方に固執せず、自由な発想によって知的活動をアップする。
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日本の対処
日本もユダヤと同じく神々と約束した。どれ程の教えが日の本の国に入って
こようが、生きんとする意志の肯定は忘れないと

 
● 四方を海で囲まれた幸運

 もっとも幸運なことは、日本の国は
四方を母なる海に囲まれている。
 この海が外国からの思想の流入に一時的にストップをかけ、判断する時間を
 与え、良いものだけを受け入れ、合わないものを遮断する役目を果たした。

 この海の存在が、同じく神なる教えを守るユダヤ民族やゾロアスター教徒と
 
まったく違う歩みを日本に可能にさせた。

 ユダヤのように神なる教えを偽装する必要もなく、さらにはゾロアスター教徒
 のように神なる教えを述べるものが迫害することがなく日本は進めた。

 日本の特記すべき事は、その教えを
ほぼ原型を留めたまま
 現代にまで保持しているということである。
 
 世界各地において神仏習合はたくさんあった。
 もちろん、日本においても神仏習合はあった。
 なれど日本の神仏習合は、民衆の間に起きたものである。
 神道が仏教の影響を受けてその真髄が廃れたわけでも、仏教が神道の教え
 を受けて仏の教えの真髄が廃れたわけでもないのだ。

 日本の特記すべき事は
神なる教えの神道は、その原型をとどめた事
 仏の教えの
仏教は、釈尊の教えの真髄を残し続けているという事
 もちろん、民衆の間では、神仏が習合したが、神道、仏教とも各自は、その本来
 の形を良く保っていることである。

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● 超希少な神道@

 日本に残る神なる教えとは、神道のことである。
 21世紀の現代にあって、神道は超希少な存在といえる。
 神道は、
絶滅危惧種のごとく、超、稀な存在である。

 紀元前の古代には、神道のような神なる教えを保つ宗教は珍しくはなかった。
 特に紀元前12世紀以前は、世界各地に存在した宗教とは、神道のごとくであり
 人々は、神なる教えを尊んだ。

 なれど文明が発達するにつれて太古の神々ではもはや人間は内面に発生した
 苦悩を取り除けなくなっていた。
 それゆえにこそ聖典ヴェーダの登場は、世界の人々、特に文明圏に生きる人々
 に多大な衝撃を与えた。
 紀元前10世紀を過ぎると、聖典の教えは世界各地で登場して、太古の神々は
 脇に追いやられた。
 もちろん、それでも大文明を築いた古代エジプトや古代ペルシャ、古代ギリシャ、
 などの人々には、聖典の教えは不要であった。
 それらの文明に生きる人々には、まだまだ力があった。
 聖典の教えなどに寄り掛からなくても、いきいきと生きる力を有していた。
 苦悩を昇華する芸術の力も圧倒的であり、聖典の教えの変わりに、人々の苦悩
 を昇華し、人間に力を与えた。

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 ● 超希少な神道A

 なれでもその文明にも陰りが見えてきた。
 古代エジプトは衰退し、古代ペルシャも古代ギリシャもその力を失った。
 気付けば、神なる教えを残す大文明は、古代ローマのみになっていた。
 なるほど、ローマは多くの神々が結集して、人類が忘れえぬ都を築いた。
 なれどもそれは、世界中の神々が居場所を失って、古代ローマに結集した事
 も意味する。太古の神々は、古代ローマを最後の地上の居場所になると
 覚悟していた。それゆえにこそ太古の神々は、ローマに力を貸した。
 古代ローマは永遠の都となり、人間の可能性を示した。

 紀元前から紀元後に移ると、その古代ローマも徐々に力を失い始めた。
 そしてとうとう4世紀後半、古代ローマは東西に別れた。
 
 紀元後に生きる人々が信仰した神は、太古の神々ではなく聖典の教えである。
 それは神ではなく仏であった。
 仏教、キリスト教の掲げる本来の神は、仏である。
 むろん、神の教えを内部に隠し、外側を偽装して聖典化と一神教化を行った
 
ユダヤは、生き延びる事が可能となった。
 ユダヤはその神に全知全能の力を与えて絶対化する事で、聖典の教えに
 対抗することができた。そのユダヤの絶対化に影響されて生まれたのが
 つまりはイスラム教であった。
 ユダヤの絶対化に、焦点を当てて作られたのがイスラム教であった。

 神なる教えを残そうとした者達の多くは、
未開の森へと消えた。
 
文明の発展を放棄することで、神なる教えを守ろうとしたのだ。
 それらの人々は、21世紀の現代においても、未開の森の中で知られるざる
 部族として生活をしている。

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 ● 超希少な神道B

 ユダヤのように神なる教えを偽装もせずに保ち、それでいて文明の中で
 生きた者達に
ゾロアスター教徒が存在する。
 なれども彼らの歩いた道は、非常に険しかった。

 世界の潮流は、聖典の宗教であって太古の神々にもはや居場所などなくなって
 いたからである。なれどもゾロアスター教徒は神なる教えを守り続けた。
 
 彼らは、どの場所にいっても迫害を受けた。
 聖典の宗教に改宗せぬ輩といわれて、国を追い出されてあちこちを放浪した。
 中東に残ったゾロアスター教徒は、多くの迫害をうけた。
 なんとか受け容れてもらえたのがインドである。
 21世紀の現代に残るゾロアスター教徒の数は、数万〜十万人程度に
 過ぎないと言われる。

 文明の発展の中に、神なる教えを保ち続け、国民の多くがその教えに親しみ
 一定の勢力を保ったのは、21世紀の現代においては
日本のみである。
 日本のみが、神なる教えの原型をより良く保ち、文明を発展させた唯一の
 国となってしまった。
 一国しかないという現実は、人類にとってとても寂しく残念な事なのである。
 このことに近代、現代の人々がまったく気付かないことも、人間の力が弱まって
 いることの重要な証拠なのだ。
 さらには、大東亜戦争に負けた日本人自身が神なる教えを遠ざけ、離れ始めて
 いることも、神なる教えがこの地上から消えてしまう危険が迫っていることを
 表している。

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● 秘めたる国=日の本

 自然の奥に存在する生きんとする意志を、神なるものとすれば、その神の
 姿は漠然として形作られない。
 何度も述べるように、生きんとする意志は、人間にとって盲目である。

 その意志の秘めたる力が顕在化して現われた力が神なるものである。
 
するから化秘(=かひ)となり、これが(=カミ)となった。

 この国の名は、
であり、それが日の本(=日本)となった。

 子供達は、
御子であり、それが日御子となった。

 シャーマンは、巫女であり、それが
日巫女(=ひみことなった。

 この国は、生きんとする意志が秘めた国であり、その秘めたる力が顕在化
 してあらわれたのが神である。

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● 優れた先人の苦労と偉大さ

 ひとえに日本に神なる教えが残ったというが、これはとてもとても大変な苦労
 があり、それらを洞察した優れた者達がこの日本に現われたことを示す。
 
 世界の人々が聖典の教えが広まったときに、強い衝撃を受け、国を二分する程
 の事態になったように、この日本においても聖典の教えの仏教が流入した時
 にこの日本も国家を二分する程の事態となった。

 21世紀の現代において、神なる教えが残り続け、さらに仏の教えが残りつづけ
 たのは、まさにこの日本において、圧倒的に優れた者たちが輩出された事を
 物語っているのだ。
 その意味に気付かなければ、日本という国を真に語ることはできない。

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● 太古の神々が残る日本

 世界のあらゆる国々の中で、日本が特異なのは、太古の神々が現代にも
 生きて、現代の人々に敬われていることにある。
 神なる教えは、日本では随神の道と呼ばれる神道に脈々と息づいている。

 世界の他の地域において、太古の神々はほとんど残っていない。
 ヨーロッパは聖典をもつキリスト教が圧倒的であり、中東においてもこれまた
 聖典をもつユダヤ教とイスラム教で占められている。
 インドにおいて聖典をもつヒンデュー教が、中国においては共産主義が
 入り込む近代よりも昔は、儒教を信奉する勢力が大きく存在した。

 世界各地に存在した太古の神々は、聖典をもつ宗教に抗しきれなくなった。
 文明の発展においては、聖典をもつ宗教の方が、はるかに相性が良かった。
 
 世界で唯一、優れた文明を築き上げ、かつ太古の神々と現代まで
 共存ができたのが日本なのである。

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● 神々と共にあった日本

 太古の昔、日本の民は、自然の奥に存在する神々と共に暮らしていた。
 それが当然であり、それを手放すことなど考えにものぼらなかった。

 世界では既に紀元前14世紀に、聖典の宗教は世界に影響を与えていた。
 さらには紀元後3世紀頃には、聖典の教えは世界で優勢になりつつあった。

 その激動は、四方を海に囲まれた日本には届かなかった。
 紀元後4世紀になり、太古の神々を祭ってきた、あの偉大な古代ローマに
 おいて聖典の宗教であるキリスト教が公認された。(313年)
 それから70年してキリスト教は古代ローマの国教に定められた。(380年)
 もはや古代ローマが古代ローマでなくなった事を宣言したと言える。
 この後の古代ローマの東西分裂、西ローマ帝国の滅亡と一気に押し寄せて
 くることになった。

 紀元後4世紀の日本は、いまだ安泰であった。
 紀元前の大陸で吹き荒れる思想の嵐を、四方の海が遮ってくれていた。

 なれどもそんな島国の日本も、6世紀に入ると聖典の教えが入ってきた。
 日本にもとうとう聖典をもつ宗教が入り込んできた。
 天才・釈尊によってもたらされた仏教である。

 深遠な教えと、先端の建築技術を携えて日本に伝来した。
 圧倒的な魅力を兼ね備えた仏教は、瞬く間に日本の人々の心を虜にした。

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● 太古の神々(神道) VS 聖典の宗教(仏教)

 仏教が日本に伝わると、多くの人々は仏教の魅力にされた。
 その深遠な教えと慈悲心、さらには最先端の建築技術を有していた仏教。
 当時の人々は、仏教が一種の超越的な力をもつものと感じた。
 
 仏教に魅了された者の中には、有力な豪族も含まれる。
 その先頭に立ったのが大連である蘇我氏である。
 有力な豪族であった蘇我氏は、仏教を日本に取り入れることが必要不可欠
 であり、さらには仏教の力を背景に政権での力を確保しようともした。

 ここに仏教を取り入れることを推進する者達と、古来から伝わる神々の教えを
 述べる神道を擁護するものとで二手にわかれた。

 大連である蘇我氏が仏教推進派であり、同じ大連の物部氏が神道を
 擁護して、国家を二分するほどの争いが起きた。

 仏教を導入して権力奪取を画策する蘇我氏と、神道を擁護する物部氏。
 日本で始めて、宗教によって人間が争い、血を流す争いが起こった。
 この戦いにおいて、人々は多くに血を流した。

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● 物部氏と蘇我氏の不思議

 日本を二分して戦の中心にいた蘇我氏と物部氏。
 蘇我氏は仏教を擁護し、物部氏は神道を擁護した。
 この時の物部氏を代表した人物こそが物部守屋(もりや)である。
 ちなみに、
モリヤとはイスラエルの神の名である。
 物部氏が謎に包まれているのも、ユダヤとの関連があるのかも知れない。

 不思議な事に、この有力な2つの氏族は、その後、日本の表舞台から
 完全に姿を消した。
 物部氏は、蘇我氏との戦で物部守屋を失うと、敗北し表舞台から姿を消した。

 また天下を掌握した蘇我氏もまた、大化の改新により蘇我入鹿が暗殺され、
 蘇我蝦夷が自殺すると、勢力を大幅に失い、これから徐々に蘇我氏は
 歴史の表舞台から姿を消した。
 仏教と神道を代表して戦を行った2つの豪族ともに歴史の表舞台から消えた。

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● 天才政治家の登場@

 物部氏と蘇我氏を中心に国家を二分する戦いが起こり、多くの人々がこれに
 巻き込まれ、多くの血を流した。
 これを間近に見ていた1人の青年がいる。
 その青年は、宗教によって国家が二分される愚かさを痛感した。
 そしてこの体験が、この青年を後に日本史上最高の政治家にならしめさせた。
 この青年こそ聖徳太子こと、厩戸皇子である。

 聖徳太子は
和をもって尊しとなすと述べた。
 これは言い争うなという意味ではない。意見を対立させるなという意味でもない。

 そうではなくて、どれだけ言い争っても、その争いはそこで終えて、その後の
 食事や日常の生活は仲良くあれということである。
 議論の対立を日常に持ち込むな!という意味である。

 議論はいくらしても良いが、それが終われば、共に楽しく食事して酒を飲み
 交わせということである。
 
賑々しくあれ!という意味である。

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 ● 天才政治家の登場A

 和をもって尊しとなすと言う言葉は、仏教の言葉を代弁しているという人が
 いるが、それはまったく違う。

 仏教の意味する所は、1人の人間がこの世界の法を知り、意志の否定にこそ
 救済があることを理解し、悟りを開いて、涅槃の世界に入ることを意味する。
 1人1人が個々人でたどり着かねばならないのだ。
 その時に個人が頼るべきものが法である。
 さらには、至らぬ人間1人1人に救いの手を差し伸べてくださる仏様の大慈悲
 にすがることである。それを理解するからこそ、仏僧は仏のごとく慈悲の心で
 衆生を救わんと欲する。

 この言葉の意味するところは、神道の精神と同じである。
 再度述べるが、
賑々しくあれということだ。

 神社を参拝した後に、参拝した者同士がお酒や食べ物を共に食べて
 賑やかな時間を過ごす
直会(なおらい)があるが、まさにこの意味なのだ。

 聖徳太子は、日本人にこう述べたのだ。
 どんなに議論しても良いが、それらのこともそこに留めて、後は共に仲良く
 食事をし、共にお酒を飲むのだ。
 それができるのが日の本であり、日の本の民であると。

 日本の神話にあるように、天岩戸(あまのいわと)の前で、神々が賑々しく
 振舞ったからこそ天岩戸に隠れていた天照大神が岩戸の中から出てきた。

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● 現代の日本人も理解している

 1400年以上も前に、聖徳太子が述べた言葉”和をもって尊しとなす”と
 いう言葉も21世紀の現代の日本人は良く理解している。

 世界中では、現代でも神の正統性や、イデオロギーを主張する争いが
 あちこちで絶えず勃発しているが、神の名で殺しあうことを多くの日本人は
 馬鹿げていることだと思っている。
 思想によって殺しあうことなど日本では馴染まない。

 議論が終われば仲良く、ご飯を食べ、酒をのみ、歌を歌えと皆思っている。
 皆で賑々しくあれという事の重要性を、多くの日本人が理解している。

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● 日本の特異性

 日本が世界の中で特異なのは、
神仏習合があるからではない。

 神の教えと仏の教えが現代まで残っている事はすごく希少ではあるが、
 神と仏の教えが合わさる神仏習合自体は、特異な存在ではない。

 神仏習合は、聖典の教えが入ってきた時に
世界の多くの地域で見られた

 確かに神と仏を習合することにも多くの困難があるが、神仏習合自体は、
 世界のあらゆる地域で見られた。

 神仏習合が成し遂げられず、国を二分させて争ったり、聖典の教えに太古の
 神々が飲み込まれてしまった例も多く存在する。
 古代ローマもキリスト教を国教にした時代には、ローマ人の作る彫刻の像にも
 既に著しい変化がおきており、それらの像は神を感じさせないものとなった。
 古代ローマにあっては、太古の神々は聖典の教えに飲み込まれてしまった。

 聖典の教えと太古の神を両立させることは、確かに多くの苦労が必要である。
 日本において神仏習合をもたらすことに貢献した1人が
行基である。
 行基の孤軍奮闘がそこにはあった。

 なれど、日本の特異性は神仏習合ではない。
 民衆の間では神仏習合が好まれたが、神道では神なる教えの原型が
 残りつづけ、仏教では仏の教えの真髄が残っているという事である。

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● 神なる教えを大事にした仏僧

 日本が幸いであったことは、仏法を学ぶ仏僧において、もっとも優れる者達が
 の神なる教えを理解し、吸収していたことである。

 行基も最澄も空海も、彼らは神なるものを理解した神霊家であった。
 法然、親鸞、道元、栄西、一遍などは、まさに自然を愛した。
 釈尊が自然を愛したように、彼らも自然を愛した。

 真に優れた者たちが、この日本が存在したのだ。
 現代の日本の学問のレベルの貧弱からは想像できないだろうが、
 かつての日本にはこれだけの者達が存在したのだ。
 世界最高レベルの者達がキラ星のごとくに登場した。

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● 可能たらしめた人物@

 日本においては神道は神道であり続け、仏教は仏教であり続けた。
 民衆の間では神仏習合がなされたが、神道そのものは神なる教えを保持し
 続けて、仏教そのものは仏の教えを保持し続けた。
 日本には、釈尊が述べた仏教の真髄が残っている。
 それでいて太古の神々もその原型を留めて神道として残っている。

 これが
何ゆえ可能であったのか?
 その道筋をつけたのは
誰なのか?

 それこそが伝教大師こそ、
最澄である。

 日本人にとって神なるものが何を意味するから、最澄は誰よりも理解した。
 日本において、仏教が涅槃に入るべく取り決めた戒律を厳守した場合に、
 人間の本来ある姿を肯定する日本人においては、仏教はいずれ支持されなく
 なる事を最澄は洞察した。

 釈尊の教えの真髄は残して、戒律を取り除くことが、仏教が日本に根付くこと
 の条件だと最澄は見抜いた。

 自然の奥の神なるものを愛する日本人にとって、戒律だらけの仏教であれば
 早い段階で、仏教は遠ざけられることになることを予感したのだ。

    最澄の日本を愛する心と、日本とは何かを見抜く目は、ずば抜けていた。
         伝教大師
最澄
        
 
      
日本仏教の中に、最澄が存在したからこそ仏教は戒律の中に埋没することがなく
      仏教は日本人に愛され続けた。最澄が存在しなければ仏教も戒律が厳しくなり
      いずれ日本人から遠ざけられていただろう。


 
これは中国であれほど隆盛を誇った仏教が最終的には廃れた事の理由
 でもある。仏教の戒律が徐々に強くなり、仏の道に様々な戒律が伴うと
 優れた者たちが仏の道を嫌うようになり、徐々に仏教は民衆から支持を
 失う結果となった。
 さらに、戒律などに人々が真剣になりすぎる事も、国家の力を弱めるため
 時の為政者によって仏教は何度も弾圧されることになった。

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 ● 可能たらしめた人物A

 中国において、いずれ仏教が廃れてしまうことを理解した人物がいる。
 
恵果である。

 恵果は、だからこそ数千名の優れた弟子の中から日本人の空海を選んだ。
 日本に届けば、仏の教えも残り続けることを予感した。
 もちろん、
空海が真の天才であったからでもある。
 恵果は、日本からの留学層の空海に、そのもてる力を振り絞って伝授した。

                   
弘法大師空海
              
   世界中から優れた若者が中国に集まった中においても空海は、飛びぬけていた。
   
圧倒的な実力と天才ぶりで真言密教の正統な後継者となった。

 
それゆえにこそ空海は、密教の教えを誰よりも深く理解し、日本に持ち帰り
 仏教の真髄が日本に受け継がれた。

 最澄は、仏教が戒律に傾くことなく、それでいて釈尊の教えの真髄を残す事
 に努めた。
 日本史上最高のレベルに達した平安時代は、最澄と空海という2人の天才
 の登場によって400年の長きに渡って続いた。

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● 天才最澄

 日本の仏教史において、もっとも優れている者といえば空海である。
 空海は、紛れもなく天才である。実に偉大である。

 なれどもその洞察力と働きにおいて空海を上回ったのが最澄である。
 最澄は、この日本において仏教が残る為には、神なる有り方を抑圧して
 はいけない事を悟った。特に日本人にはそれが重要であった。
 であるから最澄は、仏教の戒律などにはこだわらなかった。
 釈尊の教えの真髄を残すことに力を集約した。

 仏僧の最澄は、誰よりも日本の神なるものを理解していた。
 最澄の登場によって、仏教は仏教の真髄を残しながら神なる教えの神道を
 抑圧せずに、神道が神なる教えの原型を保てるようにした。

 仏教もまた釈尊の教えを残すことに集中し、戒律などは意識させなかった。
 もし日本に最澄が生まれていなければ、仏教は早くも戒律が厳しくなり
 日本の人々からの支持が得られなくなり、早い段階で衰退しただろう。

 そうして仏教が衰退してなくなっていたならば、文明と神なる教えでは
 人々の苦悩は取り除けない為に、
神道自身が変化して、聖典の宗教
 の役割が求められて、神道に仏が入り込んで習合してしまっていただろう。

 そうであれば、神道の姿も現代に残る神道の姿とは大きく異なり、本来の神道
 の形は残らなかったであろう。
 最澄が登場したからこそ、仏教は仏教として残り続けたし、神道は神道の本来
 の形を見失わずに現代まで残ったのである。
 それゆえに最澄の意味は、とてつもなく大きいのである。

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● 最澄と空海

 最澄も空海ももちろん釈尊の教えを良く守った。
 共に実に良く学んでいる。

 空海は日本の仏僧の中で最高のレベルにある。
 学識も書も群を抜いている。
 だからこそ空海の名声は現代でも鳴り響いている。

 なれども仏教が日本に今日まで長らく続いて、その真髄を失わないのも
 第一に最澄があったればこそなのだ。
 戒律を意識させなかった最澄の洞察は圧倒的であるとさえ言える。

 最澄が死んだ後にこそ、最澄の意義は花開いた。
 最澄が残した天台宗比叡山からは続々と名僧を排出した。
 
法然、親鸞、道元、日蓮、栄西、一遍など、後に宗派を起こし開祖と
 なる者達が比叡山で学び、天台の教えおさめた。

 これは空海以後の真言宗高野山において、特にこれといった名僧の存在が
 知られていないことと比較すると、非常に対照的である。
 この差は時代を経るごとに、大きなものとなっていった。
 比叡山で学んだ仏僧からは
キラ星のごとく名僧を輩出した。

 最澄が残した比叡山からはたくさんの名僧が出たことこそ、最澄が日本人の
 性質をふまえ、神なるものを大切に文明を発展させてきた日本に合う形で
 仏教を形づくったことによる。
 最澄は戒律など、特にうるさく言わなかった。

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● 天台宗のその後

 最澄以後の天台宗からはたくさんの優れた名僧が出てきた。
 戒律を厳しく言わなかった最澄から学んだ者達は、日本人に合わない戒律は
 どんどん無視していった。

 法然上人の浄土宗になると誰でも南無阿弥陀仏を唱えて、仏に帰依すれば
 救って下さると説いた。戒律なんてまったく意識されなくなった。
 親鸞上人になると、みずから妻をもち、子供を作った。

 異性と交わった自分達は、仏僧のように救われることはないのだと、衆生が
 思っていたからこそ、敢えて親鸞上人は妻をもち、子供もつくった。
 それも7人もの子供をつくった。親鸞上人はその点でも相当、頑張った。

 多くの民衆が、自分達は地獄に落ちるのは当然と考えていたからこそ、
 親鸞は自ら、妻を娶り、子をつくった。
 自然本来の姿、人間が子供を生み、子供を育てる行為が否定されて
 良いはずがないという親鸞の決意と愛がそこにはある。

 最澄の圧倒的な洞察力が、法然を生み、親鸞を生み、さらには日蓮を生んだ。
 仏教が日本で遥か先まで生き残る道を指し示したのは最澄なのである。

 最澄の弟子達がその志を受け継いで、捕らわれのない心で事物に接した。
 神なるものを、なるべく押さえつけない為に戒律にも目をつむった。
 日本において、神道が神道として聖典の教えに混ざらずに原始的な姿を
 有する事ができたのは、まさに天才・最澄の優れた洞察力による。

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● その重要性を指摘した学者

 仏の教えの真髄を残しながら、神なる面を押さえつけずに戒律を特に意識させ
 なかった最澄の意義と絶大な影響について述べた学者はほとんどいない。

 ただ1人その重要性に気付いて、詳細に述べた人物がいる。
 
小室直樹である。
 小室博士は、この点の重要性を良く認識していた。

 最澄が徹底的に戒律を取っ払ってしまったこと、それゆえに天台宗で学んだ
 仏僧が続々と戒律を破って、民衆と共に生きたこと述べた。

 さらに小室博士が述べたところでもっとも大事な点が、日本がイスラム教を
 取り入れなかったいう点である。
 この点は非常に重要な意味をもつ。
 イスラム教は、まさに戒律の宗教とさえ言える。
 人間の行動を規定し、人間の生活にどしどし入り込んでいる。
 しかし日本人は、そういう戒律を本来、まったく好まない。
 それゆえにこそ日本にはイスラム教がまったく入ってこなかった。

 いくらでもイスラム教が入る機会があり、キリスト教が入ってきた当時は
 遥かに世界においてイスラム教が優位にあったのに、日本人はイスラム教を
 受け容れなかった。

          
日本の学者としては非常に珍しく、真に学問をした学者である
          
惜しいことに今年の2010年9月にお亡くなりになった。
           
              
 小室直樹

 その点の重要性は、日本人とは何であるかという意味で非常に重要である。
 日本の学者は、この点について特に詳細に述べたものが小室直樹であった。

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● 小室直樹について一言二言@

 小室博士は、日本の学者の中ではとても珍しく、真に学問を行う1人である。
 正確には学問をした、である。
 惜しいことに、今年2010年の9月にお亡くなりになった。

 日本の学問(特に文科系の学問)は、その多くが地に堕ちて、世界に対して
 誇るべきものがほとんどない。
 その中にあって、小室直樹1人が気を吐いていた。

 学者の道を進むならば、彼のように多くの学問を学ぶことである。
 本来はこのぐらい勉強し、洞察を高めなければ学者などと言えない。

 経済学、社会学、宗教学、歴史学、哲学と多くの学問を学び、複数の視点から
 物事を捉えてこそ、初めて事の重大さを指摘することができる。

 そうでなければ、その重要性がまるでわからない。
 さらにそれがわからなければ、歴史上の賢人達の天才達の偉大な業績の
 意味に気付けないだろう。長い歴史の中には、驚くべき知の化け物がいる。

 それらを真に理解できる為には、多くの分野を学び、真の学問の道に邁進
 する必要がある。

 日本でそういう事ができる学者は、本当に少ない。
 狭い専門の範囲に留まって枝葉末節なことについて、ああだ、こうだと言って
 無為な時間を過ごしている。
 これでは、世界の学者に重んじられないだろうし、相手にされまい。

 日本の学者、特に文科系の学問を専攻する学者は、小室直樹から多くを
 学ぶことである。彼から学ぶべき事は多くあるだろう。

 日本の文科系の学者の中で、小室直樹は
ピカイチであった。
 これから日本で育つ若い学者も小室直樹を見習って幅広く学んで進んで欲しい。 

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 ● 小室直樹について一言二言A

 日本の学者で真に鋭い洞察を持つものは非常に少ない。
 ほとんどが勉強不足でもある。

 なれど小室直樹だけは違っていた。
 社会学、経済学、宗教学、哲学、数学と幅広い方面について学んだ。

 彼には大きな夢があった。
 大東亜戦争によって、魂を奪われた日本を復活させることであった。
 経済的発展の裏側で、ぼろぼろと崩れ始めていた日本に気付いていた彼は
 だからこそ、日本を復興する為に何が必要であるかを真剣に考えた。
 それゆえにこそたくさん学んだ。

      
    彼は、戦後の日本が何を失ったのかがはっきりと見えていた。
    それゆえにこそ
日本を復活させる、その思いは強く、また懸命に学問に努めた。
    多くの学問から彼は学んだ。
あっぱれな!学者人生である。

 真に国を思う気持ちが、彼の勉強をさらに強力に持続させた。
 21世紀の日本の学者の中では、本当にめずらしい存在であった。

 彼の姿勢を、日本の多くの学者が真摯に見習うべきものである。
 国を思う力だけあっても、広く深く勉強しなければそれは空回りするだろう。
 一流の学者になろうと欲するならば、彼と同じように広く深く勉強して
 彼を越えて進む気概と実践は、必須の条件であると心得ることだ。

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● 学問と愛国心

 ここで敢えて以下のことだけを述べておく。
 学問と愛国心とは、本来はまったく関係がない。

 学問とは自国の優位性を説く為にあるのでもなく、自国の宣伝の為に存在
 するのでもない。学問に愛国心を持ち込むものではない。
 同様に学問は、特定の宗教を擁護したり、それらの神に箔をつける為に
 学問があるのでもない。何らかの思想を擁護する為に学問があるのでもない。

 真の学問は
あらゆる人種、あらゆる国境を越えて通じるものである。
 これらの事は、古代人が誰よりも理解していた。

 近代に入り、特に西洋においてキリスト教が学問に入り込んで、絶対者の
 存在を承認させようと、絶対精神や絶対理性、はたまた自己意識が発展過程
 にあるうんぬん、という馬鹿話が多数でてきた。
 学問は、何かの意図を掲げて進むものでは決してない。

 学問は、
真理の旗を掲げて進むのである。
 何かの思想や、神の存在を強調する為に学問があるのではない。

 再度述べるが、真の学問はあらゆる人種、あらゆる国境を越えて共有する事が
 できるものである。

 むろん、その事と
学者が愛国心をもつ事は相矛盾することではない
 まったく矛盾などしない。
 歴史上の偉大な賢人の多くは、まさに自分が生まれた国家を誇り、愛した。
 
皆、強い愛国心を持っていた。
 ただその愛国心を、学問の中に持ち込むことはしなかったのだ。

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● 本来のあるべき姿を愛する神なる民

 戒律に縛られる日常など、日本人は決して好まない。
 日本は神なる教えを大切にする。神なる教えとは自然がそうであるように、
 自然の上でいきる鳥が、鳥のごとく空を飛び、声を奏でるように、人間は
 人間のように振舞うことが当然だと考える点である。
 日本人は、戒律に縛られることを嫌う神なる民である。

 それゆえ、日本では自然から与えられた肉体を傷つけて、その状態で
 人間を生かすことは、ご法度である。

 中国では、人間の片腕を切って生かしたり、足を切って生かしたりする。
 宦官のように男の大事な男根をそれこそ根こそぎとって宮廷に仕えさせたり
 女の子が生まれれば、幼児の頃から足に布を縛って歩けない状態をもたらし
 慰みものにする為の纏足(てんそく)が流行った。

 これらのものは日本には、決して入らなかった。
 日本で体を切ったりするときは、それは死を意味する。

 首をはねたり、腹を切ってその命が尽きるのである。
 腕を切ってそれでいて生きているいうという刑罰は日本にはない。
 中国では敵将の目玉をとってそれで放逐したりするが、日本には決してない。

 そういう行為は、日本では非道というのであり、人間の道に背いていると
 誰もが見なす。人畜外道にも劣る行為と必ず非難される。
 中国の刑罰が非常に残酷なのは、遠い昔に中国において、神なる教えが
 消えてしまった事を物語る。

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● 不信然さを受け入れない日本とユダヤ

 日本は古代より中国から様々な事は取り入れたが、宦官や纏足などは
 取りいれなかった。日本人は不自然さは好まないのである。

 大陸では、みずからの権力欲の為、都合の為に人体の一部を切りとっても
 まったく気にしないが、それらは日本人は決して受け入れることはない。
 体のいずれかの場所が失われることは、日本では死を意味することでしかない。
 (首をはねる、切腹する)

 日本人は、自然から与えられた姿を否定することはない。
 これはユダヤも同様である。
 ユダヤも日本も、自然のあるべき姿を愛する民である。

 もちろんユダヤは既に自然崇拝を捨てている。
 なれども彼らの教えの奥には、自然の生きんとする意志の肯定がある。

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● まるで気付けない現代日本@

 この日本には実に素晴らしい者達がキラ星のごとくに現われた。
 聖徳太子、行基、最澄、空海、法然、親鸞、日蓮、道元、栄西、一遍
 皆、並々ならぬ力量を持っていた。
 これらの人々の他にも多くの優れた者たちを輩出した。

 日本においてもっとも優れたる人々は、神と仏の側にこそいた。
 これらの人々の圧倒的な洞察力と仕事において、日本では神道は神道の
 原型を保ち、仏教は釈尊の教えの真髄を残した。

 これほど偉大な者達が、かつてこの日の本の大地の上にはいたのだ。
 これらの者達は、世界のどこに出しても恥ずかしくない人々である。

 これらの者達の存在を、世界の人々が真に理解すれば、驚嘆の声をあげるに
 決まっている。それ程の者達なのである。

 なれど戦後の日本は、この神なるもの仏なるものを自ら捨てた。
 これにより日本は、精神的に混迷を極めるようになった。
 それはそうである。
 この日本において真に偉大な者達は神なるもの仏なるものの側にいたので
 あって、その神なるもの仏なるものを日本人が放棄すれば、国力の大幅な
 低下を招くことは免れない。

 そこに登場したのが、戦後民主主義を信奉する戦後知識人と呼ばれる者達だ。
 これらの者達の浅はかさといったらいくらいっても言い足りない。

 人間が歩んできた歴史に対する洞察もないし、人間そのものに対する予感も
 まったく持ち合わせていない。
 だからこそ外的環境の整備で全て解決すると考えて、社会主義や共産主義
 などのまったく人間洞察が欠けているガラクタに群がった。

 これらの者達は、学問のガの字も理解していない者達であった。
 如何せんレベルが低すぎたのだ。

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  ● まるで気付けない現代日本A

 多くの日本人は連帯感を失い、人々はバラバラとなり、その心は孤独となった。
 その不安から日本人の多くは本を手にしたが不安は一向に収まらない。
 それはそうである。
 戦後知識人と呼ばれた者達の浅はかな学術書や至らない小説をいくら読もうが
 不安など消えるはずもない。

 この頃、日本人の多くも気付き始めたのか、本がまったく売れなくなった。
 大げさな題名や書評に対して人々は胡散臭さを感じているのだ。
 もう手品の種に気付き始めている。

 2000年以前には、多くの本を売った作家や物書きも、2000年以降は
 まったく本が売れない状態になってきた。
 (もちろんネット社会への移行も主要な原因の一つであるが)

 この大地を生きるという事は、これらの本、程度でどうにかなるものではない。
 再度言おう。
 日本でもっとも偉大な者達は
神なるもの仏なるものの側こそいる。

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● 神なるものへの復興=大化の改心

 日本の歩んできた道に戻ろう。
 大連である物部氏と蘇我氏の争いにより国家は二分した。
 これに勝利したのは、仏教推進派の蘇我氏である。

 これにより仏教は飛び鳥を落とす勢いとなり日本中に広まった。
 反対に、神道の価値は相対的に低下したことになった。

 仏教の勢力は神道をも凌駕する勢いであった。
 それゆえにこそ神道の巻き返しが起こった。

 これに関しておきた事件が大化の改心である。
 この点について詳細に述べた者がいる。
 日本人ではない。ユダヤ人である。
 ユダヤ人のヨセフ・アイデルバーグはその著書の中でこう述べている。

 『大化の改心の主要な目的は、まず神道を、日本の国家的宗教の座
  回復させることにあったと言って良いだろう。そして私達がこれから見て
  いくように、実は大化の改心で制定された新しい法律の多くは、
  
古代イスラエルの伝統に極めてよく則ったものだったのである。』

 大化の改心の後に出された詔(みことのり)が、古代イスラエルの伝統に
 非常に似通っているとアイデルバーグは述べている。

  
三種の神器であるヤサカの勾玉であるが、この勾玉の形、カンマ(マルチョン)は、
  
ヘルブ文字の’ヨッド’であり、ヤーと発言され神を表すのだとアイデルバークは言う。
   
 
        
ユダヤ人アイデルバーグ                勾玉   

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● 古事記の制作

 大化の改心(645年)によって蘇我入鹿がうたれて、蘇我蝦夷がみずから命を
 絶つ前に蝦夷は、屋敷に火を放ち、日本を歩みを示した貴重な歴史書が
 ことごとく消失してしまう大事件が起きた。

 このことにより、日本人が何者でありどこから来たのかがわからなくなった。
 その為、歴史を忘れない物とするために、人々の伝承や話、または今に
 伝わる知識をもとに整理する作業が急務となった。
 そして生まれたのが日本最古の歴史書であり物語である古事記である。
 712年のことである。

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● 本地垂迹説と反本地垂迹説@

 本地垂迹説と反本地垂迹説が日本において昔から何度も登場し、
 神道家、仏僧を含めて様々に議論されてきた。

 この点について釈尊ならばどう答えるか。
 
何も答えまい
 敢えて答えるならば、それは
人間不可知と述べるだろう。

 仏教ではまず世界も自然も既に存在すると考える。
 そして世界に対して自然が対処するという考えを基礎にもつ。
 救済の方向は、自然の生きんとする意志の反対の方向、つまり意志の否定の
 中にこそ涅槃の世界を見出し、そこに最高善の仏が存在する。

 これに対して神道ではなによりも中心は自然の生きんとする意志である。
 なるほど自然は世界は対処するが、それでも自然が本来の姿であろうと
 し続ける姿にこそ、畏怖と喜びを感じるのだ。

 この世界に対する自然の対処の方法の1つ1つが悟りであり、それらの悟りを
 全て体得している存在が、つまりは
である。

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 ● 本地垂迹説と反本地垂迹説A

 自然が世界に対して柔軟に対処しているのか?
 それとも自然は、必然的に対処しているのか?
 または自然は、世界に強制的に対処させられているのか?
 それらの事は、人間にとってどこまでも不可知の問題である。

 どこまでが自然で、どこまでが世界なのか、その境界すらも人間には
 はかりかねる。
 世界と自然の関係は、つかず離れずであり、その全容など人間にはまるで
 わからない。
 釈尊は、人間不可知の事について、ああだ、こうだ、とは言わなかった。

 本地垂迹説と反本地垂迹説の関係を科学を例にして説明すると以下である。
 ある人が物理的に押されてその場所まで動いたことと、ある人が内面の動機
 によって、そこまで動いたことは、別の力にみえて、実は同じ力である。

 それが外的な力によって動いたことも内的な力によって動いた事も、その
 動いた意味においては本来、変わらないという事である。
 別々の力のように見えて、根源的な部分では区別する必要がない。

 垂迹説も反垂迹説もこれと同様で、それが外からきたのか内からきたかの
 違いだけであり、その根源的な力は同じであり、区別すべきものでもない。

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● 日本に懐かしさを感じるユダヤ人

 ユダヤ人が日本に来ると懐かしい感じがするのも日本には神なる教えが
 息づいているからだ。それにユダヤ人はどこか懐かしさを感じるのだ。
 日本人は、自然の生きんとする意志を素直に肯定している。
 
 ユダヤ人は日本にきて神なるものに懐かしさを感じているが、
 これから100年の21世紀にかけて、この神なる教えは世界中でその芽を
 出し始める。太古の神々が徐々に姿を現すのだ。
 さらに22世紀になればユダヤ人は、その神なる教えに直視せざる得ない。
 22世紀に世界中で
太古の神々が復活するからだ。

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● 溶解する日本@

 神なるもの仏なるものをもっとも大切にしてきた日の本の民。
 その神を愛する民は、アメリカとの戦争の敗戦によって、その神なるものを
 捨て始めた。

 民主主義や資本主義という表面的な言葉に足を取られて本質を手放した。
 かつて、様々な危機がこの国にも訪れた。
 江戸時代に黒船が来航し、人々は転地がひっくり返ったかの騒ぎとなった。
 既に世界は弱肉強食の白人至上主義の世界になっていた。

 この国家総力戦と言える列強の国々との競争に巻き込まれた明治の人々は
 西洋の技術を取り入れ、産業をおこし富国強兵し、法律を整え、近代国家の
 体裁を作りあげることに一丸となった。

 その中にあっても、
和魂洋才という言葉をつくり、日本人が大切に
 思う精神性は大切に保持しながら、西欧社会から科学技術をマスターして
 いこうと試みた。
 そのような非常時下でも、日本人は神なるものを大切にしてきた。

 なれど、大東亜戦争の敗戦は日本人に自信を失わせ、目の前に広がる廃墟
 が日本人に強いショックを与えた。
 その間にGHQによって魂が抜かれて、日本はまさに廃人と化した。

 人々はそのような事態になったことに目を向ける余裕すらなかった。
 それどころでもなかった。
 国土は焦土と化し、食料はどこでも欠乏していた。人々は常に飢えていた。
 なるほど、生きる為には、まずは食料が必須で、経済の再建も急務であった。

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 ● 溶解する日本A

 まずは日本を立て直さなくてはと、人々は懸命に働いた。
 そうやって数十年が経ち、日本の都市には高いビルが多数作られて、
 世界の経済大国の仲間入りをした。
 すべては順風満杯に見えた。

 だけれども人々の心には、癒される事のない空しさと孤独感が満ち満ちていた。
 経済的な成功に喜びだけに焦点をあわせて、はしゃいでいればそんな
 空しさを見なくてもすむ。人々は経済の発展に邁進した。
 それに日本の経済人も乗っかって、仕事が人間本来の意義などと言い出した。
 
 さらには、戦後知識人が適当な知識を切り売りし、生計を立てていた。
 それらの知識は適当であったが、経済は至って順調であったからこそ
 何をいっても別に良かった。誰も指摘などしなかった。
 イケイケどんどんが主流となりバブルが起きた。

 そのバブルも弾けに弾けた。
 21世紀になり、経済の成長も望めない時代となった。
 徐々に経済が衰退し始めた。
 ふと、周りを見渡すと、そこは以前の焼け野原のごとくに佇んでいた戦後の
 日本と日本人の姿があった。

 今までは経済発展によって見なくても良かった喪失部分があらゆる所から
 顔を出して、人々に無連帯、無縁社会となって押し寄せてきた。
 この国の土台は、戦後すぐの段階から、既に溶解し続けていた。
 もはや止めることもできぬほどに溶解しているのだ。

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● 21世紀、徹底的に追い詰められる日本

 今後100年の21世紀。

 
日本は徹底的に追い詰められる
 日本人は徹底的に追い詰められる。

 自ら神の教えを捨てた日本人は同時に仏の教えも理解できなくなった。
 神がいるところにこそ、仏が現われる。

 人間が神なる道に進む時に生まれた苦悩を癒すのが仏であるからだ。
 日本において真に偉大な者達は神なるもの、仏なるものの側にいる。
 日本人はその神なるもの、仏なるものを自ら放棄した。

 話にもならない社会主義国家や共産主義国家に夢を見た馬鹿者達も
 この日本に多く現われた。これらの者達は単に智恵がないだけである。

 日本人1人1人が、自分達が自ら放棄して失ったものの重要性に気付くその時
 まで日本は、徹底的に追い詰められることになる。
 徹底的に、徹底的にだ。あらゆる分野からあらゆる方面から日本は追い詰めら
 れることになる。

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 ● 22世紀の激動の中で

 22世紀には激動が起こる。
 ユダヤ的世界観が人々の意識から離れ、ユダヤ的世界観が居場所を失うから
 である。ユダヤ的世界観は、居場所を求めて世界中を巡る。

 絶対者の衣を被っていたユダヤもその衣を脱ぐ時が訪れる。
 ユダヤ的世界観はもといた場所をめがけてユダヤに流入する。
 ユダヤも唯ではすまない。
 少数になってしまったゾロアスター教徒にもユダヤ的世界観が流入する。

 これらの兄弟を守れるのは、神と共に仏が存在させてきた日本である。
 世界の文明国では、聖典の教えが失われないかと、多くの人々が不安になる。
 文明と聖典の宗教は、とにもかくにも二人三脚で歩んできた。
 そこに太古の神々が入り込む事態に人々は戸惑う。

 神なる教えが降りることは、太古の神々がこの地上に消えてから3000年
 以来である。これは文明を大きく変化させ、大潮流を生み出す。
 それらの国々の不安を取り除き、共に
神なる教えを守り続けてきた兄弟
 を体を張って守れる者こそが日本なのであり、守る使命がある。

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